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読書メモ 君主論 マキャベリ

運命について
それまでのやり方は
変わらなかったのに、
ある時は良い結果をもたらし、
別の時は悪い結果をもたらす。

時代は変わり周囲の環境も
目まぐるしく変わるというのに、
人間の考えとやり方が
変わらないために、
あるときは幸運に恵まれても
別のときは悲運になく。

自分のやり方と
時勢を一致させるひとは
成功し、
時代と噛み合わないひとは
不幸になる

ならば、
時代が変わることを
いち早く察知し、
それによって諸状況が
どう変化するかを見極め、
みずからを
それに対応させることができれば、
そのひとは
常に幸運に恵まれる
ということだ。

しかし、
この種の大賢者は存在しない

なぜなら、
ひとは持って生まれた性質や
成功体験に固執する。
時代は変わり、周囲の環境も
目まぐるしく変わるというのに、
そこから離れられないからだ

『運は天に任すしかない。』
『対策の立てようもない。』
と今も昔もひとは言う

ならば、
なにごとも汗水たらして
苦労するほどのことはなく、
ただ運に身を任していれば
いいのだろうか?
世相の激動に思いをいたせば
私もその意見に傾きそうになる

しかし、
私は運命が人間活動の半分を
思いのままにできたとしても、
あと半分近くは
われわれに運命の支配を
任せてくれると考える。

だからこそ『君主論』は
歴史上【君主】の選択可能な
手段を対置し、
それらによって生じる状況を
分析し、具体例をもって示してきた。

現実世界に適用できない。
高尚な倫理はいらない。
現実だからこそ、
そこに中途半端は許されず、
妥協は存在しない。

さて、
結論を下すとすれば、
運命は変化する。

一方で、
ひとはみずからの幻想によって
行動するものだ。
自分の心の意思に従って
生きるしかない。

ならば、
私はこう考える
『ひとは慎重であるより、
むしろ果断に進むほうが良い。』

なぜなら、
与えられた運命に
すべてをゆだねて
自己を見失うひとより、
与えられた運命に
適切な対処をもって
行動するひとに
人間はついていきたい、
と思うからだ。

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