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推しの話


推しという言葉はいつの間に私たちの暮らしに溶け込んだんだろうか。ここ数年で好きなものを好きだと言うハードルが急激に低くなったような気がする。私にも推しとやらはいる。もしくはいた。ずっと言語化するのを避けてきたけど書いてみようと思う。長くなるだろうけど誰でもいいから聞いてほしい。


推しとの出会いは私が小学六年生のとき。掃除の時間クラスの女の子に「◯◯君と◯◯君ならどっち派?」と聞かれた。それは当時流行っていた少女漫画原作のドラマに出演していたアイドルのことで。彼はそのドラマの中で添い寝してあげたい男子No. 1という謎の肩書きを持つ可愛い系男子を演じていた。私は直感的なもので「◯◯君かな」と答えたんだけど今思えばその回答が全ての始まりだった。答えたからには意識をする。意識をすればするほど「◯◯君派」が効いてきた。ちょうどドラマが最終回を迎えた頃に当時よく読んでいたSeventeenで彼が映画に出演することを知った。私は母に「ママが好きな松山ケンイチ出てるから観に行こう」と誘った。思春期真っ盛り。アイドルに興味があるなんて恥ずかしくて言えなかった。映画はというと大して面白くなかった。映画の中で彼は黒縁メガネをかけ絶妙にださいジャケットを羽織り「この格好は退屈な日常に対する精一杯の皮肉さ」と言っていたんだけど意味が分からなかった。でもなぜだろう、間違いなくあの瞬間に私は彼のファンになった。

後にも先にも私にとっての「推し」は彼だけだ。元々好きになると深く狭く周りが見えなくなるタイプの私。趣味は多いけど同じ分野で掛け持って何かを好きになれるほど器用ではなかった。どこからどこまでをファンの括りにしていいのか境界線が分からないんだけど、あの日映画館のスクリーンに映る彼に惹かれたときからまるっと10年間。私はずっと彼だけを好きでいた。

彼にまつわる思い出は今でも鮮明に記憶している。長引く思春期の影響で親にも友達にも彼が好きだと言えずに過ごした中学三年間。よく部屋の片隅でガラケーのアンテナを必死に伸ばしてワンセグのガッタガタの画面でMステを見てた。お小遣いが入るたびに彼が所属していたグループのCDを買い集めた。YouTubeにはない映像を見るためにコアな動画サイトをひたすら調べた。過去の歌番組や出演したドラマ、MVからCMまで見れるものは全て。もはや執念だけで呼吸をしていた。知れば知るほど好きになる。知らない彼が減るたびに達成感があった。部活動なんかよりもよっぽど青春を捧げていた。初めて新譜として買ったアルバムはパソコンで予約してセブンイレブンまで取りに行った。あの日の自転車のペダルの重さなんかもちゃんと覚えてたりする。

彼はアイドルの鏡のような人だった。歌唱力に定評があり端正な顔立ちで小柄だけど華があった。私みたいにお芝居をする姿を見てファンになった人は少数派だと思う。私もアイドルとしての彼を知っていくうちにその魅力にどんどん惹かれていった。好きな気持ちを言語化するのは何よりも難しい。実際に今このnoteを書くことに10時間くらいかかってる。書いては消してを繰り返してる。高校生になるまで私は彼が好きなことを誰にも教えなかった。恥ずかしかったのもある。でも何よりもの理由は「上手く言えないから」だ。恋愛でも友情でもない初めて味わう愛おしい気持ちを一回きりのキャッチボールで誰かに伝えるなんて到底できなかった。

高校生になりTwitterを始めた。FCに入ってライブに行くようになったのもこの頃だ。もしも過去に戻れるならどの時代に戻りたい?と聞かれたら私は迷わずに高校生だと答える。本当に楽しかった。アホみたいに友達が増えた。この世に彼のことを好きな人はこんなにも存在するんだと感動した。グループが新体制になってよく羽目を外すようになった彼を「まじで勘弁しろよな〜」と笑い飛ばせたのもSNSでたくさんの仲間に出会えたから。あの頃にもらった手紙は全部大切に残してる。夜遅くまで電話をしたり色んな同盟を組んだりくだらないコラ画を送りあったり。好きな気持ちを押し殺して暮らしていた私にとって「言わなくても分かり合える」存在がものすごく有り難かった。眠れない夜に話を聞いてくれる人がいる。ライブがなくても会おうと言ってくれる人がいる。学校の友達には相談できないことも話せた。本当に本当に楽しかった。

そんな充実した「推し活」をしながらも私は少しずつ彼に対して不満を募らせていた。見たくもない写真や聞きたくもない噂。本当はどうでもよかった。自分の目で見たものと自分の耳で聞いたものだけが全てだと思ってた。それでもツアーの初日や新曲の発売日が近付くたびに何かしらの記事が出てしまう。勘弁しろよって笑い合った仲間たちも少しずつ減っていった。私は彼のことが大好きだった。グループが新体制になり誰よりも闘争心に燃えていたのは彼だ。バラエティ番組で体を張るようになっても、髪色のせいで本来の良さが埋もれてしまっていても、それが彼なりの努力ならば応援したいと思った。世間がどんな風に彼を評価しようと煌びやかな衣装を纏い大きなステージでアイドルを全うする姿は世界で一番眩しかったから。それなのにどうしてなんだろう。どうして私は彼のことを嫌いになりたかったんだろう。

2020年。まだ彼のことが好きだった。いやでもなんて言えばいいんだろう。彼は精神安定剤みたいなもので好きとか好きじゃない以前に「勝手に体が欲してしまう」存在になっていたかもしれない。辛いことがあれば自然と彼の歌声や笑顔に救われてた。暗闇で迷子になると足元を照らしてくれる光。そう、彼は私の光だった。この年は初めての三大ドームツアーが発表されて久しぶりに懐かしい仲間と連絡を取り合っていた。彼らが四年かけて作り上げてきた企画の集大成でもあった。ずっと楽しみにしていた新譜は今まで聴いたどんな音楽よりも愛おしい作品だった。何もかもが完璧だった。コロナさえなければ。

ツアー初日を迎えるはずだった夜に彼らはテレビの歌番組で大切な大切な曲を歌ってくれた。それが「ジャニーズ事務所所属 NEWS手越祐也」を見た最後になった。

いつかこんな日が来るんじゃないかと怖かった。彼がアイドルという職業に誇りを持っていたことは知ってる。誰よりもファンを大切に思っていたことも知ってる。高校生の頃に夜行バスで行った地方公演。ステージから二列目の席が当たり初めて目の前で彼を見た。なんて幸せそうに笑うんだろうと思った。彼はこの景色を見るためにアイドルを続けているのかなって思った。あの記者会見で言った「円満退社」は彼なりの精一杯の強がりだったんだろう。会見後、ファン向けに生配信をしてくれた。私はあのときに見せた表情や言葉が本当の彼に限りなく近い姿だと今でも信じてる。ごめんねって言ってた。悔しいって寂しいって。でも仕方がなかったんだって。どう捉えるかは人それぞれでいいと思う。それを聞いたからと大切なライブを控えた状態で事務所をやめたことが許されるわけではない。表舞台に立つ人間としての自覚が足りていなかったのは事実だし、積み重ねてきた今までを一瞬で壊したのもやっぱり彼自身だった。

エッセイ本を出して炎上したのはそれからすぐのこと。私は買わなかったけど読んだ。薄目でチラッと読んだ。彼の不器用かつ人間くさい部分だけを凝縮したクソみたいな内容だった。正直あの短期間で出版された本なんて鵜呑みにすべきじゃないと思う。いまだにモヤモヤした何かが胸に突っかかってる。発売してからしばらくの間はあらゆる方向から鋭い矢が飛んでいた。彼は否定的な意見を意識的に見ないタイプの人間だ。彼に向いていたはずの矢はいつしか「彼が好き」という理由だけで私にも飛んできた。避けても避けても目に入る。耳を塞いでも聞こえてくる。とてもとても傷ついた。知らない誰かの言葉にたくさん傷つけられた。何よりも悔しかったのがその半分は彼のことが好きだったはずの本来ならば慰め合うべき存在が投げた矢だったこと。私はどうすればいいのか分からなかった。責める相手も分からなかった。まあ…でも彼はあのクソみたいなエッセイ本を出したことだけは一生後悔してほしい。

昨年、彼が所属していたグループは結成20周年を迎えて数年ぶりの東京ドーム公演を行った。私も久しぶりに彼らのライブを楽しんだ。この三年間で私は私なりに過去と折り合いをつけてきたつもりだ。彼の話をする人はもうほとんどいない。寂しいかと聞かれるとそりゃあ寂しいよ。私は彼のことが大好きだった。今でも多分、好き。嘘か本当かも分からないあらゆる情報や非難に惑わされて「彼を好きな自分」が嫌いな時期も多々あった。私が思う理想のアイドル像とかけ離れていく彼にもどかしい時期も多々あった。それでも私は彼のことが大好きだった。光がなくては生きていけないでしょう。たかがアイドル。されどアイドル。彼は私の光だったから。

あの日掃除の時間にクラスの女の子に「亀梨君と手越君ならどっち派?」と聞かれていなければ出会わなかったかもしれない私の推し。あの日映画館に足を運んでいなければ好きにならなかったかもしれない私の推し。もう誰も彼の話をしない。昨年にYOASOBIのアイドルを歌った動画でほんの少しだけバズっていた。ああ好きだなと思った。頑張ってくれよと思った。私の最初で最後の推し。やっぱり彼は私にとっては世界一の天才的なアイドル様だ。

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