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余命かあ

今日、資格試験の勉強をしながら(真剣に集中しろという話なんですが)恋愛映画を見たんですよ。余命がある彼女が、色々な格闘を乗り越えて好きな人とお付き合いをし、幸せな生活をおくる話。結局彼女は亡くなってしまうし、彼のプロポーズも受け入れることが出来なかったんだけどね?


迫真の演技でした。電車で涙ボロボロ。
色々と考えさせられました。

彼氏役の方が、何度も彼女の名前を呼ぶんだけど、なんだかそれが温かくて。呼び捨てじゃなくて「ちゃん」付きなんだけど、私は結構それが好きなんですよね。呼び捨てもいいけど、ちゃん付けって愛されているなあって感じませんか?なんだか残酷な話なのに羨ましくなってしまいました。


自分が死ぬと分かっていても一緒に居たいと思えるほど好きになれるの、凄いなって。好きな人と一旦離れたとしても、「次に行こう」なんてなれないし。いや、私もいうよ?次行こ次って。でもそんなん不可能じゃないですか。「次」なんて存在しないし、その人じゃなきゃダメで、もうその人しか私にはいないわけであって。


作中では彼が彼女に惚れてしまい、アタックの末付き合えていたんですよ。やっぱりそばに居たいと。その彼のキャラが元彼に似ていて、悔しい。あいつも私へまっすぐ言葉を伝えてくれていたなって。「好きです」なんね薄っぺらい言葉をスラスラと、言ってくれていたなと。ここで思い出しちゃうの悔しいな、やっぱりまだ好きなんだなと気付けました。


でもやっぱり思ったことを言葉に出すのって大事だよな。軽すぎるのも良くないけど、こんなふうに愛されてみたいし、好きな人の為に泣きたい。好きな人と海を見たいし、好きな人と沢山将来の話をしたいね。沢山将来の話をして、例えば、2年後の話をして。「ああ、2年先も一緒にいるつもりで居てくれているんだな」と、生きていくための希望になって。そんな存在でいて欲しい。


もし余命なんてものが、急に宣言されてしまったら私はどうするだろう。この作品のように、真剣な恋愛なんてして来てないし、仮に私が真剣だったとしても向こうは真剣では無いわけですよ。もし私が死ぬってなったら誰が悲しんでくれるだろう。
友人も沢山居るけれど、やはり「恋人」という将来的にも一緒にいるであろう存在がデカすぎて、羨ましいなって思ってしまいました。恋人の存在って本当に欠かせないものだと思っている、恋愛依存症の私からするとね。


こんなふうに、生きてみたい。
ただ素直に、好きな人と、両思い。両思いなんてそんな奇跡、ひっくい確率なのにね。「俺たち両思いだね」「俺の彼女になる?」なんて、まるで私が彼のことが好きかのような自意識過剰な告白、そんなもんじゃなくて。もっとこう、ロマンチックなもの。

まるで、とか言ってるけど、ちゃんと好きなんだよ。ただ好きバレしていただけ、面白いですよね。「自意識過剰」とかいって、彼のことを下げようとディスるなんて。でもこうでもしないと、生きていけないんだよな。

もし仮に、余命が10年だとしても
最期まで一緒にいたいと思ってくれるような
そんな存在でありたかった。
そんな事はもう100パーセント不可能だけどね。

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