「誰に向けて書くか決める」に感じていたモヤモヤの正体
「誰に向けて書くか決める」への違和感
noteやブログに投稿する時のアドバイスの1つに、「このメッセージは誰に向けるか決める」というものがあります。
言われてみるとものすごく当たり前ですし、理屈では分かっているんですが、いつもモヤモヤした気持ちでした。
「誰に向けるか」を意識しすぎると、自分の本当の主張が削られていってしまうのではないかという恐怖を感じていたのです。
最終的に自分が読んでも面白くないツルツルのキレイで整った意見になってしまいそう。
「これ、本当に伝えたいことだっけ?」ってなるのが一番イヤでした。
なんでだろう?と思っていたのですが、謎が解けました。
承認欲求が強くなってしまう
「あの人に向けて書くんだ」という意識が強くなればなるほど、「誰かに受け入れて欲しい」「共感して欲しい」という気持ちも強くなっていきます。
相手に気持ちが向けば向くほど、承認欲求がどんどん強くなる。
でも、承認欲求が強くなると、自分が本当に書きたいことを書けないことを無意識でわかっている。
受け入れてもらえなかったときにダメージを受けるから。
だから、承認欲求から逃がれるために、「誰にも向けないで書く」という結論に至ります。
「誰にも向けて書いてないんだから、共感されなくても問題ない」と自分に保険をかけることができるので。
受け取った相手の気持ちはコントロールできない
ですが、僕が書いたことを相手がどんな風に感じるかは、僕には絶対にコントロールできないです。
僕にできるのは、なるべく誤解なく伝わるように努力することだけ。
投稿ボタンを押したあと、僕にできることはない。
ラブレターを渡したあともそうですよね!(ただ、ラブレターの例を出したかっただけです)
だったら、「誰に向けて書くか」はしっかり決めて、「ここまで書いて共感されなかったらしょうがない」という諦めにも似た覚悟を持てばいいだけじゃないか。
そう思えたら、ずいぶん楽になって、モヤモヤした気持ちはなくなりました。
ちなみに
上記の考え方は「嫌われる勇気」という本を読まないと出てこない発想でした。
http://www.amazon.co.jp/嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え-岸見-一郎/dp/4478025819/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1458573229&sr=8-1&keywords=嫌われる勇気
「自分でコントロールできること」と「自分ではコントロールできないこと」を分ける。
そして「自分でコントロールできること」にだけ注目して生きていけばいい。
という考えが出てきます。(本の中では「自分の課題」「他者の課題」という表現です。)
僕には今までなかった発想だったので、これを知ったとき、めちゃくちゃ得した気持ちになりました。
もうすでにベストセラーですが、まだ読んでない方はぜひ!
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