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行動するときの脳の嫌さ

行動をしていて、例えば何かを解決するために調べ物をしていると頃を想像してほしい。
例えば動画編集をしているところを例にする。
それがひと段落したり、一回調べたそれをやってみてもできなくて、またブラウザに戻ったときに嫌さが発生しているのがわかるだろうか。
ジーンという脳の嫌さである。
僕はここで無意識から意識に引き戻されているのだと思う。
調べ物をして得た知識で、aftereffectとかをいじっているとその間は比較的無意識的だ。
人によっては、いじっている時間が大変な人もいるのかもしれない。
でも僕の場合は試行錯誤している時間はそんなに大変じゃない。
だけど、それらがよくわからなくなって、またブラウザに戻った瞬間に左脳の上の方がジーンとして、youtubeのタブを開いていたりする。
僕はこの感じは、結構勉強でもあるんだろうなと思っていて、問題を解き終わった瞬間とか、まるつけし終わった瞬間とかに、無意識のプログラムが終了して、意識に引き戻されるのである。
そのとき再び決断をするというところに、ものすごい脳圧がかかる。

これを解決したい。
一つには結局意識に戻って行動を選択するには、考え事をしてはいけないと僕の中では思っている。
これをやるぞやるぞやるぞと頭の中で言葉を生成しても、行動は生まれないのだ。
頭の中を空っぽにしてその作業をするということを決めると行動が起きる。
契機を自分で生成すると行動が起きる。
この契機が発生するプロセスはビデオデッキにテープを入れるときみたいだと思う。
まず、頭の中を空っぽにして、テープをその箱の中まで持っていく、そしてある程度まで入れたら、ちょっと強めに押すことで、テープがデッキの中に自動的に飲み込まれていく。
自動的に飲み込まれていくのはもう行動が起きている状況で、ちょっと強めに押すっていうのが、頭を空っぽにしながら、その行動をすることを決断するという契機が発生している瞬間だ。
頭を空っぽにして、VHSのテープをちょっと強めに押すということをしないといけない。
この時に、頭に言葉があったりすると、めちゃくちゃ抵抗が強くて、またテープを取り出して、デッキの蓋を開けてライトとか当ててみて、中にテープ入ってたっけとか確認しないといけなかったりする。

この時に一番大事なことは、一旦混乱した頭をリセットすることだと思う。
そのために一旦、スマホとかを閉じて、youtubeとかsnsを閉じて、寝てみる。
そして朝起きても、それらを開かないですぐに行動に向かってみる。
自分の心からの行動をする。(自分に向き合って行動を選択するというのがすごく大事だと思う。)
行動をしている状態が出来上がって、そして、もちろん飽きる。
その時に、態度とか意識というものを保ってみる。
自分の心からの行動をするという態度を意識してみると、スマホとか動画を見るというのも態度を維持しながら行うとうまくいきそうだという感覚になってくると思う。
こういうのって多分、修練みたいなところがあるんだろうなと思う。

僕の中では、動画とか切り抜きとかで自分が好きな配信を追ってみるとか、ストグラの全貌をある程度把握するとか、いい歌い手を見つけるとか、お笑いの動画を見るとか、ゲームをするとか、そういうことを否定したくない。
だからそこにあるオタク感もこの世界に打ち立てる。
それと同時に、オタクの分野じゃなくて、もっと心っぽい分野の打ち立ても行い続けないといけなくて、それはギターだったり、英語だったり、動画だったり、絵だったり、人に関する資格だったり、統計だったり、文章だったりすると思う。

心の中で心を表現するんじゃなくて、外に出すという心の表現の仕方をしていかないといけないということ。

論文は比較的、はじめに心を使うと思う。
その後の作業の部分は俺の心の使い方じゃないことも多い。
人間の作業って、結構こういうことあるなと思う。

例えば、動画は比較的心を使うことが多いけど、これは心を使ってないなって作業もあったりする。
でもそういう時こそ普通の方法じゃなくて心の方法で作るってことが大事なんじゃないかと思う。
そうでないと、僕のやりたい無意味を殺すとか、自分の形作りたい自分の形にならないと思うから。

抽象から具体にするときも、心の形に配慮する。
自分の中にあるイメージを持ってそれを叩き出す。

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