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お別れ

身近な人が亡くなる。
その人とは、もう逢えない、話せない。
居なくなる。

そんな体験を、みんな何歳くらいで経験するのだろうか。

私が、初めて喪失感でショックを受けた【死】は、20歳のとき。

それまでに、母方の祖父母が亡くなったりしていたが、同居ではなかったし、悲しかったけど、年齢的にもいつか来るだろうという気持ちもあった。

父親の死
それは、私の【死】に対する 受け止め方が変わった。

父は、4人男兄弟の末っ子。
30歳で私が誕生した。
私が幼い頃の父の思い出。
言葉数は少なく人付き合いも下手で会社勤めが苦手で、自営業を始めた。
ひとり親方っ言うのかな。人脈もない、営業も積極的ではない。失敗。
バブル絶頂期に我が家は、貧困真っ只中。
母の収入だけで、やりくりしていた。
なんで?なんで?
あ、うちは父が働いてないから…。

母は、そんな父とよくケンカしていた。
昼から酒を飲む暇があるなら、
仕事をして欲しい。至極真っ当な意見だった。
家の電話は、料金未払いで不通。
ガス、電気、水道が止められたことも、
一度や、二度ではない。

大人がいない時間に、玄関の呼び鈴が鳴るたびに、「お父さん、お母さんは居ません」
公営住宅の家賃も、滞納し退去。

祖母のツテで、借りれた6畳2間のぼろぼろアパートに、父母、私、3つ下の妹と4人で暮らしていた。そんなぼろアパートの家賃も払えないくらい、貧乏生活は続く。プライベートなんて全くない。
友達に、自宅の場所を知られるのが嫌だった。
今、思えばこんな貧困家族。
一日、一日過ぎてゆく。
将来の生活は、不安ではなかったのだろうか?
と、普通は考える。
でも、両親がいるしどうにかなってきている。
まだまだ、私は子供だから。
嫌なことは、たくさんあったけどあんまり考えてなかった。

父が、48歳のとき。
牛乳の販売店を始めた。フランチャイズっていうのか、ひと区画100件ほどの牛乳を早朝に配達する。やっとまともに働き出して、家も賃貸だけど4LDKのビルに、引っ越した。
母は、一度同居に失敗し、親戚中にたらい回しになっていた祖母も父は呼び寄せた。

なんかやっと普通の家として動き出したような気がした。

誰かが、ウチの父のことを
大器晩成だと言っていたが、遅すぎるやろ。
っと、ココロの中で笑った。

これから、ようやく私は普通の家庭になって行くのだろうと、思っていた。

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