嫌いだった「スローライフ」「丁寧に生きる」が好きになったはなし-日本のエコビレッジ-
あーよかった。やっぱり私はふるさとが好き。と思えたお話を改めて。
「スローライフ」という言葉をよく聞くようになって、中刷りにも『田舎でゆっくりスローライフ』とか『丁寧に生きよう』と味噌作りとかしている記事を見ると、なんだかなあ、と思う自分がいて。
社会もローカライゼーションを提唱する流れや、北欧のエコビレッジが注目されるようになり、遠い国の持続可能な村というものが目立っているけれど、日本の古来はスローライフだしエコビレッジだった。いや、30年前くらいも、田舎はエコビレッジだったと私の記憶が蘇る。
私の田舎は福井県の若狭高浜。名古屋で育ちましたが、夏休みや冬休みは祖父母のいる村でほとんど暮らしており、私にとって今では大切なふるさと。
幼い頃、ボットン便所が恐怖だったし、バキュームカーが臭かったし、それを肥料?に使う畑も臭かった。だから夜のトイレは地獄に落ちるようで怖くて1人では行けなかった。
柿や大根が干される横では、蛇が革無し状態で吊るされていたし、
猪や鹿が、檻の中で血だらけになっているとか、猿を目がけて爆竹?が山に投げられたりと、私にとってのローカライゼーションは正にこれ。決して、美しいものでは無く、なんだかちょっと怖くて切ない感覚があって、
だからお洒落にスローライフと言われても、ピンとこなかったのだと思う。
でも先日、ゆっくり小学校ようむ員の上野宗則さんがアトリアに来て下さって『死生観』をテーマに笑と涙満載でお話してくれた。
その中で、スローライフ・ゆっくりとは田舎に住むとかいう話じゃなくて『つながり』だよって教えてくれた。
そうだ、
死を考えることは生きるを考えること
自然や生き物に触れることはいのちを知ること
ましてや、生き物が血だらけになって食べ物に変わるプロセスを目の当たりにすることは、恐怖を感じながらも、いただくことを感じること
そうやって全てにつながって、生かされていることを知ることこそ、スローライフなんだと。今までモヤッとしていたことが流れたのでした。
そして、死生観を対話しながらも、大笑い⇄大泣きを繰り返したあの時間は、対極の感情だからこそ生きてると感じられた貴重な時間に。本当に上野さんは素敵でした。
環境としては怖い記憶が多い中で、それでもやはり、ふるさとが愛おしく感じるのは、大好きだった祖父母との思い出がそこにあり、つながっているからだと再認識できた今。
これからもっと繋がっていくのだろうと思います。私のアイデンティティがやはりその地にあるから。
今は、私の両親が高浜にはおり、
10年ほど前に早期退職してUターンした父は、里山再生を地道に成し遂げており、北欧にも決して引けを取らないローカライゼーションと自然の循環を創り出しています。
①ビオトープ たがめやらどじょうやら、なんやら(私は虫が苦手だか息子たちは大好きです)
10年前はただの沼でした。毎日手入れをしているよう。
②蓮の花と半夏生の畑(左が父です)
ここも全て荒地だった所。失敗を重ねながらも、年々花を咲かせるようになり、今では遠くから華を観にくる方が増えました。
③『俺の家』という名のカブトムシハウス(孫の為におやじ達が集って作ったハウスは毎年取り壊しては作って、町外の子達もあつまるようになっている。)
④水車(村の大工さんとかが集って作ったらしい。)
以上、北欧と列ぶ生命力が溢れる村人たちによる、日本のビレッジ。決してデンマークに学ばなくとも、持続可能なローカライゼーションは日本の田舎にたくさん溢れています。
ただ1つ、そこに無いのは『こども』なんですね。やはり少子化の歯止めが利かない日本。
日本全体の課題だとしたら、直撃するのはやはり地方で。交通・医療・そして教育のインフラが弱いところから打撃を受ける。
東京に住む私も、どうやったらこのふるさとを持続可能なビレッジとして、後世に残せるかを考えています。
もうすぐ北陸新幹線も敦賀まで通り、その先小浜まで行けば、都心との2拠点も可能になる日は近いです。
その時のために、今から息子たちと準備をしていこうとも思い、先ずは繋がるアクションを移しています。遠くのエコビレッジもいいけれど、日本の持続可能な村を一緒に考えませんか?まだ元気な団塊世代と資源は残っていますから。
若狭湾は海の幸も豊富。父が釣った鯛の山。
福井県若狭高浜町はこちら。
MACCO
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