いい加減、自己満と内輪受けを打破しませんか?~改めて言っておきたい五つのこと
何度も何度も繰り返し見てきた光景が、また眼前で繰り返されようとしている。もううんざりである。
これがかれこれ7年前。キリスト教ギョーカイの内向きっぷりには慣れきっているので、もはや何も驚かない。齢50に近づき、巷ではすでに「ソフト老害」の域に片足突っ込んでいるとの自覚はありつつ、いまだ「若手」と言われてしまう界隈の超高齢化を嘆く一方、後進のためにどうしても言わなければならないことがある。これまでの繰り返しになるかもしれないが、改めて以下5点に絞って提言しておきたい。
1 外に出ろ。
2010年代「妖怪ウォッチ」が一大ブームを巻き起こしたころ、教会は「妖怪ヒキコウモリ」にとりつかれていると指摘した。殻に閉じこもって外に出ない。来る者は拒まないものの、自らはあえて出ていかない。閉じられたコミュニティで事足りてしまっているので外部の第三者に通じる言語を持たず、極度に露出と批判を恐れて身構える姿勢を、皮肉を込めてそう表現した。
「井の中の蛙」のたとえを持ち出すまでもなく、「大海の広さ」を知らない蛙は孤立しかねない。狭い砦に籠城したまま、安全は確保されるかもしれないが、ひたすら壁を越えて、大海に漕ぎ出すべきだ。
「異なる意見」を持つ者は当然のように尊重されるべきだし、立場の異なる者による議論こそ大いに推奨されるべき。
キリスト教系だから、クリスチャンだから、聖書の記述だからと無批判にこぞって全肯定してしまう愚(批判を許さない空気)は、まさに「盲目的な信者(ガチ勢)」のコミュニティから「にわかファン」をさらに遠ざけてしまうことになりかねない。「これだから宗教はアブナイ」との偏見を助長させるだけ。
これを避けるためには、常にアツくなりがちなガチ勢の「推しへの愛」を自制しつつ、身内に過ちや失態があれば素直に認めて襟を正し、「にわか」にも開かれた風通しの良いコミュニティ作りを希求し、「盲目的な信者」だけではないことを内外に知らしめ、それでもなお推すに足る信仰の対象として信頼を得るしかない。
とりわけ小心者の「島国」出身者は、「ホーム」で勝負したがる。気心の知れた仲間がいて、ほとんど顔見知りで、身内にしか通じない用語でもコミュニケートできて、初対面の人が少ない場。でも、そこに留まっている限り成長も発展もない。意識的に「アウェイ」での他流試合を買って出なければ!
ここがロドスだ、ここで跳べ!!
2 身内で群れるな。
初めて参加したイベントで、すでに顔見知りらしい参加者同士が楽しげにあいさつを交わし、そのコミュニティでしか通じないニックネームや隠語で「にわか」そっちのけで盛り上がっていたらかなり感じ悪い。せめて丁寧な説明と紹介があるべき。ガチ勢の閉鎖性って、そういうとこ。
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