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安倍晋三写真展に行った(2022年11月)

故・安倍晋三氏を偲ぶ、写真展に2022年11月に参りました。
この記事は、行けなかった人に見せるために作りました。
見たい人見てください。

それでは、ヒアウィゴー!!👍✨

会場の、東京タワーの勇姿。

あまり行き慣れない場所なので、うろっとしてしまいましたが、
無事、会場発見。

入口の案内です。さすが、良い写真が使われていますね😊
会場内は撮影OKでした。ただし、写真のみの撮影は遠慮してくれとのこと。
なので、斜めからの写真ですが、雰囲気だけでも見ていってください🌸

さあ、会場に入りますよ。

良い笑顔です。見るだけで安心させてくれるような・・。
さあ、展示に向かいましょう。

こんな風に写真が展示された通路を進んでいきます。
所々に、安倍氏の発言がボードに貼られていました。

日本領土領海は、そして何より日本人の命断固として守る
日本中で叩かれた安倍氏、そしてついに暗殺された安倍氏の、政治行動は
これだけだったのではないでしょうか?
日本と日本人の命と誇りを守りたい。そうできる国にしたい。
それの何がいけなかったのでしょう。まかろんには分かりません。

もう2つ、ボードをご覧ください。

トランプ前大統領のみならず、首相を退いても海外首脳たちに
シンゾーはどう言ってる、と言動を気にされていたそうです。
国葬の是非で騒がしい頃、新聞でそう読みました。

さあ、どんどん行きましょう。

オバマ大統領、そして原爆ドームでの写真が見えますね。

あああ〜。これは伊勢サミットの時のですね。伊勢神宮参拝の写真です。
個人的には安倍氏の写真の白眉とも言えるもので、正面から撮りたかったです。
でも、我慢しました💦

外国の方には日本神道の荘厳さなど分かりづらいでしょうが、
後に安倍氏は、日本のハート文化と伝統を感じ取ってもらえたようだった、
と述べていました。

LGBT法案の押し付けなど、米国欧州はやはり、日本人(アジア人)
蛮国の民、低級民族と思っているのです。
日本の人たちはそのことを忘れてはならないと思います。

低級民族と思われると何がいけないのか。
すべての交渉が、足元を見られてうまくいきません

余計なLGBT法案で米国の関心を買わないといけなくなったり、
領地領海侵犯をしている中露は交渉のテーブルにもつかない。
日本を見下げたがる北朝鮮の拉致問題も同様。
韓国の侮辱的な反日行為も、謝罪と金を次から次へと要求されるばかりで、
一向に改善しません。

個人も、海外赴任をすれば自国の評判の影響をもろに受けます。

だから日本は立派な国だと認識されることは大切なのです。

こうした機会に、先進国首脳たちに、日本は歴史が深い国で、
高い文化をもつ尊敬すべき国のひとつなのだ、と分かってもらえたらと
思います・・・🙏

これも伊勢サミットの写真ですね。
世界と渡り合う気力が充実した安倍氏と首脳たちの笑顔がまぶしいです😊

ダライ・ラマ14世との写真。カターというスカーフを贈られています。
心からの敬意の証、とのことで、すごく名誉なことです。
安倍氏が亡くなられた時も、丁重な弔辞が届きました。
安倍氏は、チベットウィグルの人権弾圧に何かしてくれる存在だと、
心から期待された存在だったのです。
在日チベットコミュニティも、真摯な哀悼を捧げました・・・。


トランプ大統領在任時の写真。
奥に、トランプ氏に真摯に手を握られる、有名な写真が見えますね。😊
破天荒なトランプ氏にとって安倍氏は、欧州とつないでくれる中和剤のような
存在だったのではないでしょうか。

ちなみにオバマ氏が国際会議(G7?)で突っ走った時も、
安倍氏がうまく落とし所を提案してうまく収めた逸話があります😊
出席した先進国首脳全員の面子を救ったのです。大感謝されたそうですよ🌸

バイデン大統領との写真。
そしてあああ〜〜、その奥はポスターにも使われた、靖国神社参拝の写真です🙏
国内外からの批判をはねのけての、日本国首相としての鎮魂の参拝。
その気構えが現れています。


北朝鮮拉致被害者の集会での写真。横田早紀江さんとの写真です。
安倍氏は首相就任どころか、父・晋太郎氏の秘書だった頃から
拉致問題に取り組んできたと聞いています。

終始一貫北朝鮮への「圧力」を主張して、首相就任後は、
拉致問題を内閣の最重要課題として掲げました。

それが口先だけのことだったかは・・
安倍氏逝去時に被害者家族たちからあがった、
「いつも一緒に戦ってくれた」という言葉に現れているのではないでしょうか。


国防の要、自衛隊にたいする安倍首相(当時)の言葉です。

安倍総理は、戦争になれば自衛隊員犠牲になるということ、
彼らにはみな家族がいるということ、
そして、自分がその命令をくだす最高責任者であるという認識が
とても強い、稀有な日本首相でした。

安倍内閣で国家安全保障局次長を務めた兼原氏などの本によると、
いくつもの場面で、安倍総理は、
「(尖閣諸島を巡って)戦争になれば、自衛隊員何人死ぬのか」
「(この作戦で)自衛隊には何人ぐらい犠牲者が出るんだ」
と会合で問うたそうです。

そして数千人の犠牲が出る、と聞くと、驚き、
顔を引きつらせながら理由説明を聞いていたそうです。

それらの本のひとつによると、
「安倍総理から『日本は勝てるのか』と言われましたが、
この質問をしたのは、これまで安倍総理一人だけです」

安倍総理は自衛隊員の命と誇りを、本当に大切に思う首相でした。

防衛大の卒業式には日本国首相が必ず臨席します。
一般の大学のものと違い、防衛大の卒業式の後には、つづけて
自衛官としての任命・宣誓式が行われます。

しかし、安倍氏以前では、その任命式は学生服のままで行われました。
学生たちが学生服から自衛官の制服に着替えて、また戻る。
総理大臣は分刻みのスケジュールを割いて、
それを待っていなければいけなくなるからです。

これは些細なことのように思われるかもしれませんが、
卒業生たちと、送り出す防衛大関係者には、やはりすっきりしないことなのです。

国を守る自衛官としての任命・宣誓式は、
真新しい、陸・海・空の制服に身を引き締めて臨みたい。

そこで長期政権が確実となった安倍氏に、当時の防衛大校長が
そのように変更ができないか、お願いしたそうです。
安倍氏は「それで結構です。自衛隊最高指揮官として最後までいます
と即断したそうです。

国土に攻め入れられれば、国民が多数殺されます。
それを守る、最前線に立つのが自衛隊の人たちです。

彼らの命と誇りを預かるのが内閣総理大臣です。
その、心構えの姿をご覧ください。😊


さて、内閣総理大臣は内政・財政・国防・外交問題だけ
取り組んでいるわけではありません。

日本のスポーツ界振興も仕事のうちで、
ここでちょっと楽しい写真が並んでいました😊

あ、奥にリオ・オリンピックの閉会式で披露した
安倍マリオが見えます。あの頃、誰が想像したしょうか。
コロナやウクライナ侵攻や、安倍氏ご本人の暗殺、など・・・。😭

ここでは撮らなかったですが、撮れば良かったかなー。

何かのインタビューで。


さて、ここからはカメラマンの公式写真ではなく、
萩生田自民党政調会長提供の、秘蔵写真が並べられていました😊


公務での昭恵さんとの写真。
安倍マリオ。世界は今より平和で呑気だった。
平成16年:幹事長代理時代。
「至誠」の文字。安倍氏が敬愛する吉田松陰が好んだ言葉だという。
・・達筆ですね!


菅元首相の弔辞で紹介された、最後の読みかけの本。
「かたりあひて 尽し丶人は 先立ちぬ 今より後の 世をいかにせむ」 
線を引き、蛍光ペンで印をつけていたのは、なにか予感があったのか・・。


(右)平成24年(2012年):交詢社オープンフォーラムでの基調演説
(左)平成25年:長嶋茂雄氏の国民栄誉賞授与の後、インタビューでバッティングフォームの真似を。


平成31年:北朝鮮拉致被害者救出を訴えてきた五嶋氏・櫻井よしこ氏と一緒に。
「国際社会で仲間がいるかどうかも大切です。(略)初めて日米印首脳会議を開きました」
国際平和の枠組みに、インドを重要な要として位置づけた。
その眼力は、「地球儀を俯瞰する外交」の真骨頂と言えるだろう。


日本の魂に、日本国民を代表して万感の礼を捧げる。
(左)平成25年(2013年)伊勢神宮での「遷御の儀」に参列。
現職首相として戦後初。
(右)令和元年「即位礼正殿の儀」。
新たに即位された天皇陛下に万歳の寿ぎを捧げる。


平成27年(2015年):戦後70年談話。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命 を背負わせてはなりません。」
安倍氏は謝罪外交から日本の子供たちを救いたかったのです。真に国民を想う首相でした。


激務と重圧の中での、穏やかな瞬間。
(右)令和元年:新年号発表を終えて、新聞社のインタビューに、「令和」の色紙を掲げてみせた
(中央)同年?:在職日数が歴代1位に。
(左)同年?:インタビューでの笑顔。


写真展会場の入口ポスターに使われた写真。
令和4年(2022) 7月2日:立川での応援演説。
・・この6日後、凶弾にたおれる。


令和4年(2022) 7月11,12日:
通夜・葬儀が営まれた増上寺(東京)に設置された献花台の写真と人々の様子。
同年9月の国葬の、会場近くに設置された献花台にも、同じ写真が選ばれた。

奥には国葬の写真が並んでいますね、撮れば良かった・・😭
この時はまだ、国葬の記憶が新しすぎて、まあいいやって。

どんなか見たかったよ、って人がいたら、ごめんなさい・・。🙏


そして、会場から出てパチリ。



安倍晋三、1954年(昭和29年)9月21日生 - 2022年(令和4年)7月8日没。
享年67歳。

って6、たったの67歳だったのか・・。

失礼、死ぬにはあまりに若い年齢に、改めて驚いてしまいました。

まだ、まだやっていただきたいことがたくさんあった。
睨みを効かせてほしいことが、たくさんあった。

ここからは個人的な思いですが、
でも思えば、安倍さんが生きてらした頃は、我々はどこか、甘えていた。

そうでないよって方も多いかもしれません。
ちゃんと国内外の問題に、目を配り、声をあげてきたって。

そういう方にはごめんなさい。🙇‍♀️

もっとふんわりとした、世間の風潮みたいなことですが、
日本ヤバいねって思っていても、でも安倍さんがいるから大丈夫、って。

それから、どんなに安倍さんが叩かれても、
まさか殺されはしない、その活動は、理念は壊されはしないだろうって。

なんて馬鹿だったのでしょう。


そしてついでに言っておきますが、
日本叩きに夢中の日本の方々(はこの記事をここまで読まないだろうけど)、
いくら日本を叩いても、自分たちを日本人でございって顔させてくれる、
国家は潰れないとでも??

外国に侵略されたら、その国の低層国民にランク付けされるんですよ。
奴隷扱いです。あなたも、あなたの子供、孫、その先まで。
一旦、その枠組みが固まったら、抜け出ることはできません。

宗主国に一生、こびへつらい、いつ監獄に送られるか分からない人生を、
宗主国にへつらった者だけが美味い汁を吸う社会を、
日本全国が送ることになるんです。

その暴力と不平等の格差は、今の日本の比ではありません。
アベガーだのきーきー言ってた人に、その屈辱が我慢できると思えないんですが。


ともあれ・・
安倍さんを応援していた人たちも、どこか大丈夫って思ってたのでは
ないでしょうか。(私だけかもしれませんが🙇‍♀️)

我々は安倍さんを、独りで闘わせてしまった。

だからあんなに杜撰な警備に安倍さんを放ったらかしてしまった。

アベなんか死ねって、世間の声が怖くて黙っていて、
充分に守ってあげられなかった。

そう思うと・・今でもとても、哀しいです。

でもだから、安倍さんの死は全国民に示したんです。
大事なことは何なのか。
それは黙っていたら、ある日突然壊されちゃうんだってことを。

安倍さんが護ろうとしてくれたことの、最大の守護者はもう、いない。

私たち一人ひとりが、護らなきゃいけないんです。

大事なことなら、護らなきゃ。


安倍さんの死が必要だったなんて気持ち悪いことは言いません。
生きててくれたら、その方が良いに決まってる。

でも結果として、もういなくて、それなら。

安倍さんから、その理念はちっぽけな我々一人ひとりの心に。

そう、思えてならないんです。


ここまで読んでくださって、ありがとうございます。
今日はたまたま、天安門事件の日です。
中国はいまだに自国の民の虐殺を認めていません。

中国の脅威を世界に先駆けて認識し、
「戦後レジームからの脱却」を日本最大のテーマと掲げ、
日本をもう一度、世界の平和に提言できる、誇りある豊かな国へと。

そう舵切りをしてくれた安倍さんのご冥福と、
安倍さんが愛した日本国に住まう、皆さまの心豊かな平和な毎日を。

まかろんは願います。

安倍さん、今日も日本は美しいです。
・・まだ。


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