ともだちは海のにおい
ぼくはいま、まいにちたいせつなひです。
久しぶりに昔好きだった本を読んだ。それは相変わらず温かくて、今の私に結構ぶっささった。
あさめがさめると、いつも、きょうはたいせつなひだとおもいます。だなんて、人間の私より、いるかの方がしっかりしている。おかしい。
まいにちたいせつ、という感覚は、どこに置いてきてしまったのかな〜。私にも、そう思っていた時期が少しはあったと思うのだけれど。大人に近付くことはいいことばかりでもないよ、と昔の自分に言いたい。物事の良し悪しがわかるようになってしまったし、何かを見て見ぬふりすることも覚えた。世の中を、純粋な感情ひとつでするりと生きることは、もうできない。
まいにちたいせつでいるためには何をすればいいのだろう、と思ったけれど、何かをする、というのがそもそも間違いなのだと思う。たいせつをたいせつにするために、特別な何かはいらない。それがわかっていてもまいにちたいせつ、とは中々なれないのでやっぱりいるかはすごいと思う。
私は好きなお菓子を頑張った日の特別なご褒美にしているのだけれど、自分の頑張ったを頑張ったにしてはいけない気がして、ご褒美が溜まっていく一方である。いるかは、特別じゃないけどたいせつだからてまりで遊んで、まんとを着て、きゃんでーを食べた。そういうのでいいんだな〜と思う。頑張ってるとか、特別とか、そういう曖昧なもののハードルを自分で上げてしまっていたけれど、それは少しもったいないかもしれない。
確かに、人生は、まいにちたいせつなひ、なのだ
まいにちご褒美があってもいい
どうせいつ死ぬかわからない身だし、まいにち楽しいならそっちの方がいい。だから、まいにちたいせつ、の気持ちでいれたらいいな〜と思う。
いるかとくじらが変わらず温かくて、よかった。