久保史緒里と言葉の力

 2024年5月12日、乃木坂46山下美月卒業コンサート2日目。
 久保史緒里は『言霊砲』に乗せて、卒業する山下へ思いを伝えた――


1章 言葉にすることは、それを自分で認めること

1.1 言霊の力――乃木坂46オーディション

 久保史緒里は、言霊の力を信じている。

 彼女は乃木坂46のオーディションを受けた時のことについて、2023年に発売された写真集の中で次のように語った。

歌とダンスが大好きな女の子は、小学6年生の時に乃木坂に出会う
「もともとキラキラした世界への憧れもあったので、乃木坂46のパフォーマンスに一気に魅了されたんです。それとともに“アイドルになりたい”っていう気持ちが芽生えました。でもなかなか両親には言えなくて。初めて打ち明けられたのは、中学2年生の時。乃木坂46の3期生オーディションが始まる直前でした。“次に乃木坂46のオーディションがあったら受けるね”って、恥ずかしさもあったので軽い口調で宣言したんです。そしたら偶然にもその3日後、3期生募集が発表されて!これは運命だと思いました。(中略)その頃オーディションに先駆けて、乃木坂46を目指す子のためのセミナーが各地で開催されました。(中略)ずっとずっと会いたかった乃木坂46のメンバーを前にして、とにかく大興奮(笑)。その少しあとには山形県での乃木坂46のアンダーライブにも行くことができ、初めて生でライブを見た瞬間“私は絶対に乃木坂46に入る!”という思いがさらに強いものになりました。自信は全然なかったけれど、言霊を信じて毎日洗面台の鏡に向かって“乃木坂46に入れますように”って唱えていたんです。(後略)」

乃木坂46 久保史緒里1st写真集 交差点 [1]

 これほど切に乃木坂46になることを祈っていた一方で、彼女がその思いを自覚したのは2021年に行われたインタビュー中のことであった。

 でもなんで私、乃木坂46に応募したんだろう? 確かに乃木坂46に対しては憧れはあったけれど、『とりあえず受けるだけ受けてみよう』ぐらいの気持ちで、本当はずっとファンでいたかったんです、私。いや、でも、やっぱりなりたかったのかなあ……
(中略)
 私は昔から自分の本当の思いや夢を誰かに言えない性格で、『乃木坂46になりたい』って気持ちも押し殺していたんだと思います。『なりたい』という気持ちすら自分に気付かせないようにしていたのかもしれません。私は地元が大好きだったし、親にも『一生地元を離れない』と言っていたから、『自分は一生宮城にいる人間なんだ』と自己暗示をかけていたというか。
 それこそ乃木坂46の動画を何回も何回も見て、振り付けを覚えて踊るっていうことを当時からやっていたんですよ。なので、『とりあえず受けてみた』なんて言いましたけど、心の奥底では『乃木坂46の一員として、ステージの上で踊れたらどんなに幸せなんだろう』という気持ちがあったんだと思います。オーディション前のセミナーにも、親には『(堀)未央奈さんが来るから行く』と言ったけど、私はその時点ですでに乃木坂46に入りたくて仕方なかったはず。
 改めて振り返ってみて、今ようやく5年前の自分の本当の気持ちが分かりました。どうやら私、ずっと乃木坂46に入りたかったみたいです(笑)

WHITE graph 008 [2]

 これが久保史緒里である。

 毎日洗面台の前で「乃木坂46になりたい」と唱えていた人が、「なりたかったのかなあ……」などと話すのは一見奇妙であるが、ここで私はその奇妙さを指摘したいわけではない。
 むしろ、彼女ほど発言に一貫性と連続性があるメンバーはいないとすら思う。彼女の思考の中に矛盾はない。

 厳密に分解して考えれば、ここには時間のずれがある。
 「乃木坂46になりたい」と唱えていたのは応募後のこと。応募前には気付いていなかったその思いが、いざ選考が始まる中で爆発していったのだとも考えられる。
 加入して間もない頃のインタビューを読んでも「応募した後にアンダーライブを観て、自分の中で絶対なりたいという思いがさらに強くなって。生まれて初めて人生を賭けたいと思いました」 [3]「(引用者注:4次審査では)乃木坂46が好きで「受かりたい」という気持ちだけは誰にも負けないと思って、そのまま何もないことを伝えました。実際、私の生活には乃木坂46しかなかったんですよ」 [4]と語っており、応募後の思いについては元より自覚があるようだった。

 しかしそれよりも注目したいのは、改めて「なぜ乃木坂46に応募したのか?」と考えた時に、すっと「乃木坂46になりたかったから」と答えられないその重さである。
 何の気なしにはそれを言えないのだ。そしてそれほど重大な思いだからこそ、彼女は当時抱いていたはずのその気持ちを押し殺し、このインタビューまで心の奥底に閉じ込めていたのだ。

 言葉にすることの重さは、裏を返せば、言葉にできた時の重さでもあろう。だから彼女の言霊は、強い。

1.2 言霊は本当にある――『Seventeen』モデルオーディション

 乃木坂46のオーディションに続いて、久保が言霊の力を実感することになったのが、『Seventeen』モデルのオーディションだった。
 『Seventeen』モデル加入から数か月後のインタビューで、彼女は次のように答えている。

――もし1年前の、まだ何の経験値もない自分にタイムマシンで会いに行けるとしたら、どんなアドバイスをしてあげたいですか?
(引用者注:一緒にインタビューを受けていた山下の回答は省略)
久保 私は「ネガティブ早く卒業しろ」って言ってあげたいです(笑)。前は周りに迷惑をかけるネガティブで、メンバーに「私なんか」とか「もうダメだ」ってずっと言っていたから、聞いている人達は面倒くさかったと思うんですよね。でもこの1年で私は本当に言霊ってあるんだっていうことを学んだんです。あるきっかけでネガティブなことを言うのをやめて明るいことを言うようにしたら、そこから実際に夢が叶ったり自分がいい方向に動き出したので、「早いうちにネガティブやめとけよ」って言いたいですね。
――そのきっかけとは?
久保 (セブンティーン)モデルのオーディションです。実はずっと本当にやりたい夢だったから一切メディアにも言えなくて、それぐらい自分の中でのやりた過ぎが凄かったんですよ(笑)。マネージャーさんにも「私はどうしたらいんだろう」って相談しながら泣くぐらいの感じで。その時に「久保はネガティブを直せれば絶対に変わるよ」って言われたから、じゃあオーディションまでの期間にネガティブを卒業しようって決めて、毎日鏡に向かって「モデルのオーディションに受かりますように」って言ってたら合格出来たんです。だから言霊はあるんだってそこで学んで、ネガティブな発言をしなくなりました。

MARQUEE Vol.124 [5]

 やりた過ぎて言えない。モデルに合格する少し前に行われた西野七瀬との対談記事を読むと、その片鱗を覗くことができる。

久保 自分のやってみたい事を口にするタイプじゃなくて。そんな私でもやりたいことを実現するためには、どんなことをしていけばいいでしょうか。
西野 (中略)ブログに好きなことを書くと目に留まることだってあるから……。でも、好きなことはないんだっけ?
久保 (頷く)。
西野 そうかー(笑)。
久保 ただ、ファッション関係の仕事もしたいなと思ってるんですけど、3期生はそう言ってる子が多いから言えなくて……。

EX大衆 2017年7月号 [6]

 彼女のことを知らなければ、とてもじゃないがやりた過ぎる人のようには見えないだろう。しかしこれで精一杯なのが、当時の彼女だったのだ。

 また、モデル合格以前の様々なインタビューを読んでいると、彼女のあまりの自虐っぷりには驚く。何を褒められても否定し [7]、自分を色に例えるなら「くすんだ灰色」と言い [8]、電車とホームの隙間にスマホを落とした人を見かけて「私が電車に乗ってたから」と考えてしまう [9]。

 しかしその後は、そのレベルでのネガティブの印象はない。
 先のインタビューを一緒に受けていた山下によれば、「夏ぐらいから変わったよね。それまでは本当にヤバイ子で、大丈夫かなって思ってた」「みんな励ましたいけど励ませないレベルで、邪悪なオーラが出ていた(笑)」とのことだった [5]。
 久保は自身で言う通り、モデル合格で言霊を学んだことで、ネガティブから卒業を果たしたのだ。

1.3 言霊が導いたもの――大河ドラマ、センター

 その後に久保が目標として頻繁に語るようになったのが、お芝居のことだ。言霊を学んだ彼女は、やりたいことを口にできないかつての彼女ではなくなっていた。
 一方で、元来のネガティブさが完全になくなったわけでもなかった。活動休止も経験した。彼女は自信の無さと粘り強く戦いながら、しかし目標を口にし続けた。

 「やりたいことは演技なんだと最近気がつきました」 [4] 「1つ具体的な目標を言うのであれば、将来、お芝居の道に進みたい」 [10]「この機会(引用者注:セーラームーンミュージカル)を経て、来年はお芝居に力を注げる年にしたいと思えました」 [11]「ずっとやっていきたいと思っているのは、お芝居に挑戦したいということ」「乃木坂46の外に出て、まだ一人でお芝居をした経験がなくて、まずはそういう経験をするところから始めていきたい」 [12]……。
 そして2021年、遂に彼女は連続ドラマ『クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術』と舞台『夜は短し歩けよ乙女』への出演をつかむ。

 出演を終えた彼女は、「私の5年間の蓄積は間違っていなかったんだと思えて、『時間はかかっても、あきらめずにいよう』というマインドを持つきっかけにもなりました」 [2]と大きな充実感を得ていた。
 さらに2024年の今になっても、この経験は大きな転機だったと彼女は振り返る。自信がなく、「申し訳ない」という気持ちをずっと抱えていた彼女にとって、「申し訳なさをぬぐえはじめたのは2020~2021年ぐらいのころかな」「連続ドラマに初主演したり、初めて単独で舞台に出演したり、モデル以外の活動も広がりはじめて。これが私にとってかなり大きな出来事だった」とのことだ(なおこれは『Seventeen』モデルとしての活動を振り返るインタビュー内での発言だが、申し訳なさを抱えていたのは「ST㋲としてに限らず乃木坂46の活動面でも同じ」と言及されている) [13]。

 大きな自信を得た彼女は、さらなる目標として「あえて言うなら、今まで乃木坂46のメンバーが誰も通っていない新たな映像の道を開拓したいです。結局、なんで映像にこだわるかというと、乃木坂46の名前をさらに広げたいからなんですよね。そうなると、まだ私たちのことを知らない方たちにも見ていただける作品に出演するのが1番なので、話題になるような映像作品に挑戦したいんです」と口にした [14]。そして、乃木神社での成人式で絵馬に「未開拓の地へ」と記した [15]。
 その1年後、大河ドラマ『どうする家康』への出演が発表される。現役乃木坂46メンバーとしては初の大河ドラマレギュラー出演 [16]。まさに有言実行。情報解禁日にたくさんの人から祝福の連絡をもらった彼女は「それを目指して私はやって来ていたから、涙が止まらなかった」と言う [17]。

 時を同じくして彼女は、センターに立ちたいという目標も口にした。
 2021年に行われたインタビューで「心配をかけてしまった先輩方に、一番わかりやすい形で「変わりました」と伝えられるのがセンターだとしたら、そこが目指したい場所だと思うようになったんです」 [18]と彼女は初めて、センターを目指すと公言したのだ。
 それは昔から抱いていたものの口に出せずに、そして諦めかけていた夢だった。

後輩が増えると同時に、先輩方は順々に卒業を発表され、グループ内でも私は少しずつ先輩という立ち位置に。なのに私はずっと新曲のポジションが変わらなくって。気がつけばグループに加入して5、6年が経過していた頃で、“これ以上何を頑張ったら前に行けるんだろう?”と悩んだり、“もうセンターは無理なんだろう”と、半ば諦めの気持ちも出てきた時期もあって。そんな折、新内眞衣さんから“久保はまだ諦めてない”と言っていただいたんです。その時初めて“あ、私まだ諦めてなかったんだ”と気づかされました。ほかの先輩方からも“久保ちゃんはいずれセンターになる”、“久保がいれば乃木坂46は大丈夫”というありがたい言葉をいただいて、もっと上を目指していいんだと思えるようになっていきました

乃木坂46 久保史緒里1st写真集 交差点 [1]

 乃木坂46メンバーの中でも珍しいセンター宣言を、自信の無さに長く苦しんできた久保が行う。それは彼女の心境の大きな変化を表しているようだったし、言霊でたくさんの目標を叶えてきた彼女らしくもあった。

 それがすぐに叶ったわけではなかった。しかし彼女は諦めなかった。
 センター宣言から1年以上が経った頃のインタビューで、ポジションへの思いについて問われた彼女は、「私は気にします」「乃木坂46の大事な局面を任せてもらえる人間でありたいなと思うから」「ポジションは諦めていないです!」 [17]と力強く答えていた。

 ところで加入したての頃のインタビューに、秋元真夏とのこんなやり取りがある。そこにいたのは、強烈にネガティブだった頃の久保だ。

――久保さんは、いつか自分もセンターに立ちたい、という気持ちはありますか?
久保 いや、申し訳なさすぎて……。
秋元 立ってほしい!
久保 できないです~。私はセンターに立てる人間じゃないです……。
秋元 こういう子がなるんですよね。いつか、この記事を読み返したときに「あんなこと言ってたけど、私、センターなってる!」って思う日が来るかも。
久保 私、絶対にならないと思います。
秋元 乃木坂46の歴代のセンターの子たちはみんなそう言ってたよ。「私は絶対にならないタイプ」って。
久保 じゃあ、私は、たぶん例外になると思います(笑)。

BUBKA 2017年3月号 [19]

 果たして、秋元の予言通り、久保は2023年に発売された32ndシングル『人は夢を二度見る』でセンターに選ばれる。

あとどのぐらい先に
目指す場所があるのかがわからなくて。
果たして目指すべきものなのかな。とか。
目指しちゃダメなんじゃないかな。とか。
踏んだペダルの数だけ空回りをしている感覚に
悩んでいたのも事実です。
 
別に、漕ぐのをやめることだってできた。
 
それでも折れずに腐らずに
目標に向かって
ペダルを漕ぎ続けられたのは、
応援してくださる皆様の存在があったからです。
 
いつも皆様は、
応援を温かい言葉にして、
私に伝えてくださる。
なのに私は、
夢を抱いても、心の中で唱えるだけ。
ズルいなって思いました。
ちゃんと向き合いたい。
それでいて、
ちゃんと闘いたい。
だから私は誤解されてもいいから、
夢を言葉にすることに決めました。
 
温かい言葉の力がどれだけ大きいかということ。
そして、
どんな形であれ、
止まらずに前に進んでいれば、
開かないドアはないということを
身をもって証明したかった。
 
 
 
6年と半分。
 
 
時間はかかってしまいましたが、
これまで私と出逢ってくださった
全ての方のおかげで、
今回、この場所に立つことができました。

乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ『32枚目シングル』2023/2/20 [20]

 言葉にするということは、自分のその気持ちをしっかり認めるということ。だから夢を言葉にすることは、自分を逃げられない状態に追い込むこと、自分に夢への歩みを課すということでもある。安易に認められない人ほど、認められた時の気持ちは強い。それが言霊となって自分を導いてくれる。
 そしてさらに、言葉を周囲に共有することは、ファンの需要に応えるため、アイドルとしてファンと「ちゃんと向き合う」ためでもあるが、簡単に逃げられないように自分への制約を増すという意味もあるだろう。それが彼女にとっての「ちゃんと闘う」ということだったのではないだろうか。

 ちゃんと闘った彼女の言霊は、強かった。

1.4 言葉にしないこと――乃木坂46という居場所

 言葉にするということは、それを自分で認めるということ。だから時に、言葉にするということは、それを自分に許すということにもなってしまう。
 夢は言葉にすることで、自分に力を与えることができた。逆に甘えは言葉にしないことで、自分に力を与えることができる。

 2019年のインタビューで「“私の居場所”と言われたらどこ?」という質問を受けた久保は、「乃木坂が私の居場所だ」と言うのは「甘えじゃないですか?」と述べた上で、その心理を以下のように説明した。

「私がちょっとひねくれているからそう思っちゃうんでしょうけど、なんて言うんだろう……もちろん居心地はいいんですけど、乃木坂を自分の居場所にしちゃったら、私はきっと外に出ることを拒むと思うんです。外で1人でお仕事させていただくことを拒んでしまう。“私にはここに居場所があるから、その必要がない”って勝手に割り切ってしまう気がするんです。でも、『乃木坂が自分の居場所』っていう言葉を使わないことによって、外に出て1人で活動した時に、乃木坂という場所の大切さを、再認識できるような気がして」。
(中略)
“ここが自分の居場所だ”と思うことを「それは甘え」だってとらえるその厳しさも、すごいですよ。
「いやいや。あとはあれでしょうね、私の場合は、ここを居場所にしちゃったら、自分の弱さが浮き彫りになるから怖いんだろうなと思います。『乃木坂が私の居場所です』って言っているのに、『乃木坂のためにじゃあ、あなたは何ができますか?』って聞かれたら、きっとすぐに私は答えられないから、力不足の自分に気づいてしまう。それが答えられないうちは、乃木坂を自分の居場所にしてはいけない気がしています」。

blt graph. vol.53 [21]

 これが久保史緒里なのだ。

 それから1年が経った2020年、彼女の乃木坂46に対する想いは一段上のステージへと移る。
 コロナ禍でグループから距離を置いたことが、逆に自らのグループへの想いを再認識する機会になったのだ。また、『Route246』期間にダンスを頑張った結果として周囲からの評判を得たという経験により、努力のモチベーションも一段上がったと言う [2]。
 その結果彼女は、「今までの人生でいろんなものを好きになってきましたが、上限を超えた領域に達することができたのは、乃木坂46が初めてで。『あっ、ライン超えた!』ってはっきり分かったんですよ!(笑)」という状態に至る [2]。
 そして、上限のラインを超えてからは「グループのために自分は何ができるのかをずっと考えています」と述べる [2]。

 しかし、2021年2月に公開されたドキュメンタリー『僕たちは居場所を探して』では、彼女はまだ満足する答えを出せていないようだった。

まだやれると思ってるからですかね。全然満足してないし、まだやりたいこともあるし。乃木坂に人生助けられてる人間が、乃木坂に何も返さないでただ去っていくってめちゃめちゃ失礼な話じゃないですか。だから、「これ乃木坂の力になれてるかも」って思う瞬間が訪れるまでは、辞められないですね。

『乃木坂46ドキュメンタリー 僕たちは居場所を探して』 [22]

 このあと、先述したようにドラマ『クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術』と舞台『夜は短し歩けよ乙女』に出演するなど、彼女は大きな自信を手にしていく。それと共に、答えが見え始める。

●となると(引用者注:「上限を超えてからはグループのために何ができるかをずっと考えている」という久保の発言を受けて)、「好き」の熱量もさることながら、久保さんがグループ加入前に抱いていた「好き」と今の「好き」では意味するものが別物になったのでは?
「まったく違いますね。今は『乃木坂46のためにどこまでできるか』と聞かれたら『何だってできる』とはっきり答えられます。
 改めて乃木坂46での活動を振り返ると、私はすごく先輩に恵まれていたと思います。(中略)だからこそ、『先輩方が愛してきた乃木坂46という場所を、自分の代でなくしてたまるか』とも思いますし、『ちょっとでも落としてたまるか』と思っています。
 そのために、『自分がどういう努力をすれば乃木坂46を新しい場所に連れて行けるんだろう』というのをずっと考えています」
●「どういう努力をすれば」という課題に対して、答えは見えていますか?
「今はお芝居かなと思います。自信があるわけではないですけど、自分のやりたいことがお芝居なので。そして、私が今お芝居をできているのは先輩方が道を作ってくださったからなので、私も新しい道を作らないと辞められないなと思うんです。なので、お芝居を通してまだ行ったことのない場所に行きたい。……とはいえ私が作るべき新しい道が本当にお芝居なのかはまだ分からないので、歌やダンスなどいろんなことに挑戦している真っ最中です」

WHITE graph 008 [2]

 甘えを言葉にしないことで自らに力を与えていた彼女は、深い愛と自信を得たことで、モチベーションの持ち方が前向きに変化していったように映る。もはや、「それは甘え」という気の張り方は必要なくなっていたのではないだろうか。

 そして2023年、彼女は大河ドラマ『どうする家康』への出演を果たす。加えてドラマ『落日』や舞台『天號星』などにも出演したその年を振り返って、彼女は次のように述べた。

乃木坂46には生田絵梨花さん(21年卒業)という先駆者がいらっしゃいますが、私は生田さんとは師弟関係にあると勝手に思っていて。なので、同じ道をたどって背中を追うのではなく、また違う道を切り開きたかったので、そういう意味では23年はようやく生田さんに並走できたのかもしれないという気がしています。

日経エンタテインメント! 2024年2月号 [23]

 「私が今お芝居をできているのは先輩方が道を作ってくださったからなので、私も新しい道を作らないと辞められない」と意気込んでいた彼女が、「ようやく生田さんに並走できたのかもしれない」と言う。それは、彼女がものすごく大きな手応えを獲得したことの証のように思われる。
 すなわち彼女は、「乃木坂46のために何ができるのか?」という問いに対して、「お芝居」という答えに遂に辿り着いたのではないだろうか。

 また2023年は、乃木坂46にとって3期生が1番上の世代になるという世代交代の年であった。そんな中で彼女は、自らのグループにおける役割についても、はっきりと言葉にできるようになっていた。

(前略)私は(引用者注:キャプテンの)梅の右腕とまでは言わないですけど、なるべく彼女と同じ気持ちでいようと意識していました。梅が今何を考えているのか、何を思っているのかを察知して、その問題を1つでも私が解消できるようにと動いていました。それこそ、ちょろちょろと水が流れ出ている道の蛇口をちょっとずつ閉めていくような(笑)、そういう役割ができたらなと考えたんです。

日経エンタテインメント! 2024年2月号 [23]

梅が背負わなくてもいい負担をもらってるという感じです。今年3期生が1番上になったから、「大変だな」とか「不安だな」とか迷いを“一切”見せない人間でいてやろうと思ってます。誰かがだーんとなってても、馬鹿なフリして「明るくハッピー♪」って。そんなキャラじゃなかったのに、なってみようかなと実は企んでます(笑)。先輩たちを見てて、そういう人って必要だなと思ったので。先輩みたいにはなれないですけど、嘘でもそうなれたら、自分がまだ乃木坂にいる意味があるのかなと思ったり。

Monopoly【初回仕様限定盤Type-C】 [24]

 その正解は彼女に聞いてみないと分からないが、今ならもう、「乃木坂が私の居場所です」と彼女は言えるのではないだろうか。
 いやむしろその先の、「乃木坂はまだ私の居場所なのか」という問いに彼女は直面しているのかもしれない。

2章 言葉にすることは、他者に影響を与えること

2.1 言葉を発信すること――ブログ、インタビュー、ラジオ

 ここまで、言葉にするという行為について、主に自身に与える影響という側面から、久保がどのような選択を行ってきたかを見てきた。
 しかし言葉にするという行為には、他者に影響を与えるという側面もある。彼女はこの点についても非常に意識的であり、言葉を広く人に届けることができる立場として、その影響力についても自覚的である。

 2021年、20歳を迎えた日のブログに、彼女はこう綴った。

言葉が持つ力をもっと信じたい。
 
言葉は時に、武器のようにして
襲いかかってくることがあります。
望まずとも、その瞬間は時々やってくる。
その事実を、決して忘れずに、
自分は言葉を盾にできるように、
強く意識していきたいです。
そしていつかは、
その盾で大切な人を守れるように。
自分の経験が誰かを救えるならば、
強く、強く生きようと思います。

乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ『20歳になりました。』 [25]

 そして、このブログの意図について問われた際に、「私はブログだったりインタビューを通して、自分の言葉を発信できる立場にいるので、誰かの支えになるような言葉を発していきたい。言葉を通して、少しでも誰かを守れたらいいなと思っています。言葉は剣にも盾にもなるはず。今、剣の力が増しているのなら、同じくらい盾も強くしていかなくてはと思うんですよね」と話した [14]。
 さらに、「言葉は無限に組み合わせがあるから正解もない。同じ言葉でも響く人もいれば、響かない人もいる。なので、すごく曖昧な感じでしか届けられないんですけど、だからこそどう表現するかにはこだわっていきたい」と信条を語った [14]。

 2022年、SNSを中心に乃木坂46を取り巻く剣の力が増す中で、『N46MODE vol.2』に彼女が寄せた「手紙」はその最たる例であっただろう。
 彼女は、「乃木坂らしさ」とは個性を認め許し抱きしめる「優しさのカタチ」だと表した上で、「先輩、同期、後輩。全員を守りたい。全員で前へ進めみたい。そんな乃木坂46を応援して頂きたい」と綴った [26]。

 また、彼女は2022年からラジオ『オールナイトニッポン』のパーソナリティーとしても活動している。まさに言葉を発信する仕事に就いた彼女は、「私のことを応援してくださるファンの方々って、“言葉”を大事にして、気持ちを直接届けてくださる方が多いんです。私も同じようにこのラジオを通して、言葉を届けることを大事にしたいです。ラジオだけでなく、SNSやブログなどでも。たった一文でも一言でも、私の言葉に触れてくださった方の心に引っかかるといいなと思いながら話しています」と述べている [1]。

2.2 言葉で伝えるべきなのか――4期生と5期生

 あるいは久保が言葉を届ける対象には、同じ乃木坂46のメンバーもいる。そして、何を言葉にすべきで、何を言葉にしないべきなのか、その選択に彼女は真摯に向き合っている。

 彼女のその葛藤が表れた例として、2019年に行われた『3・4期生ライブ』のリハーサルでの出来事がある。
 1・2期生の先輩がいない、後輩だけで行うライブ。リハーサルの雰囲気に課題を感じた彼女は、メンバーに意識改革を訴えた。

「リハーサルができる環境とか、ライブができる環境への感謝が感じられなかったんですよね……、リハーサルに臨む姿勢から。リハーサルをするにも、音楽をかけてくださる方がいて、それを動画に残してくださる方がいて、振りを教えてくださる方がいて、メンバーだけじゃ何もできないのに。先輩のおかげでライブを度々させていただいているっていうのもあって、そういうことを当たり前に感じているような、たるみが見えたんですよ。私はじゃあ、ちゃんとそれができているかって言われたら、自信はないですけど、ここはリハーサルをする場だから、練習をする場だから、失敗してもいいから全力でやって、フリだけじゃなくて歌もちゃんと歌うべきだとも思って。だから、そういうことを伝えて、それをやっていかないと本番には間に合わないっていう話をしました」。
(中略)
「4期ちゃんに向けてそういうことを言ったのかなって思われるんですけど、どちらかといえば3期に向けて言ったところがあって。やっぱり先輩たちの姿を見てきて、私はそういうことを思ったし、なら3期生が行動を起こさない限り、4期生には伝わらないと思ったから……。それで、言ってみたんですけどね」。

blt graph. vol.53 [21]

 梅澤美波によれば、この久保の訴えが「“このままじゃだめだ”って、みんなが思ったきっかけ」となり、メンバー同士で話し合いを設けるなど明らかな変化をもたらしたそうだ [27]。

 久保自身、今までなら思ったことがあっても言えなかった自分が、先輩がいない状況で「私が言うしかない」と決心して言えたことに一定の手応えはあったようだ [21]。
 一方で、「言葉で伝えた」という選択については、力不足を感じてもいた。ライブから数か月後のインタビューで、彼女はこう話している。

「(前略)今思い返すと、私が言葉にしてしまった時点で、負けていたんだろうなとは思います」。
どうしてですか?
「だって、それを言葉じゃなく、行動で伝えられるのが1番じゃないですか。言葉にしてしまった時点で私は引っ張っていける人ではないんだなっていうことが分かりました。間違いではなかったかもしれないけど、それが最善の策だったとも言えないのかなと思いますね」。

blt graph. vol.53 [21]

 「行動で伝えられるのが1番」。その真意は、あれから3年後、5期生に対する接し方について答えたインタビューを読むと理解しやすい。

「(前略)当時、4期生にはここをこうしていこうっていう“道しるべ”を言葉で伝えていたんですよ。それこそ『3・4期生ライブ』の時には『もっとリハーサル、ちゃんとやろう』みたいなことを言っていたんですけど、5期生には言葉じゃないなと思っていて。私たち先輩から5期生に対して何かしてあげるんじゃなくて、5期生の子たちがどれだけ先輩のことを、自分の目で見て、自分の意思で、自分から動いていくっていうことが大切になる気がしていて。それができないと、これからの乃木坂46はないと思うので、自分の口から何か言うってことは今、してないんです」。
言葉じゃなく、行動で伝えたいと。
「はい。4期生とは(活動期間が)2年っていう差しかなくて、私たち3期生が先輩として未熟だったというのもあって、行動だけで示せる力をつけていなかったから、口で言うしかなかったんですよね。でも今は、それじゃもうダメな気がしています。私も、5期生も。(後略)」

B.L.T. 2023年3月号 [17]

 2022年に放送されたテレビ番組『MUSIC BLOOD』では、5期生に対して「憧れの先輩は?」というアンケートをとった結果、久保が圧倒的支持を得て1位になったという出来事があった [28]。
 「行動で伝えたい」という久保の思いは、しっかりと後輩に届いているのではないだろうか。

3章 負けず嫌いの行く先

3.1 他人と比較しないように言い聞かせて――活動初期の苦悩

 久保は、負けず嫌いだ。
 3章では、久保が自身の負けず嫌いな性格に向き合ってきた歴史を、「言葉」との関わりに注目しながら見ていきたい。

 2023年になって彼女は、2017年に18thシングル『逃げ水』で大園桃子と与田祐希がセンターに選ばれた当時のことをこう振り返っている。

それまでずっと3期生として一緒に活動してきて、そこからふたりだけがいろんな歌番組やイベントに出ているのをただ見るしかなかった時期っていうのは、すごくもどかしくもあり、きっと悔しくもあったと思います。もちろん、ふたりに対して『頑張って!』という気持ちもあったけど、それを素直に言葉にできなかったので、当時のふたりに何もしてあげられなかったことは、いまだに後悔してます。ふたりはどちらかというとすごくほんわかしていて、特に桃子は周りに勧められてアイドルになった子だったから、乃木坂46になりたくてなった私の目をすごく気にさせちゃってたんだろうなと思います。私、闘志がすごかったから(笑)。それが、ふたりをすごく窮屈な感情にさせちゃってたんだろうなって思うと、本当に申し訳なかったなって今も思います

乃木坂46公式書籍 10年の歩き方 [29]

 「闘志がすごかった」。特に『逃げ水』選抜発表のさらに前、乃木坂46に加入したばかりの頃の彼女は、他人と自分を比較してネガティブになってしまう性格だった。
 しばらく活動を続ける中で、『3人のプリンシパル』(2017年2月)の後くらいの時期から、彼女は他人と比較するのを止めようと考えるようになったと言う [6]。

誰かが今、雑誌の撮影をしているとき、自分が寮の部屋にいたりすると辛いんですよ。でもほんと最近、考え方が変わって。今呼ばれてないんだったら、いつかこの先で呼ばれるように努力しておけばいいんだって考えられるようになって

アップトゥボーイ 2017年4月号 [30]

すごいネガティブなので、他の子は撮影とかいろいろお仕事が入ってるけど自分には何もやることがないとき、急に涙が止まらなくなって。それくらい本当に気にしちゃうタイプなんですけど、今はその考えが変わって、いつか自分を呼んでいただけるような人になれるように、今じゃなくて未来を見据えた行動を取ろうと考えるようになりました。未来のストーリーを作るのは自分であって、その未来の自分のヒントが今の自分というか。未来の自分がどうなっているかは今の自分にかかっているので、そういった意味では今は差があっても、今自分ができることを精一杯できるよう、切り替えるようにしています

BRODY 2017年6月号 [31]

以前までは、ちょっとの差だけですごく比較してたんですよ。なんであの子はできるおに、私はできないんだろう……って比較しばかりしていて。でも、今はしなくなりました。それがいいことか悪いことか分からないけど、比較する相手が「昨日の自分」だっていうことに気づいたんです。自分を越えられない人間が、他人を越えられるわけがないので、まずは昨日の自分を越えていこう、っていう考え方に変わりました。

BUBKA 2017年8月号 [32]

 このように話しているからといって、実際には彼女がそう完全に変化したわけではなかった。この後も彼女は、他人と自分を比べて苦しい思いをすることになる。
 しかし、マインドに一定の変化があったのも事実であろうし、また、インタビューにおいて繰り返しそう答えることで自らにそれを言い聞かせる効果もあったのではないだろうか。言葉には、1章で見たような「自分の中にある気持ちを認める」という使い方もあれば、「自分をなりたい方向に変えようと意識づける」という使い方もあるのだ。

 2017年7月に放送された『逃げ水』の選抜発表は、彼女がそのように自身の性格と葛藤している頃の出来事であった。
 当時の彼女のインタビューからは、あくまでポジティブな方向で、同期がセンターに選ばれた悔しさを受け止めようとしている様子が感じられる。

おなじタイミングで活動を始めたけど、やっぱり自分はそこには入れない、まだそこまで行ってない人間なんだな……って、自分に対しての悔しいという感情がすごく湧きました。

BUBKA 2017年10月号 [33]

――(前略)18thシングルの選抜発表で大園(桃子)さんと与田(祐希)さんが選ばれたとき、悔しい思いはもちろんあったと思うんですけど、そんなに引きずらなかったですか?
久保 そうですね。悔しいって思いを今まで何度かしてきたんですけど、もし悔しい思いをしたんだったら、なんで悔しいかっていうのをまず考えるタイプで。悔しいって感情があることは、逆に次に進める気がしてて。誰かと比べて悔しいって思っても、その相手に対しては、むしろ頑張って欲しいって思うんですよ。その子が頑張ればこっちも燃えるので。私のやる気を起こすために影響をひとつもらったって思うようにしてます。

BUBKA 2017年11月号 [34]

――久保さんは(引用者注:『逃げ水』が披露された)『Mステ』ご覧になりましたか?
久保 自分とは重ね合わせずに観ていました。
――客観的に観られた?
久保 ほかの3期生が雑誌グラビアに出ているのと同じ感覚で、「おぉ~、出てる!」っていうふうに観ていましたね。その時期にふと思ったのが、たしかに2人が選抜に入ったのはすごいことだし、センターもすごいことだけど、よだももと私たちの間に一線を引きたくなかったんです。与田ちゃんと桃ちゃんと私は違うって一線を引いちゃったら、終わりだと思ったんですよ。
――伊藤さん(引用者注:同時にインタビューを受けていた伊藤理々杏)に近い考え方ですね。特別視しないというか。
久保 『Mステ』のときはしてなかったかもしれないです。あっ、でも泣きました。すごい泣きました。
――泣いたんですね(笑)。
久保 憧れとか悔しさとか、いろんな感情で泣いてた気がします。

BUBKA 2018年1月号 [35]

 確かに「すごい闘志」である。
 ただし、久保の名誉のためにひとつ補足しておくと、彼女は本当に「当時のふたりに何もしてあげられなかった」わけではない。
 例えば2021年のインタビューで与田は、当時のことを振り返って「ライブのリハにもなかなか参加できませんでした。『後で個人的に先生にレッスンを受けなきゃ』って思っていたら、久保ちゃんが私の分まで立ち位置の番号をメモってくれていました。あれはうれしかったですね」と話している [36]。
 久保は、ちゃんと力になっていたのだ。

 その後、2018年4月発売の20thシングル『シンクロニシティ』で久保は初めての選抜入りを果たす。しかしこの時も、彼女は他人と自分を比較することを止められなかった。そしてそれが、ネガティブな方向へ作用していってしまう。

久保 (前略)『シンクロニシティ』で選抜に入れていただけたのは、「成長して欲しい」というような意味があって選んで頂けたのかなって思って活動はしていたんですけど、私の場合はそのプレッシャーに押しつぶされてしまったんです。
――「3期生の選抜入り」には当然「未来への期待」という意味が込められていると思うんですが、そのプレッシャーに負けてしまったわけですね。
久保 「私にチャンスを与えてくださった」「ここで頑張って欲しいって気持ちがある」と考えた時にそれに応えようとしすぎてしまって。それがいちばん大きかったです。期待していただくのは、こんなにありがたいことはないってぐらいありがたいですが、でもそのプレッシャーに押しつぶされてしまって。あと、なんだろうな……同期のみんながすごい輝いて見えたんですよね、その時期。

BUBKA 2019年3月号 [37]

 2018年夏、彼女は全国ツアーの欠席と21stシングルの活動休止を発表する。

3.2 追いかけていることを認めて――「くぼした」の歴史

 山下は2024年5月の卒業直前に出演した『オールナイトニッポン』で、久保について「本当に戦友というか、一緒に戦ってきたからこそ、ここまで来れたなって。私はすごく感謝してます」と語った [38]。
 そして久保も、山下の卒業直後の同ラジオで「山下がいない“乃木坂人生”は、多分本当につまらなかったと思いますから。彼女がいてくれて、今すごい楽しく乃木坂やれてるなと思うので。『山下が久保にとって山下はどんな存在でしたか?』って言われたら、いなければいけない存在でした」と語っている [39]。

 そんな久保と山下は、二人合わせて「くぼした」と呼ばれている。それは、本人たちにとっても、ファンにとっても特別な関係だ。

 最初は、大人が決めた立ち位置でしかなかった。2016年12月、『お見立て会』でのシンメのポジション。
 その後二人は、2017年2月に開催された『3人のプリンシパル』で大きな活躍を見せる。観客投票で選ばれる二幕への出演数が二人は飛び抜けて多く、結果としては1回差で久保が最多出演数を勝ち取る。
 そして、「くぼした」はライバルだという見方が広まっていった。

 当時のインタビューを読むと、二人がお互いを高め合っている様子が伺える。

「私、みーちゃんには敵わないと思ってる部分があって。それこそアイドルらしさを兼ね備えていてなんでもできちゃうし、本当にすごいなって思うんです。いつも追いかけているけど、それだけじゃダメだと思うから、私は努力し続けるしかないんです」(久保史緒里)
「自分よりも2つも年下なのに、何もかも上を言ってる(原文ママ)のが久保ちゃん。全部完璧で、全然追いつけない。私は歌もうまくないしダンスも全然できない、演技もそんなに……だから、もっと久保ちゃんみたいに歌もダンスもうまくなりたいという思いで、熱意と努力だけで続けているところがあるかも。逆に久保ちゃんがここまでじゃなかったら、自分もこんなに必死になっていなかったかもしれない。(後略)」(山下美月)

BRODY 2017年6月号 [31]

 ただし、山下は「私と久保ちゃん、それまではライバルと言われることもなかったし、シンメであることも強く意識してなかったけど、『プリンシパル』を観たファンの方たちが「久保史緒里と山下美月はバチバチで、追って追われる関係なんだ!」と想像してくれて(笑)。私たちのこれからの長いアイドル人生を考えると、それってひとつの面白い出来事なんだろうなと思うんです。アイドルってエンタテイメントじゃないですか!」 [40]と、一歩引いた目線でその関係を捉えてもいた。
 後年になっても、山下は当時のことを「周りが勝手に私と久保を比べたがるみたいな……」「どうしてもみんなが競わせてくる」 [29]と振り返っていて、ファンが本人たち以上に盛り上がっていた側面もあったようだ。

 ライバルだと過剰に持ち上げるのは違っていたかもしれないが、2017年夏、18thシングル『逃げ水』で大園と与田がセンターに選ばれた際に気持ちを分かち合っていたという点でも、「くぼした」はやはり特別な関係だった。

――3期生として3枚目のオリジナル楽曲『未来の答え』で、久保さんと山下さんがWセンターに選ばれました。
山下 『逃げ水』の選抜発表を受けて、「まだまだ行けるぞ」と思ったのが久保ちゃんと私だと思うんです。18枚目がすべてじゃなくて、この先何十枚とシングルを出す機会を経験していくはずで、いまはその通過点だから。今回、よだちゃんとももちゃんがセンターに選ばれたことは同期として誇らしいし、「先を走ってくれてありがとう」という感謝もあるし、私たちも2人に刺激されて頑張らなきゃいけない。焦りじゃなくて希望を持ったんです。久保ちゃんもそう思ってる気がする。勘違いだったら申し訳ないけど。
久保 ううん。そう思ってる。(間を置いて)センターを経験して……失礼な話になっちゃうかもしれないけど、今回に関してはセンターという考え方をしてないんです。選抜のセンター2人より前にいるわけで、それをファンの方はどう思っているんだろうという気持ちが最初はあって。だけど、いまはポジションじゃなくて、3期生としての曲をいただいたことのありがたさを噛み締めながら活動しようと思ってます。いつかは3期生もバラけて活動していくと思うし、そのタイミングがいつ来てもいいように常に全力でやらなきゃいけない。
山下 分かる(しみじみと)。
(後略)

EX大衆 2017年10月号 [33]

 あるいは後年、山下が卒業する際に久保は二人の思い出を以下のように振り返っている。

例えば4人で雑誌の撮影して、与田と大園の2人はその後も仕事があるけど、私と山下は暇……みたいなことが結構あったんですよ。で、2人で『やることなくなっちゃったね』って言って、ファンの方に向けて配信をしようって言って、自分たちで配信をしたりとか。2人が初選抜でセンターになってるのを、たまたま同じタイミングでテレビで観て、『何か泣ける』って言って一緒に泣いたりとか、そういうことをしてたから、一緒に泣いた数の方が多分多い。

乃木坂46のオールナイトニッポン 2024/05/15 [39]

 『三期生単独ライブ』の時にも同じ悩みを抱え、インタビューで語るアイドル像も同じ。当時久保は、山下との関係を「前世で会っている」とまで表現した [32]。

 ところで、久保は3.1で見たように他人と自分を比較してネガティブになりがちな性格であったが、山下も当時は周囲に対して劣等感を抱いていたと振り返っている。

『逃げ水』のときは挫折していた時期というか、つらい時期でした。3人(引用者注:大園・与田・久保)といると、ものすごく自分に劣等感を感じてしまうんです。3人とも天才肌じゃないですか。ありがたいことにいろんなお仕事をいただいていたけど、大きな結果を残せてるかと言われたら残せていないし、自分は面白みのない人間だなと思ってて。すべてが無難と言うか、『私がいなくても、誰か違う人が入っても全然成り立つんだな』と思っていました。そんな中で、『逃げ水』の期間を与田と大園は乃木坂46のセンターとして違和感なくちゃんと存在してたわけだし、久保ちゃんも仙台のPRや『Seventeen』のモデルのお仕事もやっていて。その頃、私も含めて4人でお仕事をする機会も多かったんですけど、『なんで私はここにいるんだろう?』『私、ここにいてもいいのかな?』って場違い感みたいなのをすごく感じていました。『山下もちゃんと結果を残せるんだぞ』っていうふうに思ってほしくて必死になっていたけど、でも、必死になればなるほど全然ダメだな私……と思えてきて、つらかったです

BRODY 2018年10月号 [41]

 そんな劣等感を、山下は映画『日日是好日』への出演をきっかけに和らげていく [42]。
 さらに、舞台『美少女戦士セーラームーン』やドラマ『神酒クリニックで乾杯を』への出演、『CanCam』モデルへの就任など、活躍を積み重ねていった。

 一方で久保は2018年夏、活動を休止する。

    ◇

 復帰して半年ほどが経ったのち、久保はインタビューで山下について次のように語った。

――山下(美月)さんなんかは、自分が誰かと比べられることから目を背けない上に、ブレずに努力し続けられる強さがありますよね。
久保 そうですね。山下は自分が誰かと比べられても凹まないんですよ。私は落ち込んでしまう。その違いがすごい羨ましいし、今の私が欲しい力はそれです。山下はすごくかっこいいです。遠くに行っちゃった気がします……。今となっては山下は本当に良い存在です。前は気にしちゃっていたけど、今は山下を見ていると頑張ろうと思えるし、私の夢を山下がどんどん叶えてくれるから、後に続こうって思えるんです。私も少し大人になれたことで、悔しいという気持ちよりも頑張ろうって気持ちの方が大きくなりました。(後略)

BUBKA 2019年3月号 [37]

 「後に続こう」。その言葉には、彼女なりの変化が感じられる。
 さらに、その半年後。それは山下がシングルの活動を休止し、戻ってきた後のインタビュー。『電影少女 -VIDEO GIRL MAI 2019-』に出演を果たしてきた山下について、久保は次のように語った。

 山下には隣にいてほしいと思ってしまいますね。そのためには私が山下に追いつかなきゃいけないですよね。山下はすごくて、私はいつも見上げているから。そんな状態が自分の負担にならなくなったことが、私の中の大きな変化かもしれません。
――山下さんがお休みしている間は自分がしっかりと待たなきゃという気持ちでしたか?
 そうですね。私にできることはないなと思いつつ。山下が戻ってきた時、逆に私が「お待たせ!」と言えるくらい自分を確立していることがベストだったんですけど、まだまだ足りなくて。私のやりたい映像のお芝居を経験して戻ってきた山下はめちゃくちゃキラキラしていたんです。また離されてしまって、「悔しいな」と思いました。もっと頑張らなきゃいけないですね。
――素直に悔しさを口にできることも強さだと思います。
 言えるようになったんです(笑)。

EX大衆 2019年9月号 [43]

 素直に悔しさを口にし、「追いつかなきゃいけない」と語る。
 2024年になって彼女は、「追いかける」という表現の苦しさとそれが自分にもたらした変化について話している。「どこかで踏ん切りをつけた」というのが、まさに2019年のこの頃だったのではないだろうか。

――『人は夢を二度見る』の選抜が発表された後のブログで「6年半、走って追いかけてきた」と書いていたのが印象的でした。
久保 それを書くのはすごく苦しいことでした。「追いかける」ということは後ろを走っていることを認めることになるから。だけど、自分はそういう立場だという自覚があったので。それを認めないと並べないし、自分が前に進めないと思ったので、どこかで踏ん切りをつけたんだと思います。私、めっちゃ負けず嫌いなんで。本当は認めたくないんです。でも、認めてからはわかりやすい目標ができたので、走りやすくなりました。そこまでの葛藤はすごくありましたけど。

BUBKA 2024年5月号 [44]

 言葉にすることは、それを自分で認めること。「追いかけている」のを認めることには、良い面も悪い面もある。
 「本当は認めたくない」という心理は、本能的にその悪い面を感じ取っているように思われる。競い合うために張っていた緊張の糸が切れてしまうことで、頑張れなくなってしまう可能性もある。
 一方で、その自覚から目を背け続けることも、精神的な無理をきたす。認めることで、逆にそれが目標になり、「走りやすく」なる意味もある。
 彼女が大きな葛藤の後に「認める」という選択をしたのは、果たして大きな一歩となった。

    ◇

 2019年11月に行われた『3・4期生ライブ』。「くぼした」の二人が、久しぶりにステージのセンターに立つ機会が訪れる。
 ライブ後のインタビューで「思い出深い1曲」を聞かれた山下は、次のように答えていた。

1曲に絞るのは難しいなぁ。でも、気合が入ったのは『不眠症』(19thシングル『いつかできるから今日できる』収録)です。好きな曲ですし、初めてカップリングセンターを、久保ちゃんとやらせていただいた思い出の曲で。あの時の自分は選抜に入ったこともまだなかったですし、とにかく緊張して先輩たちの足を引っ張らないようにしなきゃっていう思いで、真ん中に立っていたんです。でも、あれから2年経って、いろんな経験をして、久保ちゃんも私もお互いに休んだ期間もあったけど、ようやくまた2人でステージの真ん中に立って歌えるのは、久しぶりで楽しみでしたね。終わった後、久保ちゃんとメールで『“不眠症”、良かったよね』みたいな話をしたりもして。ほかの曲は割とオリジナルの振りで踊らせていただいたんですけど、『不眠症』は椅子を使ったりもしたので、新しく作ってもらった振りだったんですよ。だから、全曲の中でも一番時間がかかったんじゃないかな。そのおかげで、かっこよくパフォーマンスができて、成長したなって自分たちでも感じながら歌っていましたね

B.L.T. 2020年2月号 [27]

 そしてこのライブを機に、久保は改めて山下を追いかける意志を言葉にした。

私を迎え入れてくれた彼女の笑顔。
私たちはいつも近い距離だけど
背中合わせに
違う方向に向けて前進
していたかもしれないけれど。
今回向き合えた瞬間を忘れません。
これからも追い続けます。
くぼした、好きだ。

乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ『ガラスの向こうの温度』2019/2/12 [45]

 山下を追い続けた久保は、2020年7月、再び山下と並ぶ機会を手にする。それが、配信シングル『Route246』のポジションだった。
 当時の配信番組において、二人はその喜びを語り合っている。久保視点では追う立場・追われる立場に変わってしまっていた二人だったが、「くぼした」はそのどちらにとっても大切な関係だったのだ。

久保 嬉しかったことがあって……誕生日に「新曲、シンメ嬉しい」って連絡くれて。「山下が言ってくれるの!!」って思って。本当に泣いた。
山下 誕生日の深夜に送って。返事が、「今まで気持ち悪いって思われたくないから言えなかったけど」みたいな。「いや思わないよ! 嬉しいよ!」って思って(笑)
久保 最近、山下が『不眠症』もしかり、言ってくれるから嬉しくて。
山下 こういう大所帯のアイドルグループって、センター以外には対になる人が絶対いる訳じゃん。個人的に、そこのバランスを重要視してるの。「自分って誰が一番合うのかな?」って考えたところ「やっぱ久保ちゃんだな」って思ったし。久保ちゃんの方が歌もダンスも全然私より上手いし、私なんかが「シンメになりたい」というのもおこがましいと思っちゃうんだけど……でもやっぱり好きなの、このシンメが。
久保 どうしよう。嬉しすぎる。
山下 本当に好きだから、嬉しかった。2列目のセンター裏っていう、とてもありがたいポジションを頂いて、歌番組とかでもカメラに映る機会が多いじゃん。「今まで二人が個人個人で経験を積み上げて頑張ってきたものを、この曲で出せるんだ」と思ったらすごい楽しみになった。
久保 同じこと思ってたよ。私こそ、山下とのシンメは本当に好きなの。自分としてもすごい好きだけど、「そこに立っていい訳がない」とずっと思ってて、「私が頑張らないといけないな」とずっと思っていたから。山下がそういう風に言ってくれて、こういう関係だからこその嬉しさってあるよね。
山下 そう。ひとりひとりでも久保ちゃんは輝いているし、ひとりひとりでももちろん私たちは頑張っていけるけど、こうさ、二人で行きたいじゃん。それを今回の曲で伝えたいです。

乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂 2020/07/25 [46]

 この時、久保はまだ山下に追いついたと思えた訳ではなかった。しかし、山下からの連絡は久保にとって非常に大きな意味を持ち、山下を追いかける意欲を高める機会となった。

 (前略)やまとの距離が縮まったのは『Route246』がきっかけなんです。初期にシンメやWセンターをやらせていただいたこともあって、意識しすぎて互いに一歩も踏み込めない状態が続いていました。
 だけど、『Route246』の時期にやまから「久しぶりのシンメだね。うれしい」と連絡があって、私のほうがすごくうれしくなっちゃったんです。ずっと追いかけてきたやまからのメッセージに、「私も頑張らなきゃ」と思うことができました。あの連絡がなかったら、シンメになっても「比べられてしまうんだろうな」とネガティブな感情になっていたかもしれません。それからグッと仲良くなって、楽屋でもたくさん話しているんです。でも、いまもやまの活動に悔しいと感じることはあるし、いつか追いつきたいと思ってます。ライバルじゃなくて、やまが原動力になっているんです。

EX大衆 2021年10月号 [18]

 久保にとって2021年は、ドラマ『クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術』や舞台『夜は短し歩けよ乙女』への出演と、グループの外の世界に出てお芝居をする機会をようやく得ることができた年であり、大きく歩みを進めた年であった。
 一方で山下も、26thシングル『僕は僕を好きになる』で初めて表題曲のセンターに立ち、『着飾る恋には理由があって』で地上波プライム帯の連続ドラマに初出演するなど、さらなる活躍を積み上げていた。
 久保が進めば、山下はさらに進んでいる。だから久保にとって山下は「いつか追いつきたい」存在として原動力であり続けていた。

 そんな中、2022年5月に行われた『10th YEAR BIRTHDAY LIVE』の『今、話したい誰かがいる』で、久保は山下と並ぶ機会を得る。

 山下美月ちゃんって同期なんですけど、彼女とは結構ダブルセンターで曲をもらうことが多かったんです。だけど最近そういうのがなくて、私がもっと頑張らなきゃなと思っている中で、まさかこのバースデーライブという大きいライブのタイミングで、ダブルセンターをさせて貰えたのも嬉しかったです。
 本番に山下美月ちゃんがニコッとしてくれたんです。感動しちゃって私、ウルっときちゃったんですけど。分かんないけど、彼女もすごくこのダブルセンターを喜んでくれている気がして勝手に。すごい嬉しかったので、私にとってものすごい思い出の一曲になりました。今回のバースデーライブの中でも、かなり思い出に残った楽曲でした。

乃木坂46のオールナイトニッポン 2022/05/18 [47]

 「彼女もすごくこのダブルセンターを喜んでくれている気がして」という推測はまさにその通りで、同ラジオの1か月後の放送にゲストで来た山下は、リハの時点で感動して泣いていたことを明かした。そして二人は「エモかったね」と語り合った [48]。

 その年、山下は朝ドラ『舞いあがれ!』に出演するなどさらに活躍の場を広げていく。
 一方で、山下を追いかけてきた久保も、2023年の大河ドラマ『どうする家康』への出演という大きなチャンスをつかむ。

 そして遂に、2023年3月発売の32ndシングル『人は夢を二度見る』で久保と山下がダブルセンターに立つ。
 それは、「くぼした」の歴史が始まってから6年半。『逃げ水』の選抜発表で二人が悔しさを共有したあの夏から6年弱。あるいは、将来に大きな期待をかけられた二人がカップリング曲『不眠症』でダブルセンターに立った時から5年半。
 二人が頑張り続けて、久保が山下を追いかけ続けて、長い時を経て遂に叶った表題曲でのダブルセンターだった。

加入してまだ一年にも満たない頃、
先輩方に囲まれる中、
共に真ん中に立ってくれたあの時から、
遂に、同期と後輩だけになろうとしています。
時が経ちましたね。
あなたの隣に立つのに相応しい人になりたくて
6年半、走って追いかけてきたことは、
悔しいけれど事実です。
ただそれは、
あなたが頑張り続けてきてくれたからこそ、
出来たこと。
ありったけのありがとう。
これからは、
一緒に、乗り越えて行きたい。
背中合わせもいいけど、
どうかこの期間は共に前を見させてください。

乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ『32枚目シングル』2023/2/20 [20]

3.3 正直な気持ちを打ち明けて――後輩との壁

 久保は、同期に対してだけではなく、後輩に対しても負けず嫌いだった。
 これまで見てきたように、負けず嫌いなことは悪いことばかりではない。彼女は負けず嫌いだったから、ネガティブになって苦悩することもあった。しかし彼女は負けず嫌いだったから、それを原動力にして成功を収めることができた。

 だがかつての彼女は、後輩に対して過剰に負けず嫌いになってしまい、うまく接することができないでいたようだ。
 そんな中で大きな転機となったのが、2019年に上演されたミュージカル『美少女セーラームーン』での早川聖来と田村真佑との共演だった。それはまだ、彼女が活動休止から復帰して1年ほど、山下を「追いかけている」のを認められるようになった頃のことだ。

「4期生の子たちを好きだなと思ったのは、“セラミュ”で共演した早川と田村がきっかけかもしれないです。ふたりが私より年上だったこともあって、タメ口で話してくれたり、私の中で勝手に構築していた『4期生に負けたくない』という壁を壊してくれた。しかも、後輩に対して先輩らしく振る舞うことができてない状態の私に対して、人として好きだということをふたりが何回も伝えてくれたんです。その時期の私は自分に自信がなかったし、グループの中でうまくいかない時期でもありました。そんな私を引っ張り上げてくれたのが、早川と田村だったんです。そのふたりには、本当に救われました。後輩に救われるときが来るなんて、びっくりですよね。ふたりが私を救ってくれたから、私も何があってもふたりのことは絶対に守るって決めました。そこから輪が広がっていき、4期生のみんなと関わっていくうちに、この子たちをどうにかして守りたいという気持ちも生まれてきたんです。昔、北野日奈子さんがインタビューで、『何があっても3期生を守りたいと思う』と言っていて、それを読んですごくうれしかったんですよね。でも、自分に後輩ができたら北野さんみたいに思えなかった。そんな自分がすごくコンプレックスで、どうしてもっとやさしくなれないんだろうって。でも、早川と田村が私に、“後輩を守りたい”という感情を教えてくれて、4期生みんなのことが本当に大好きになった。以前は、『乃木坂46での活動の中で、久保さんのターニングポイントは?』って訊かれても、『まだないと思います』と答えていたんですよ。でも、私にとってのターニングポイントは、4期生の存在かもしれないです」

乃木坂46公式書籍 10年の歩き方 [29]

 早川と田村は最初の壁を壊してくれたが、それでも彼女は後輩を過剰に意識してしまうことがあった。「そこから輪が広がっていき」のひとつと言えるのが、表題曲でセンターに立っていた賀喜遥香との関係だろう。
 2023年2月に配信された番組の中で共演した二人は、仲良くなったきっかけについて話していた。

久保 私は、本当に遥香がずっと好きだったの。初期も初期から、『夜明け』の時から遥香が好きだったんだけど、変なプライドのせいで「好き」って言えなかったの。でもそうこうしている間に、時間が経っちゃってたの。(中略)私は人間として本当に遥香が好きなの。こういう人間に会ったことがないの。なんでそんなに心が綺麗なのってくらい本当に遥香が好きなんだけど……ごめんね前説が長くて(笑)。でもそんぐらい好きなの。だけど、なんかうまく行けないのは、同い年だったりとかいうので……ごめんこれは本当に私が悪いんだけど、勝手に、意識じゃないけど、なんて言うんだろう……
賀喜 期が違うしね。同い年だけど先輩後輩みたいな一番困るやつ。
久保 そこなかなか越えられない線があるじゃん。だから、どう言ったらいいのかも分からないし、自分の本当の思いを伝えることもできなくて、ずっと悩んでたの。でもどうしても……私が今後乃木坂で活動していく上で、遥香の存在は絶対に大きいなと思ってたの。だから、いつかその壁をぶち壊したいと思って。私、すごい勇気を出したんだよ。プライベートで聖来ちゃんに間を取り持ってもらって、3人でたこ焼きパーティーをする日を作ってもらって。遥香に全部言ったの、私が。でも怖かった、遥香を傷つけるんじゃないかと思って。本当にすごい悩んだ。リアル、何か月も聖来に相談してたの。でも「言わなきゃ始まらないよ」って聖来に言われて。「かっきー本当のことを話すね。私は悔しい」って言ったの。「私は、本当は悔しい。だけど、それを上回るくらい遥香のことが好きなのも本心なの」って全部言ったの。これを言うことによって、0か100だと思ってたの。でも、このままは嫌だと思ったから、全部言ったんだよね。「私は、本当は悔しいと思ってた。遥香のセンターがすごく好きだし嬉しいし、だけど、悔しいっていう邪魔する気持ちもあってどうしたらいいか分からないの。だけど、遥香のこと好きなのは本当なの」っていうのをダーっと言って。そしたら、遥香が受け止めてくれたの。(中略)そんなに大きいことじゃないけど、何か事件とかじゃないけど、かっきーは何も悪くないけど、私が勝手に作ったわだかまりがあって。それが勝手に邪魔をして、私が勝手に行けなかっただけなのに。こんなに子どもな私を、自分の思いをバーっと言っちゃったわがままな人間の私を、遥香が優しく受け止めてくれて逆に仲良くしてくれたから……本当にありがとう。
賀喜 嬉しい。私もただただファンだし、目に映ってるものにリスペクトしかなかったから。仲良くなるとかじゃなくて、もう超越してたの。「仲良くなるとかじゃない」って思っちゃってたけど、「逆だったんだ」って。私も「仲良くなっていいいんだ」って。どうしても向こうの人だと思ってた。憧れを持って入ってきちゃうと逆にそこが邪魔をして。けど、仲良くなれたし。
久保 その話をした時に、遥香が「私も負けず嫌いだから悔しいこともある」って言ってくれて、「遥香もそうなんだ!」と思って。そうだと思ってなかったの。優しすぎるから、そういう感情もないんだろうなって思ってたから。それがきっかけだった。それで、私がずっと抱いていた気持ちも、私が子どもなだけだったけど、全部が全部間違いじゃなかったんだなって思えて。
賀喜 間違いじゃないよ。人だもん。

久保チャンネル #63 2023/2/16 [49]

 ここで補足しておきたいのは、このエピソードが良くない受け取り方をされることを二人は望んでいないということである。

久保 (前略)だから、言わないつもりだったの。変な伝わり方をして欲しくないなって思ったから。
賀喜 ファンの方には色んな方がいるから、色んな人生の積んできたフィルターを通って入ってきてしまうかもしれない。ちょっと曲がりくねってしまうかもしれない。でも、仲良くなってるんだから。「悪く映っちゃうかもしれない」って私も思うことある。でも「こっちがいいんだからいいの」って思う。
久保 本当にそういうところが好き。
賀喜 ありがとう。私は嬉しい。
久保 私も嬉しい。だからこれに関して私は何言われても大丈夫。仲良くなれたってことが全てだから。
賀喜 そう、仲良くなれたもん。
久保 嬉しい。
賀喜 嬉しい。

久保チャンネル #63 2023/2/16 [49]

 そう話す二人は、心から仲が良さそうだった。

 本記事でここまでずっと見てきたように、久保にとって「言葉にする」という行為は、とても重い。だから「言葉にする」ことによって、気持ちを整理することができる。その効力は、とても強い。
 それが誰かに向けた気持ちなら、その気持ちを正直に打ち明けることで、その相手と正面から向き合うことができる。その感情が大きい分、打ち明ける前と、打ち明けた後では大きく関係性が変わる。賀喜に悔しさを正直に言葉にして伝えることで、彼女は「変なプライド」から解放され、二人の仲は大きく深まることとなった。

3.4 固執しなくなったとき――「くぼした」の結末

 齋藤飛鳥は、2018年4月発売の20thシングル『シンクロニシティ』で初選抜入りを果たしたばかりの久保と山下に対して、当時次のようにアドバイスを送っていた。

――では、飛鳥さんはどうでしょう?3期生に(引用者注:今後の乃木坂を)託すことはできそうですか?
齋藤 3期生は我々のときよりも、全体的に向上心が強いですよね。(中略)本人たちの意識が高いのがこちら側としてはありがたい。でも強いて言うなら……別にアドバイスっていう大袈裟なものじゃないですけど、諦念の気持ちを持つことの大事さ、美しさを知ってほしいですね。
久保・山下 …………。
齋藤 えっ、何?(笑)

BUBKA 2018年5月号 [50]

 それは、負けず嫌いが前面に出ていた当時の彼女たちにはもしかしたらピンと来ないアドバイスだったかもしれないが、後年になっては非常に的を射ていたように思われる。
 山下は卒業に際して2024年4月に発売された写真集『ヒロイン』の中で、「諦めが最大の自由だと気づいてから少しポジティブになれた気がします」「こうしなきゃああしなきゃのしがらみから何か一つ諦めたら、別の何かを拾えると信じています」と綴った [51]。
 そして久保もまた、2023年1月発売のインタビューで「すごくプラスな意味で、諦めがつくようになりました。落ち込んだってしょうがない、間違ったってしょうがない、緊張したってしょうがないって」「悔しかったこともいっぱいありますけど、悔しいと言ってるだけじゃ何も変わらないんです。だったら、自分が変わるしかない。そういう諦めがつくようになりました」と答えていた [17]。

 ところでこの久保の言葉は、「この2年ほどの歩みを通して、自分のことを好きになれたことで、自分の何が変わったと思いますか?」という質問に対する回答である。同インタビューで彼女は「この2年ほどっていうのは、自分のことを好きになるまでの過程だったのかもしれないです」と話しており、それを受けての質問であった [17]。
 すなわち彼女は、自分のことを好きになれたことで、諦めがつくようになった。まずはその経緯について、簡単にまとめておきたい。

 2021年1月発売の26thシングル『僕は僕を好きになる』で初めて表題曲のフロントに立った彼女は、その活動期間を終えた時に達成感があり、「自分のことを好きになれたような感覚」を得ていた。しかしその後は「一回フロントっていうチャンスをもらったのに、そこにいられなかった事実があって、そこばかり見ちゃっていたんです。そしたら、どんどんうしろ向きになっていって」しまったのだと言う。
 つまり、その頃はまだ自分のことを根本的には好きになれておらず、その後2年を経て自分を「根本的に好きになれた」のだと彼女は振り返る [17]。

 根本的に好きになれた要因として、彼女は「周りの人に愛されていることに気付いた」ことを挙げる。それは例えば、高山一実にもらった「久保ちゃんはいずれセンターに立つ人だと思うよ」という言葉。あるいは、生田絵梨花が卒業前に好きだったと言ってくれたこと。それらの言葉が、「自分はこんなに愛されていたのに、何もかも卑屈に考えて、もったいないな」という心境の変化を彼女にもたらした。
 また別の要因として、「今まで自分のやって来たことを振り返った時に『ちゃんとやってるじゃん』と思って」とも話す。実際、2021年からの2年は、ドラマ『クロシンリ 彼女が教える禁断の心理術』や舞台『夜は短し歩けよ乙女』『桜文』、映画『左様なら今晩は』など、彼女が「やっと外の世界に出て、まだ戦えはしないけど、挑戦する機会はいただけるようになった2年」だった [17]。

 なぜ「挑戦する機会」が増えていったのか。
 彼女はその理由として、「どんな状況でもどんな局面でも気持ちが折れなかったから、やっとチャンスが回ってきたのかなと思います」と話す [17]。
 そして、気持ちが折れなかったのは、「悔しいから」だった。

「(前略)私、一番言われてうれしい言葉が『変わらないね』なんです。そこを目指してやっているから、ここまで腐らずにやって来られたのかなと思いますね」。
 腐らずにやって来られたのは、変わらない何かが自分の中にあるから?
「悔しいからですね。負けず嫌いだから。『あともう一歩届かない』ということがたくさんあったんですよ。周りから見たらきっと私は恵まれた環境にいますけど、同じ道を歩んでもらえたらきっとこの悔しさが分かってもらえる。届かない理由さえも分からなくて、どうしたらいいんだろうっていう悔しい時間が本当に長かったんですよね」。
 でも、腐らずにやって来られた。
「周りの人の期待に応えたかったから。(中略)ファンの人もそうですし、仕事先でもいたんです。(中略)言葉を残してご卒業されていった先輩たちもそうですし。そういう人たちに(活躍している姿を)見せたかった……見せたかったんですよね。そこでした。そこでしかなかったんです」。

B.L.T. 2023年3月号 [17]

 そう、彼女が加入当初から変わらずに持ち続けた負けず嫌いは、見事に実を結び、グループの外の世界での仕事に繋がっていったのだ。
 さらにその結果が、先輩からもらった言葉とも合わさって自信となり、彼女は自分のことを「根本的に好き」になっていった。

 そしてだからこそ、先述したように、彼女は「この2年ほど」で変化したこととして「プラスな意味で、諦めがつくように」なったことを挙げた。自信がついたからこそ、かつて齋藤飛鳥が伝えた適切な「諦念」を彼女は手にすることができた。
 それは、彼女の負けず嫌いが無くなったという意味ではない。彼女は、変わらなかったことを聞かれて「諦めないこと。矛盾しているけど(笑)。諦めがつくようになったけど、諦めないところは諦めない」と答えている [17]。彼女は、適切な諦念と適切な負けず嫌いを手にしたのだ。

   ◇

 彼女が諦めなかったこと。その一つは、乃木坂46を任せて欲しいということだった。

(前略)まだまだあの頃の弱い自分のままで見られているなと感じることもたくさんあります。今はそれが悔しいから、今の強い自分を知ってもらって、理解してもらって、信頼を得ていく20代にしたいです。大事な場面や大きなお仕事でも、「久保なら大丈夫!」って思ってもらえるようにしていきたい!

B.L.T. 2022年2月号 [52]

5周年を過ぎたあたりからですかね。今までは「先輩たちみたいになりたい」っていう気持ちだったけど、「乃木坂を背負わなきゃいけない」よりも、「背負いたいなあ」って、「それぐらい強くなりたいなあ」って思うようになって。私も(乃木坂を)好きだったけど分かんなくなっちゃった時期があったから、でも今、乃木坂が好きで、しかもすごい頑張りたくて、「頑張りすぎるのを今はどうか止めないでください」って思っちゃいます。今、頑張りすぎるくらい頑張りたい。

乃木坂46 北野日奈子・久保史緒里 『君がいるから僕はここを好きになる』後編 2022/3/17 [53]

 そしてその象徴とも言えるのが、表題曲のポジションだった。1.3でも触れた通り、彼女はセンターに立つことを諦めなかった。

(前略)メンバーとしても女優としてもキャリアを積み重ねてきていて、ポジションのことなど気にしていないものだと勝手に思っていました。
「気にしますよ。どこまで行っても乃木坂だから。個人の仕事がどんなに増えたとしても、私は乃木坂だから。気にするのは良くないっていう意見もあると思うんです。ファンの人からしたら一番気になる部分だろうけど、メンバーからしたらそこは気にするところじゃないっていう意見があっても不自然なことではないので」。
それはなぜでしょう?
「そこが全てじゃないから。そこを気にしちゃうと切りがないから。だけど、私は気にします。やっぱり、乃木坂46の大事な局面を任せてもらえる人間でありたいなと思うから。でも、自分はまだまだそこに行けなくて。(後略)」

B.L.T. 2023年3月号 [17]

今、諦めてないこと、というと?
「いっぱいあります。とりあえず、ポジションは諦めていないです!」

B.L.T. 2023年3月号 [17]

 彼女はそう答えた数か月後、32ndシングル『人は夢を二度見る』で山下と共にセンターに立った。
 それは、彼女が諦めることと諦めないことのバランスをうまく取れるようになったからこその結果だったと言えるかもしれない。

   ◇

 3.2で見たように、久保は山下のことを追いかけ続けていた。久保は、センターに選ばれた際に更新したブログに「あなたの隣に立つのに相応しい人になりたくて 6年半、走って追いかけてきたことは、悔しいけれど事実です」と綴った [20]。
 一方である頃から、その関係には変化が生じていた。

――(引用者注:山下は)常に頭のどこかでちょっと意識する存在なんですかね。
久保 そうですね。でも、いつからか固執しなくなりました。ここ数年で自分がやりたかったお芝居のお仕事をやらせてもらえるようになって、私は私の道を走ればいいんだと思えたからです。以前は同じことをしようとしていたんです。映像のジャンルでいえば、私とやまって違うと思います。私は私の求められ方で、私のやり方で道を行けばいいんだっていうことに気づけたんです。それからは意識しなくなりました。

BUBKA 2024年5月号 [44]

 「いつからか固執しなくなった」。それは先述した、2021年から2023年にかけて彼女が適切な諦念を身に着けていった頃のことを指しているように思われる。

 2021年1月に26thシングル『僕は僕を好きになる』が発売された頃は、まだ彼女が山下に固執していた頃だっただろうか。彼女は、センターに選ばれた山下にメッセージを送ろうとしたものの、それを送ることはなかった。

選抜発表が終わってから、山下宛の長文ラインを書きました。書きはしたんです。でも、今はそれを望んでいないなと思って、消しました。それは、おめでとうの意味もあるし、『支えられるように頑張るね』とも書いたんですけど……。山下は自分のことを強いと思っているんです。でも、全然強くはありません。誰かが必要になる時が来ますから。そんな時、シングルで隣になったわけで。あえて連絡はしなかったけど、支えたいです。

BRODY 2021年2月号 [54]

 そしてその後は固執しなくなっていったとは言え、彼女は山下に対する思いを、やはり言葉にして伝えることはなかった。2024年2月に山下が卒業を発表した後のインタビューで、彼女は次のように答えている。

――同期の山下美月さんが卒業を発表しましたね。山下さんと久保さんの関係は特殊ですね。
久保 そう思います。乃木坂46にいなかったタイプの2人というか。プライベートで会うかと言われたら、そうじゃないし。語り合うわけでもないし。だけど、ステージ上での信頼は誰よりも置いています。2人の間に言葉が必要だったのは2年目までだったと思います。他のメンバーとはグループについて真面目な話をしていると聞くんですけど、私とはしないですね。(久保と山下の対談が掲載された本誌2017年8月号を手に取りながら)この時が最後かもしれないです。信頼しているから、会話の必要がなくなったというか。
――感じ取れるんですか?
久保 何を考えているか、わかんないこともありますけど(笑)。ステージにいる時はわかります。エンターテイナーなんでしょうね。

BUBKA 2024年5月号 [44]

 「信頼しているから、会話の必要がない」。そう語っていた彼女はしかし、山下美月卒業コンサート2日目の『言霊砲』で、遂にその封印を解く。

やま、まずは卒業おめでとう。私たちは一緒にいる期間がすごく長かったから、楽しいことも、どちらかと言うと苦しいことも、一緒に涙を流したことも本当にたくさんありました。いつからか山下を1番アイドルとして信頼していたからこそ「言葉が必要ないな」と思って、言葉にするのを辞めてしまったときがあって。今日までずっと言えてなかったことばかりだなって思うんですけど。今日がアイドルとして最後の日っていうことで、最後に言わせてください。山下をずっと尊敬していたし、ずっと大好きでした。伝えられないまま今日まで来ちゃったけど、あなたほどアイドルとして完璧な人を見たことがないし、そんな山下と隣にいられて、“くぼした”って呼んでもらえたり、一緒にこうやって歌えて本当に幸せでした。これからは背負っていたものを全部置いて、自分のために幸せに生きてください。改めて本当にお疲れ様でした。卒業おめでとう。

モデルプレス2024/5/13 [55]

 「言葉が必要ないなと思って、言葉にするのを辞めて“しまった”」。そう認めた上で山下への思いを言葉にできたこの時が、本当に久保が山下に固執しなくなった瞬間だったのかもしれない。

 後日、彼女は自身のラジオで次のように語った。

今回の卒業ライブで、自分の気持ちを曲に乗せて伝えさせてもらうところがあったんですけど、私、一切考えずに言ったんですよ。緊張するから、いつもはめっちゃ考えて行くのに、一切考えずに行った。で、出た言葉がもう『大好きでした』ってことになったんだけど(笑)
 
言えないのもつらかったですよ。めっちゃ好きなのに。ありがたいことに2人での仕事が増えて行けば行くほど意識しちゃって、やっぱり言えなかったなって。意地で言えなかったっていうのはあるけど、最後に言えて良かったなって本当に思ってるし、なんかお互いそうだった気は勝手にしてるんですよ。そうだったら嬉しいなと思ってます。

乃木坂46のオールナイトニッポン 2024/05/15 [39]

 久保の言葉の力は、強い。意地から解き放たれて、遂に口にできたその言葉は、どんな変化をもたらすのだろうか。


謝辞

いつも感情を言葉にして共有してくれる久保史緒里さんに感謝を込めて。

参考資料

[1] 久保史緒里, 乃木坂46 久保史緒里1st写真集 交差点, 集英社, 2023.
[2] WHITE graph 008, 講談社, 2021.
[3] BOMB 2017年3月号, 学研プラス, 2017.
[4] ENTAME 2018年2月号, 徳間書店, 2017.
[5] MARQUEE Vol.124, マーキー・インコーポレイティド, 2017.
[6] EX大衆 2017年7月号, 双葉社, 2017.
[7] EX大衆 2016年12月号, 双葉社, 2016.
[8] BUBKA 2017年5月号, 白夜書房, 2017.
[9] BUBKA 2017年6月号, 白夜書房, 2017.
[10] B.L.T. 2019年5月号, 東京ニュース通信社, 2019.
[11] BUBKA 2020年2月号, 白夜書房, 2019.
[12] CMNOW vol.209, 玄光社, 2021.
[13] Seventeen 2024年春号, 集英社, 2024.
[14] 日経エンタテインメント! 乃木坂46 Special 2022, 日経BP, 2021.
[15] “乃木坂46久保史緒里:緑の振り袖は先輩に相談 新成人の抱負は「未開拓の地へ」,” MANTANWEB, 7 1 2022. [オンライン]. Available: https://mantan-web.jp/article/20220107dog00m200057000c.html. [アクセス日: 2 6 2024].
[16] “乃木坂46久保史緒里の大河「どうする家康」起用は「決して話題作りではない」認められた実力,” 日刊スポーツ新聞社, 30 4 2023. [オンライン]. Available: https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202304240000974.html. [アクセス日: 15 6 2024].
[17] B.L.T. 2023年3月号, 東京ニュース通信社, 2023.
[18] EX大衆 2021年10月号, 双葉社, 2021.
[19] BUBKA 2017年3月号, 白夜書房, 2017.
[20] 久保史緒里, “32枚目シングル,” 乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ, 20 2 2023. [オンライン]. Available: https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/101193. [アクセス日: 19 6 2024].
[21] blt graph. vol.53, 東京ニュース通信社, 2020.
[22] 乃木坂46ドキュメンタリー 僕たちは居場所を探して『久保史緒里の場合』, Hulu, 2021.
[23] 日経エンタテインメント! 2024年2月号, 日経BP, 2024.
[24] Monopoly【初回仕様限定盤(CD+Blu-ray)Type-C】, ソニー・ミュージックレーベルズ, 2023.
[25] 久保史緒里, “20歳になりました。,” 乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ, 14 7 2021. [オンライン]. Available: https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/62559. [アクセス日: 4 6 2024].
[26] N46MODE vol.2 乃木坂46 デビュー10周年記念公式ブック, 光文社, 2022.
[27] B.L.T. 2020年2月号, 東京ニュース通信社, 2019.
[28] MUSIC BLOOD, 日本テレビ, 2022.
[29] 乃木坂46公式書籍 10年の歩き方, KADOKAWA, 2023.
[30] アップトゥボーイ 2017年4月号, ワニブックス, 2017.
[31] BRODY 2017年6月号, 白夜書房, 2017.
[32] BUBKA 2017年8月号, 白夜書房, 2017.
[33] BUBKA 2017年10月号, 白夜書房, 2017.
[34] BUBKA 2017年11月号, 白夜書房, 2017.
[35] BUBKA 2018年1月号, 白夜書房, 2017.
[36] 乃木坂46×週刊プレイボーイ2021, 集英社, 2021.
[37] BUBKA 2019年3月号, 白夜書房, 2019.
[38] “山下美月、乃木坂46卒業を控え「本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです」 卒業後も「ファンの皆さんとお会いできる場所を必ず作りたい」,” ニッポン放送, 12 5 2024. [オンライン]. Available: https://news.1242.com/article/507511. [アクセス日: 26 6 2024].
[39] “乃木坂46 久保史緒里「私にとって、いなければいけない存在でした」 山下美月のグループ卒業への思いを語る,” ニッポン放送, 22 5 2024. [オンライン]. Available: https://news.1242.com/article/508291. [アクセス日: 26 6 2024].
[40] EX大衆 2017年10月号, 双葉社, 2017.
[41] BRODY 2018年10月号, 白夜書房, 2018.
[42] 乃木坂46 山下美月卒業特大号, 日刊スポーツ新聞社, 2024.
[43] EX大衆 2019年9月号, 双葉社, 2019.
[44] BUBKA 2024年5月号, 白夜書房, 2024.
[45] 久保史緒里, “ガラスの向こうの温度,” 乃木坂46 久保史緒里 公式ブログ, 2 12 2019. [オンライン]. Available: https://www.nogizaka46.com/s/n46/diary/detail/53807. [アクセス日: 18 6 2024].
[46] “乃木坂46・久保史緒里の乃木坂上り坂 ゲスト:山下美月,” LINE LIVE, 25 7 2020. [オンライン].
[47] 乃木坂46のオールナイトニッポン 2022年5月18日, ニッポン放送, 2022.
[48] 乃木坂46のオールナイトニッポン 2022年6月15日, ニッポン放送, 2022.
[49] “久保チャンネル #63 今、話したい誰かがいる@10th YEAR BIRTHDAY LIVE,” のぎ動画, 16 2 2023. [オンライン]. Available: https://nogidoga.com/episode/1606. [アクセス日: 20 6 2024].
[50] BUBKA 2018年5月号, 白夜書房, 2018.
[51] 山下美月, 乃木坂46山下美月2nd写真集「ヒロイン」, 小学館, 2024.
[52] B.L.T. 2022年2月号, 東京ニュース通信社, 2021.
[53] “「乃木坂46 北野日奈子・久保史緒里 『君がいるから僕はここを好きになる』後編」,” 乃木恋YouTubeチャンネル【公式】, 17 3 2022. [オンライン]. Available: https://www.youtube.com/watch?v=xdyKH_wSoV4. [アクセス日: 25 6 2024].
[54] BRODY 2021年2月号, 白夜書房, 2020.
[55] “乃木坂46山下美月を「1番アイドルとして信頼していた」久保史緒里&与田祐希が真っ直ぐ語った“刺激と感謝”【全文/山下美月卒業コンサート】,” モデルプレス, 13 5 2024. [オンライン]. Available: https://mdpr.jp/music/detail/4275351. [アクセス日: 26 6 2024]. 

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1.3や3.4などで見たように、2021年にグループの外でお芝居をする機会を得たことは、久保さんにとって大きな転換点となりました。当時そこに非常に熱い物語を感じた私が書いた記事です。本記事では語り切れなかった部分も含めて、その詳細をまとめております。


2023年に世代交代に成功した乃木坂46ですが、その直前とも言える時期に3期生への期待を込めて彼女たちの役割をまとめた記事です。
久保さんの章では彼女が後輩に与えている影響とその哲学についてまとめており、本記事の1.4や2.2の内容を補足しています。


久保さんと早川さんとの関係は3.3で軽く触れましたが、早川さんの卒業を機に、その詳細をまとめた記事です。本記事ではあまり触れられなかった、久保さんの大きな特徴である「真面目さ」についても詳しく見ています。


久保さんの乃木坂46に対する考え方を理解する上では、メンバーの多様性に対する彼女の考え方を理解しておくことが重要だと思います。この記事の前半部分で、その点についてまとめています。


10thバスラの内容を受けて、久保さんと生田さん/山下さん/北野さんの関係性についてまとめた記事です。しかし、山下さんとの関係については本記事の3.2と3.4の方がより詳しくまとまっていると思いますので、こちらは参考程度にご覧ください。
また、当時グループ内での存在感が増していっていた久保さんについて、センターに選ばれることへの期待をまとめています。


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