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あこがれ
マカロニえんぴつの楽曲「あこがれ」
私とマカロニえんぴつとの出会いを簡略的に話すと好きだった人が教えてくれたバンドでした。
その人とはもう会うことはなくなった時、嫌なことは続くもので家庭は半ば崩壊・退学・恩師との絶縁等人生のどん底で、彼が教えてくれたマカロニえんぴつだけがありました笑
ミスター・ブルースカイを聴きながら下を眺めてた冬の夜のこと、昨日のようにまだ覚えています。
新宿LOFTで初めて本物の彼らを観てから、気づいたら自分の好きなバンドになってました。marbleの弾き語りやLIQUIDROOMを経てアリーナや全国ホールツアー、たくさんたくさん約束のように思い出をくれるマカロニえんぴつは間違いなく私の生きる理由の大きなひとつです。
何度救われたのか分かりません、本当に彼らは私のヒーローで大きな存在で、それは間違いないです。
でもはっとりさんが奥田民生に対する気持ちと同じようなものを、自分が持っているのかと思うと正直よくわからなかったんです。はっとりさんが私の「あこがれ」って言いたいけれど、何か違うな〜って。
冒頭に恩師と言いましたが、私はずっと舞踊をしていました。3歳から初めたときから私はこの道を辿るのだと、何故か決めていました笑
でも踊ることは好きだけれど好きなダンサーとかはいなかったです。自分の理想はボヤッとありながら稽古をする毎日でした。
小学校6年生の時には元日から大晦日まで稽古があり年のお休みは20日あったかなかったか。
そんな稽古をする毎日を送ってましたが、14歳の時にとあるダンサーに出会いました。彼の踊りを見た時、全身に電気が走るような震えはずっと忘れられません。彼が日本に来る度にチケットを買い、何度も何度も彼のDVDを見ました。
やはり身体が商売の仕事でありダンサーの寿命はあっという間にきます、2022年11月が彼のラストダンスでした。またチケットをとり、会場に足を運び、一瞬一瞬見逃さないように彼の最後の舞台を見届けました。
彼のダンスに出会い私の人生は大きく変わりました、好きなものや人もできたけれど、いつも私の根っこには彼から受け取った大きなものがあります。これからもずっと。
3歳から踊ることを始めたと言いましたが、私の舞踊は彼に出会った14歳から本当に始まったのだと今は言い切れます。
私はこれが「あこがれ」なのだと。
これがはっとりさんが歌に込めたものであり、奥田民生にもっている「あこがれ」だと。
マカロニえんぴつに出会って何年経ったか分かりませんが、ようやく自分の中で腑が落ちたような感覚がありました。
もちろんマカロニえんぴつのに出会ったから今があると言い切れます。
だけど、マカロニえんぴつは私にとっての「あこがれ」ではなかったのだと。
でもそれに気づいた今、もっとマカロニえんぴつに近づいたような気がしてとてもうれしくもっともっと好きになりました。
そしてこれを1番伝えたいのはマカロニえんぴつ、はっとりさんです。
大欲張り!
マカロニえんぴつは私のあこがれではなかったけれど、
大好きな唯一無二のバンドであり私の大きな夢です。(ちょっとだけ話すとマカロニえんぴつの音楽と自分の舞踊が交わることを目標にしてます笑)
こんなことに気付くのにすごく長い時間がかかってしまったけれど、その時間すら含めてこの感情を愛しく思います。
たくさんの感謝を込めてこの投稿は締めようと思います!
伝わってほしい人に伝わってくれたら何よりも幸せです。
これからもマカロニえんぴつを応援は勿論、たくさんの幸せを願っています☺︎
改めましてはっとりさん、ありがとうございます。
このままで行けるとこまで、
あこがれだけで生きていけるさ
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