鵜(ウ)かな? マカピーな日々#0250
マカピーです。
朝の散歩で妙なものを発見しました。
用水路に沿ったコースで小魚が10尾ほどアスファルト舗装に散らばっていました。そして周囲には白いペイントのような点々が・・・・・。
「さて、これは何かな?」
頭上を見上げると電柱があるだけです。隣は用水路。まだ干からびていないフナなどの小魚たち。
マカピーは以下のように想像してみました。
「この用水路を漁場としているウが、漁を終えて電柱の上で休んでいると散歩に連れてこられた犬が、ウの存在に気づいて吠えた。するとウは驚いて胃の内容物を吐き出して飛び去った。白い点は鵜の糞だろう」
というものです。
実はマカピーはウの習性に詳しくないので調べてみたら、長良川の鵜飼いについての記述があり、そこに胃の内容物を吐き出すとありました。
これだ!
もっともこの習性を利用して鵜飼いが始まったのではないかという事ですがその歴史は1300年もあると知ってその伝統に驚きました。
しかもカワウでなくウミウを使う事、鵜匠は数年で現役を終えたウも飼い続けてその労をねぎらうというのですが、それだけ鵜が人に慣れやすい鳥だという事ですね。
伝統的な技術はともすると「Out of fashion」とばかりに廃れてしまう傾向がありますが、今こうして残っているものは大切にしたいですね。
だって、1000年も受け継がれる技術が目の前で繰り広げられる世界ってめったにないのです。
今はコロナ禍でほとんど外国人が来なくなりましたが、彼らが求めるものはこうした唖然とする世界を垣間見ることに違いないのです。
だって、他の世界には存在しない「もの」や伝承がここにある!のです。
雅楽なども、源流をたどればかつて中国にあったものでしょうが、現在そこには存在しません。まるでタイムカプセルのように連綿と続く伝承とは不思議なものです。
もちろんオリジナルそのものではなく、日本流に変化しているでしょうけれども。
ベトナムで仕事をしていた際に阿倍仲麻呂の話を聞きました。彼は遣唐使で中国に渡った後、役人となり唐の政府に仕えた方です。日本に帰る船が難破して奇跡的に助かり、また中国で働くのですが、結局帰国は叶わなかったという話です。
実はこの方、どうやらベトナムのハノイに中国政府の派遣で統治するために赴任していたらしいのです。それにしても昔の事ですがスケールの大きな話ですね。
それで、ベトナムと日本の関係ですがこれだけでなく、東大寺の大仏が建立された際にアジアの仏教国から高僧が招かれた中にベトナムからの僧もいたとの事です。
うーむ、唐招提寺の鑑真さんもそうですが、昔の人は命がけで海を渡ったんですね。
当時の渡航での遭難率は相当高かったはずなのに、チャンスを活かす気迫が感じられる話です。
現代社会だったら「無謀だ!」って批判されるでしょうね。
マカピーでした。
最後までお読みいただき本当に感謝します。引き続きマカピー的史観にお付き合いいただければ嬉しいです。
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