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勇気づけられたよ、スバル!マカピーな日々#0972

マカピーです。日本では寒波厳しい季節となりました。
マカピーはスバルという車と会社について考えてみたのです。

そもそものきっかけはnote投稿記事を読んだ友人からのコメントでした。(一部改訂しています)

マカピー 様

スバル車R2の活躍のお話しが目につきましたので、
少し長くなりますが話させて頂きます。

私は大のスバル愛好者の一人です。雪道をバリバリと踏み分け
ながら走る、勇壮な四輪駆動車の姿に魅せられたのです。
野鳥観察で、山野を駆け回る私には、スバルの四駆車が絶対必要
だったのです。

50歳で、ようやく憧れのスバル四駆レオーネ(1400cc)を入手、
天にも登る心地でした。
其の後、次々とスバル車を乗り換え、1600㏄・1800cと続き、
最後は2000cc(フォレスター)にまで行きました。

半月ほど入院した際に娘から、「もう歳だから、大きい車は止めなさい」といわれ、遂に観念し代わりに選んだのも、スバル軽FF車ステラでした。

同じ頃、娘に買い与えたのが、やはりスバル軽FF車R2です。

こうして、スバルとは40年余りの長いお付き合いが続いています。
この固い信頼関係はゆるぎません。

マカピー友人のY氏からの手紙


皆さんご存知の通り、『スバル』の前身は第二次世界大戦で零戦(零式艦上戦闘機)を多く生産した「中島飛行機」で戦後財閥解体されています。

戦中はマカピー父母も学徒動員で製鋼所や学校内での航空機の部品製造に関わっていたという事でした。

戦争の忌まわしい記憶はともかく、その『ゼロ戦』は型式を変えながら1万機以上を生産したというのですから物凄いベストセラーだったんですね。

地元群馬の太田では「呑龍」(どんりゅう)という重爆撃機を生産していたようです。

戦後は『スバル』として「テントウムシ」の4輪車が登場するまでは『ラビット』というスクーターを生産していました。(当時は富士産業)


マカピーの郷里は地元群馬ですから、『スバル』はとても馴染み深いものがあります。

そもそも大きな産業のない北関東にあって、小学校での社会見学先に富士重工の太田工場見学が選ばれていたのでした!

もちろん実家にはラビットもあり祖父の後ろに乗せてもらいました!

その後、乗用車はトヨタの『カローラ』となり、今では日産もホンダもありますが、農業用の軽トラはスバルを使っています。

ベトナムのハノイに滞在していた頃は、同じ住宅地の米国大使館の職員がスバルの4WD車を持っていて熱狂的ファンで意外に感じたのを思い出します。

その後行ったイスラエルでもマカピーを案内してくれた人がスバルに乗っていましたし、南アの家主さんもスバル4WDにサーフボードをくくりつけていました。

南アではデイジーもスバルに乗るのが大好きです!

「スバルってね、ボクの生まれた群馬の車なんだよ」って言えるので、群馬人としては誇らしい気持ちになります!

マカピーが海外の農業関係で小型の灌漑ポンプを見たら、銘板に『Robin(ロビン)』というブランドがありました。

Made in Japan とあるので更によく見ると Fuji Heavy Industriesとあり、富士重工製だったんです!

日本人が誰もいない、農村部でもいろんな『スバル』たちは頑張ってるなあって、マカピーも元気をもらったのでした!

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。日本の技術ってすごかったんですね


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