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人は「待って」大きくなる?マカピーな日々#0907

マカピーです。(サバ滞在中)
コタキナバルでは夜明け前から(今は午後1時なんですけど)ずーっと激しい雨が降ってます。

タイのバンコクもそうでしたが、今年は雨季が長引き洪水発生の危険が増しているという事でした。

草が刈ってあるから見晴らしが良いですね



ここボルネオ島の北部でも大雨が降ると洪水(バンジール)が発生します。

排水設備がないところなどは、またたく間に近くの河川があふれ出して、一面の茶褐のテー・タリック(ミルク紅茶)状態になってしまうと、道路と側溝の区別さえつかなくなり危険です。

無理をして側溝で脱輪してしまったら、今度は助けも呼びに行けなくなります。

だから、「待つ」のです。


昔のテレビって、こんなにデカいブラウン管使ってたんだよね

先日リカス湾沿いの湾岸線ではなく、旧道を歩いて思い出したことがありました。

青年海外協力隊で活動していた頃、友人とこの道路でコタキナバルの町中心部へ行くバスを待ったのでした。

この友人というのが、ネパールでの隊員活動を終えて帰国する際に「帰路変更」してサバに来た先輩隊員でした。

ちなみにマカピーはマレーシアから帰国する際に「帰路変更」して鉄道でタイのバンコクに入り、任期を延長して活動している同期隊員の活動現場を訪ねました。

それから、まだ中国に返還されていなかった頃の、英国領の香港へ飛んでそこから鉄道で国境を越えて広州へ行き、そこからボロボロの国内線で雲南省の昆明(くんみん)に行ったのでした。

さてネパール経験者の先輩隊員を道案内したマカピーなのに、なかなか来ないバスに苛立っていました。


カンポンリカス周辺には沢山の学校や教会があります

マカピー:「おかしいなあ。もう来てもいい頃だと思うですよ。かれこれ30分以上経ちますものね」
先輩隊員:「大丈夫ですよ。いつか来るでしょう」
マカピー:「そういえば、先輩には余裕が感じられますね」

先輩隊員:「そんなことないですよ(笑)。でもボクもネパールに行ったばかりの頃はせっかちな性格だったんです。そしていつも日本の様に円滑に物事が進まない事にイライラしたんです」
マカピー:「じゃあ、いまはイライラしなくなったんですか?」

先輩隊員:「いまでもありますよ(笑) でも待つことには慣れましたね。ボクのネパールの任地は首都のカトマンズからバスを乗り継いで3日ほどかかるところだったんです。しかも道路も悪いから大きな定期バスではなく、オンボロの乗り合い小型バスですよ」
マカピー:「それじゃあ、時間が読めませんね」

先輩隊員:「そうなんです。自分の考えている時間通りの計画なんてすぐ破綻しました。ボクは理数科教師で村の学校で生徒を教えていたんだけど村で暮らすと時間の流れ方が都会とでは全く違っていたんです」
マカピー:「約束事が上手くできませんよね」

先輩隊員:「確かにそうですが、キッカリ時計に合わせてというわけにはゆかないのですが、不思議に大概うまく収まるんですよ」
マカピー:「そうかな?ちょっと違うような気がするけど・・・」
先輩隊員:「例えば、こんな風にバスを待っていたら一日半経っちゃったことがあったんです」
マカピー:「え、一泊したんですか?」
先輩隊員:「さすがに、近くの家に泊めてもらいましたけど」

あんな風に空を飛んでみたいなあ

先輩隊員:「だから、今では数時間待たされてもあまり苛立つことは無くなりました。待っていると思うから苛立ち、苦しく感じるんです。その間別の事を考えながらいればすぐに時間が経ってしまいます。それに最近ボクは待つ間何も考えずいる事で、逆に落ち着くようになりました」
マカピー:「それって、仙人の域に達してきたのではないですか?(笑)」

なまじ交通機関があったりする国や首都で活動するよりも、最初からほとんど期待できないような場所に赴任した人の方が「面白い」経験をしているように思ったのはこの先輩に会ってからでした。

マカピー妻の友人で2年前にタイで亡くなったユキさんの話もそれに輪をかけてすごいものがありました。


工事途中で放棄されたところがあります!

ユキさんは世界一周の旅に出てアジアからアフリカに入りナイル川を上りエチオピア方面に向かっていた時に、ある交差点に来てバスで移動するかそれとも近くの船着き場からフェリーを使うかの選択があったのだそうです。

実際にそこには同じように待っている人が沢山いました。

ユキさんは「どっちでもいいから、先に来た方に乗って行こう」と決めたのですが、結局彼がバスに乗れたのはそれから一週間後だったそうです。

うーん、上には上があるものだ!

ユキさんはアフリカ各地を回った後で、ケニアのモンバサに来ると格安にインドに行ける船が出ると聞きつけました。

それで彼は港へ行って見るとペイントが半分しか塗られていない中途半端なコンクリート製?の船があったのだそうです。

え、どういう事?


今はスーパーマーケットだけど、かつては修理工場だったので昔のトヨタのロゴが

聞けばオーナであるヨーロッパ人が、自分で帆船を作り航海することを思いついて自作したというのですから、スケールの大きいホラ話のような本当の話です。

でも、乗組員がいなければ自分一人では何にもできないので、世界中から来るバックパッカーしている若者を募集して「格安インド航海旅行」をすることにしたんだそうです。

皆さんだったら、そんな船に乗ります?

ユキさんは「お金もかからないし、おもしろそうだから」と乗船するのですが、素人集団の船はオーナー以外は全く航海技術もないからオン・ジョブトレーニングの即戦力としてインドを目指したのでした。

やっぱ、ちょっと怖すぎるかも!


ワニ注意の看板も周辺の草刈りが進むと「ワニもいなそうね」

ユキさんは生まれて初めて現在地を知るために六分儀というものを使い、何ノットで進んでいるのか舳先で紙を丸めて海に放り込みそれが移動する時間をはかって報告していました。

そんな計測でいいんだ???

殆ど船室も整備されないままの甲板で過ごすことが多かったのですが、白人の男女は毎晩乱痴気フリーセックス状態だったそうです。

それを見て、それに参加しない一人のインド人と「あいつらケダモノだ!」と軽蔑していたそうですが、それは余談です。

で、ある日マストで双眼鏡で周囲を見ていた一人が「陸地が見える」と叫んだことから、このまま行けばインドの東海岸、エローラアジャンタの石窟寺院、ゴアの海岸ボンベイの都会とインドに様々な期待で溢れる一行は、またもやどんちゃん騒ぎするのでした。

まあ、他にすることないもんね(笑)

ところが、その翌日に突然航海が終わりを告げる事になるんです。

船のオーナーも首尾よく航海が進んだので一緒に飲んでいたらしいのですが、そもそも航路がずれていることに気付かずに船はモルジブの環礁の一つに突っ込んで座礁、身動きが取れなくなり、全員下船。

だれも怪我無くてよかったね!

首都のあるマレへ行きそこからインドのケララ州に行ったという事でした。

なんといういい加減さというか「アバウトさ」でしょう!


未来は「インシアラー(神のみぞ知る)」です!

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。つわものバックパッカーがいました!


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