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誰にも分からない未来ならば マカピーな日々#0845

マカピーです。
沢山の予想があるけど、その「結果」は誰に似も分からないのです。

梅棹忠雄さんの「東南アジア紀行」、沢木耕太郎さんの「深夜特急」そして最近読んだ、堺誠一郎さんの「キナバルの民(北ボルネオ紀行)」(中公文庫)に共通する事は、確かに彼らはそこに行き、見て、感じて書いたというシンプルな事実です。

振り返ってみると微妙な世界情勢で、これからの旅がどうなるのか分からない中での貴重な記録なのです。

また、聞けば「深夜特急」は発刊されると、若者の間でバイブル的存在となりバックパッカーの必読書的存在だったという事です。

そして実際同じルートを旅する人もいたと聞きます(マカピーも影響受けました!)

バックパッカー御用達だった名著?

もちろん同じルートを旅したとしても、決して著作と同じことが起こるわけではないし、そもそも同じルートさえ確保する事も出来ないだろうとは容易に想像できます。

実際にマカピーも経験したのですが、旅をした国そのものが戦乱に巻き込まれ、後年に再訪すると全く別の国に変容していたってこともあるんです。

だからこそ、その時に見聞きしたことを書き綴った「紀行文」は貴重であるわけです。

「キナバルの民」の著者である堺さんはマレー派遣陸軍報道班員として、北ボルネオのサバを歩いていて、その記述の正確さは地形や民族の描写いくつかの簡単なマレー語にも表れています。

そのわずか2年後に第二次世界大戦末期で日本の敗戦色の中で日本軍将兵が斃れた地であると思えば全くの奇蹟的な平和な時期の旅行記となります。

こちらも面白そうですね

しかもこの作品には同じく陸軍に徴用された井伏鱒二さんが作家仲間として文を寄せていて、更に海音寺潮五郎さんの武勇伝もそこに添えられていました。

後年であれば、ベトナム・インドシナ戦争を取材した開高健さんや近藤紘一さんのような方の著作もあります。

どの著作も、作者が九死に一生の危険で貴重な経験を通じて帰国できたから、ことさら今日マカピー達がその著作に触れることができる奇跡的なものであると感じるわけです。

考えても見てください、突然の徴用通知で戦地に送り込まれる世界。
それまで所属していた世界が一変してしまう経験、狂気の中でも自分を見失わずに生き延びた記述と上述した「紀行文」は基本的に違うのですが、世界の平和というのがいかに脆いものであるのかは、紀行文にも見て取れるのです。

先月サバ州のハジさん宅の本棚にはそんな著作が沢山ありました。
そこからいくつか目を通しながら、じゃあ自分はこの地で何ができるのだろう?と模索してます。

サバ州博物館の各民族のモデル

「マカピーと一緒に、サバで仕事しない?」と、声をかけても

「そもそも、サバって何、魚の事?」
「えッボルネオってオラウータンいるジャングルがある島でしょう?」
「マレーシアってクアラルンプールなら行ったことあるよ!」
「4000メートル以上もあるの、キナバル山て!?」

というわけで、なかなか「乗り掛かった船」に乗り込んだところですぐに、それに響く答えが得られるわけではないのでした。

そうだけど、誰にも将来何が起こるか分からないんだよ!

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。Who knows!


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