偶然なのか必然なのか マカピーの日々 #1175
マカピーです。
いつものように村に到着すると海が荒れていました。
昨日、例によってその朝収穫したフクロタケをロビンの家にも分けるために持って行ったんです。
南西の風が吹きよせ、波が高く海が荒れていました。
クルマをロビンの家の前に停めると隣のじいちゃんがよろよろ駆け寄ってきました。
じいちゃん:「オレの女房がおかしいんだ、ちょっと診てやってくれ」
ハナ:「マカピー、車の中に薬のバッグはあったかしら?」
マカピー:「あるよ、今出すね」
それはロビン奥さんのレアの両親だったので、レアが重いバッグを肩にハナさんの後に続きました。
しばらくしてハナさんとレアが戻ってきました。
マカピー:「どうだった?」
ハナ:「呼吸困難になっていて、唇も青くなっていたの。心臓肥大ね。注射をして落ち着いたけど、間に合わなかったら死んでいたわね」
先日のマルシアルのところの乳児もそうだけど、あと半日点滴がおくれていたら死んでいた命でした。
レアもマカピー達が小旅行に行っている間に、犬に噛みつかれたのです。
ハナさんは「疲れているから、明日にしよう」と言っていたのを「緊急だから、狂犬病注射をしておこう!」マカピーが無理やり連れて行ったことがあったけど(笑)
ロビンの息子のジュル・ハッサンも割礼の処置が悪く感染症が悪化しそうだったのです。
こうして「たまたま」ハナさんが「???それって、どういうこと?」などと気が付いて発覚する病気が多いのです。
そうして、助かる命と助からない命がある。
村ではアッという間に幼子が死んでいます。
「どうして、ハナさんが毎日来ているのに診せに来ないの?」
お葬式の準備をしているのを見てやりきれなくなるのですが、ハナさん自身はあまり口を出すことはありません。
ハナ:「彼らが必要だと思えば来ればいいのよ」
医者であってもその件に積極的でないのには、貧困家庭における医療費の問題や生死感の違いがある事を知っているからでしょう。
たまたま「医療行為できる自分がいる」
たまたま「誰もいなくて死を受け入れなくてはならなかった」
そういう事が、どこかで毎日のように発生しているのがここの生活です。
確かに、ハナさんに関わらずそのすべてに責任を持つことは誰にもできないのだけど。
地方では医療にアクセスできる機会が少ないのです。
しかも正式なマレーシア人でない村人の多くは、公共医療機関にかかろうとすると通常1リンギットで済むところを、マカピーと同じく外国人ということで250リンギットも支払わなくてはならないのでした。
マカピーが関わっているのはそういった人たちなんです。
だから、得体のしれない医療行為(無資格医)に頼らなくてはならなかったり、最悪の場合は座して死を待つことになるわけです。
苦しくっても、困ったことがあっても与えられた条件で生きている彼らを見ていると「強いなあ」って思うのでした。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。結構したたかな人たちですよ!(笑)
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