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高速バス車中2泊でゆくぞ! マカピーな日々#0881

マカピーです。
マカピーは東京=京都間を夜行高速バスで往復することにしました。

そりゃマカピーも最初は「新幹線」利用を考えましたよ。だって短時間だし振動も殆どない素晴らしい乗り物ですからね。

でもね、知っての通り新幹線て案外安くないんです!

4月から収入のないマカピーとしては仕事での出費を抑える必要があるんで高速バスを利用することにしました。

いくつかのオプションを見たのですが、東京側の人がUSJに行くときなどこうしたバスを利用することもあるようです。

台風14号が通過した、今日の深夜(正確には明日)発のバスです!

突然の土砂降りに驚きました

さて。以前フランスの誇るTGVに乗った際は、特に左右に激しく振動するので目的地に着いたときは疲れたほどでした。

走ればいいってものじゃないだろう?!

乗り心地で思い出したのが、1985年ころのマレーシア国サバ州で青年海外協力隊(JOCV)の活動で村落開発の仕事をしていた際の事です。

着任後、配属先から活動支援の車両の貸与を受けました。
(当時隊員が車両に乗る事は安全面から規制されていましたが)

マカピーの村には英国製のランド・ローバーで、もう一つの活動地であるヒラサンの村にはトヨタのランド・クルーザーが配置されたのです。

実はどちらも相当使い込んでいた年代物で、車好きなヒラサンが選んだランクルは青と白に役所のロゴがドーンとついていました。

一方のランドローバー君ですが、真っ赤にペイントされ荷台部分がメタルカバーされている小型ボンネットバス・タイプだったのです。

1985年ころのサバのお土産

座席はベンチシートで、運転席と助手席が真っ平の骨材の上に長いシートがドーンと置いてあるだけだったと記憶しています。
(おそらく運転手関だけは座席調整できるようになっていたはずです)

質実剛健そのもの車体で、座席にしてもクッションとかの居住性は無視!この車に乗って「ショックは体で吸収するもの」と知りました。

乗っていながら、かつて戦車の事を「走る棺桶」と呼んでいたことを思い出しました。

これって灰皿ですよね!

実はマカピーはサバ州で沢山走っているランドローバーに乗れるので嬉しかったんです。ランクルを乗る機会は他にありますもの。

ところが、使い始めて分かったのは相当ボロだったという事でした。
クラッチが滑り、ブレーキが効かない、ワイパーのゴムが無いなど・・・。

結局幾度も州政府指定ガレージに持って行き修理してもらうのでした。

そのガレージの主人は腕はいい中国系なのですが、いかんせんマレー語も英語も今一つで意思が通じないので、大概は事務をやっている同じく中国系女性のスーザンに不具合を説明すると通訳してくれるのでした。

修理は大概終日かかり、ガレージにいる事になり本を読みながら待ちながら「ボクは車の面倒を見に来たんじゃない!」なんてブツブツ文句を言ったり、話の分かるスーザンと会話を楽しんだのです。

いつも短パン姿で色白のスーザンは。まだ30歳代でマカピーより少しお姉さんでした。

深すぎる灰皿?

後で分かったのはスーザンは二人の子持ちで旦那はサバ電力公社の社員で発電所の敷地内の専用住宅に住んでいたのでした。

それである日、スーザンに昼食に誘われたので他の同僚隊員3名で行きました。

二人の小学生の息子(クリントンとブラッドリー)を見て旦那氏が中国系ではなく白人だろうと思いました。

やがて作業を終え家に戻って来た大男の旦那のコリンを見た時に、インド系?って思いました。

サルが抱えているデザインですがオランウータンではないですね

実は彼の父親はインド系で母親がミャンマー人だったのだそうです。ですからクリントンもブラッドリーも更にスーザンの中華系の血が混ざり複雑化していました。

マレーシアは、いわゆる土地っ子政策(ブミプトラ政策)をとり経済的に優位な中華系が公務員などを独占しないように、特にマレー系住民が優遇される政策をとっています。
(現在は民族間の学力の均衡も進み、更にこの政策が「人種差別」になっているとの批判を浴びるようになっています)

コリンは軍隊経験があるせいなのか、子供たちの躾にうるさく厳しかったです。

一度子供たちがふざけて止まらなくなった時に、二人を壁に向けて立たせその半ズボンからでた太ももにムチ(細身のロタン)をビシッと入れるとみる見る間に、打たれた箇所がミミズ腫れになったのでした。

結局コリンとスーザンの家族は自分たちがブミプトラではない事から、子供たちの「将来性」を危惧してマカピー達が任期を終えて帰国すると、数年でオーストラリアのパースに移住したのでした。

マカピーも一度自分の家族を連れて、パースの御宅を訪ねて泊めてもらいました。歓待してくれましたが夫婦とも仕事をしていて忙しそうでした。

コリンはメカニックだったので、個人営業としてピックアップ車両を改造して、加工できるようにして、家々を回っては配管や電気配線をするなどハンディマンとして家の修理屋をしていました。

一方スーザンはパートタイマーでホテルの客室掃除をしていました。

そしてクリントンもブラッドリーも大学生に進学していましたが、その後彼らとの連絡が途絶えています。

思えば2年間の間、コリンとスーザンの二人にはいろいろお世話になりました。ある隊員が事件に巻き込まれた時も相談に行くと対応してくれました。

また村人や役人とは違った視点、特に人種に関する考え方を教わりました。

花の図柄はラフレシアでもなさそう

ある日、ブレーキの甘くなったランドローバー君は同僚隊員が溝に転落させてしまいました。

怪我がなかったのは幸いでした。

ブルドーザーを呼んで引き上げてもらいましたが、衝撃で車体が歪んでしまったのでドアが閉められなくなったのを針金で縛りあげてノロノロとコタキナバルの役所までヒラサンと交代で運んだのでした。

2年の任期が終わるころ、今度は日本側(JOCV事務局)の特別許可でトヨタのピックアップトラック(ハイラックス)が貸与されたのでした。

なんでこんなことを思い出したのかと思ったら、アルゼンチンに移住したヒラサンが一時帰国したのでこれから新宿で会い、その後で夜行バスに乗る事になったからです。

「サバの腐れ縁」はまだまだ続きそうです!(笑)

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。やっぱり皆様のお陰です!






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