旅行案内(ガイドブック)はどう使う?マカピーな日々#0233
マカピーです。
マカピーは最近思うのです。
海外に長く住んでいたことはありますが、じゃあその国をくまなく知っているかというとそうではありません。
「そりゃあそうでしょう、だってお仕事されていたんだから」とおっしゃる方もいます。
でも、マカピーは今こんなふうに思います。
少し無理してでも、可能な限りいろいろなところを旅しておけば良かったなあって。
確かに赴任が決まるとその国のガイドブックを買い求めて、一つは必ず常備します。
そして、今でも「地球の歩き方」は外せませんね。
1980年代でもバックパッカーのバイブル的存在でしたが、一方で「地球の迷い方」なんて言われもしましたっけ。
投稿して採用されると本が送られてくるのが楽しみでした。
一方で旅をするのにおすすめコースを回っている人もいます。
それって「ジャルパック(JALパック)だよねー」とからかう人もいました。
マカピーたちのように出費を切り詰めていかに長く旅ができるかに挑戦するバックパッカーにとって、正直なところパック旅行者の「豪遊」振りはひがみであり、妬みの対象でもあったと思います。
「なにくそ、俺は金はないから高級ホテルでうまいもの食えないよ。でもその分俺はもっといろんなところ見てやるぜ!」そんな空威張りが感じられる旅の仲間もいたように思います。
そして、当時もバックパッカーの憧れが詰まった書籍といえば沢木耕太郎の「深夜特急」シリーズでしょう。
あれに憧れて日本を飛び出した若者が沢山いたはずです。マカピーもマカピーの奥さんも触発されました。
でも、マカピーは彼と同じルートで旅をしようとは思いませんでした。
マカピーが影響を受けたガイドブックは「文明の生態史観」の著者である梅棹忠男氏の1964年 『東南アジア紀行』(中央公論社、のち中公文庫 全2巻)カンボジアなどマカピーになじみ深い国々を調査された話も素敵です。
ポルポトがカンボジアを「キリングフィールド」にしてしまう前の豊かな時代が描かれていて、いまでも本書を片手にメコン川とトンレサップ川が合流する王宮前のチャタモックに佇めば感慨もひとしおと言ったところです。(笑)
ガイドブックとなるものは必ずしも書籍ではないかもしれません。一枚のポスターであったり新聞広告の一文であるかも知れません。
それが心に火をつけて「行って見たい!」と闇雲に興奮するような世界を提供してくれたら、きっとそれがじぶんの旅行案内です。
マカピーがスリランカに行きたいと思ったのはたまたま見かけたガイドブックのカラー写真で「シーギリヤ・ロック」に心を掴まれてしまいました。そして行ってしまいました。
それから、たまたま購入したナショナルジオグラフィックのカレンダーにあった不思議な水辺にあるバンガローは「オカバンゴ国立公園」で、数年後やはり行ってしまいました。
旅行案内のとおり回るのは、その情報の確認をするだけの事になります。
もっともパック旅行でない限り、忠実にガイドブックのコースに従うのは却って難しいかもしれません。
いわずもがなで、旅は不確実性のカタマリみたいな存在だから、計画通りに事が進まないのです。
ガイドブックだって発刊された瞬間にはすでに古い情報となっている訳ですから、行って見たらオススメのお店が閉店していたなんてことはざらにあります。
「ぜひ食べてみてください」とあっても、自分の味覚が調査員と同じであるはずもないし、掲載されていないうまいものは星のあまた程あるのです。
それを自分で確かめるのが「旅」の面白み、楽しみです。
そして行って見て「ありゃりゃ、自分の解釈が間違っていた」と思う事もしょっちゅうあるのです。
そしたらまた調べなおせばいいんです。もっと探し回ればいいんです。誰かに聞けばいいんです。
そうするともっと旅が楽しくなる。
仕事で滞在していると、出張に来られた方を観光地に案内することがあると「イヤー、物見遊山に来たわけではないので」とおっしゃる方がいます。
確かに本来業務と違う、わき道にそれている罪悪感もあるかも知れませんがホテルと事務所の往復だけで帰国しても「あそこの国の名物?さて何でしょう?」などと言う寂しいことになります。
そうではなく、積極的にいろいろなところを訪れる事でその国を立体的に見る事が出来るようになり、その国を好きになり、だからこそその国に貢献できるのだとマカピーは確信しています。
そうです、ガイドブックの利用方法は一つだけでなくいろいろあるはずです。
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。引き続きマカピー的史観をお読みいただければ嬉しいです。
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