一本橋コチョコチョ!マカピーの日々#1045
マカピーです。
マカピーは最近アブナイ橋を渡っているんですよ!
ボルネオ島北部マレーシア国サバ州の海辺にある家々は潮位が上がっても家が没しない高床式住居になっています。
つまり、海辺や沼沢地などに柱を立ててその上に家を作るんですね。
で、家々が増えて集落ができるとそれをつなぐ共通の小道が必要になりますよね。
当然その小道も水面から立ち上がる杭の上に出来ています。
マカピーが問題とするのはその強度なんですよ!
そうです、過去の投稿をお読みになっている方はご存知だと思います。
実はこの道が結構トリッキーに危ないものだったり、歯が欠けるように板が抜けていたり、突然一本橋になっていたりするんです。
しかも釘が抜けていて、足を乗せたらズルって・・・オイオイ危ないじゃないか!
落ちたらどうするんじゃ?!
でもそこを背後からオートバイが走り抜けて行ったりするんです!
え、あのオンボロ小径のどこを選んでオートバイで走れるんだろう?
背中の丸くなったじいちゃんまでが、まるで「中国雑技団」のようなバランスでトコトコと平気なんですね!
今日の「危ない橋巡り」はコタキナバルの沖合に浮かぶガヤ島です。
協力隊時代に訪れたことがあったポンドック地区にハナさんと出かけたのはここにも彼女の親戚がいたからです。
当時はしっかりした民家が立ち並ぶ大きな集落だったのですが2004年?にガヤ島の観光開発のために住民立ち退きがあったのだそうです。
代替地のテリポックの丘の上に州政府が用意した家に長年海上生活をしてきたバジャウ族はあまり馴染めずに、結局立ち退きさせられた場所に戻る人が多く、そこにまた家が立ち並ぶ事になったというのです。
ただし、以前の立派な集落は取り壊されたので自然発生的な300軒ほどの家々が細い通路でつながっているのでした。
ハナさんはコタキナバルのボート乗り場で「○○のところへ行きたいのよ!」と呼び込みのおっちゃんにバジャウ語で声をかけるのでした。
おっちゃん:「あー?もうテリポックに移っちゃってるよ!」
ハナ:「じゃあ△△は?」
そのやり取りを聞いていたボートの兄ちゃんが「ああ、彼ならいるよ!」
おっちゃん:「じゃあ、こいつのボートで行ってくれ!」
プライバシーもへったくれもないという、田舎の会話そのままですね!
二人が乗ったボートは65馬力のヤマハエンジンが取り付けられていて、船着き場をUターンした途端に全速でカットビ始めたのでした!
他のボートも同じようにガンガン行くものだから、お互いの航跡の波に乗ると跳ね上がり落下するとドスンとショックが来るのでスマホを取り落としそうになります!
天気がいいので浅い海は明るい緑色に輝いていて、あっという間にポンドック地区に到着、、、、というか家々の間を抜ける水路にはいって奥付きの一軒に到着したんです。
ボートの兄ちゃんは「ほれ、アイツが△△の息子だよ!二人で10リンギットまいどあり!」と指さす方向に数人の子供に混ざって青年がいました。
梯子状の板をよじ登ると、ハナさんは笑いながら「あれー!まだこんなに小さかった坊やがしっかりした青年よ!びっくりだわ。お父さんは?」
青年:「お久しぶりです。今日はテリポックに行っていていないんです。でも母がいますから、どうぞこちらへ」ってきちんと案内するのでした。
親戚などでは目上の人が差し出す手に自らの額を近づけて、皆さん礼儀正しいんですよ。
前回マカピーがこの地区を訪れた時はしっかりした軒並みが通路でつながっていて、コタキナバル側では見かけないタバコが売られていました。
その事をハナさんに言うと「ああ、当時はここの人たちはフィリピンからの密輸貿易で生計を立てている人が多かったからよ。私もこのおじさん家で家業を手伝ったものよ!時々警察の手入れがあるんで商売品を素早く隠すんで大変だったのよ」
ほほー、そんなこともしていたんだ!(笑)
もっともかなり昔の話で、今ではそうした密輸は商売として成り立たなくなり、そうした外国産のタバコなどにお目にかかる事はなくただの水上家屋村となっていました。
案内された家に行くと「あらまー久しぶりね!どうして連絡してこないの?そうすればみんなで待っていたのに!」
子どもに近くのお店でコーラや菓子を買ってこさせ、心づくしの昼食を食べさせてくれました。
しばらくして「島に上陸して少し行けばガヤ地区やパンタイ・パシール(砂浜の意味)地区に行けるのよ。そうだ兄の住んでいた家があるから行って見よう!」と出かけるのでした。
ところが、その通路が島に近づくにつれて心もとなくなり、一本橋だったり、板の欠けたハシゴ状態だったりとかなりの神経を使うものでした。
さらに大きな荷物を抱えたオッチャンが向こうから来るじゃないですか!
どうやってすれ違ったらいいのよ?
オッチャンは直ぐに立場をわきまえて立ち止まってくれているので、そのその場所まで二人はヨタヨタ進み、ギリギリすれ違うのでした。
「一本橋コチョコチョ」っていう歌を思い出したらなんだかお尻の穴のあたりがくすぐったくなってきたよ!
ようやく、橋を降りて打ち寄せられたプラスチックごみを分け進んでハナさんの記憶にあるパンタイパシールに向かう途中で船の修理をしている男たちが数人いたのです。
その前を抜けて行こうとすると「ドクターじゃないですか!」と声がかかったんです。
「あれ、あんた誰だっけ?・・・トト?あららいいオッサンなって!元気?確か2000年にクダットからフィリピンに行くときに一緒だったわね!」
それって23年前って事? そりゃあ青年も中年になりますよね。
で、トトは「ボクがボートを借りてくるからそれで回ろう」って言ってくれてまたもと来た通路をヨタヨタ戻って、到着した船着きのお店から乗船したのでした。
ガヤ島はコタキナバル側から見えるよりも奥に大きな島で、前述した3地区がバジャウ系住民が住む地区で後ろ側に回るとドゥスン系(カダザン族)の地区となりそこにはリゾート施設があるとの事でした。
トトはボートでまずガヤ地区へ連れて行ってくれました。
そこには水上の学校やマスジッド(回教寺院)もありましたが、船着き施設が昨年12月23日の嵐で酷く損傷している様子も見せてくれました。
トトに島を一周できないかと尋ねると「できるけど、今日は風が強くて島の反対側へ行くと波が大きいのでやめといた方が良いよ!」との事でパンタイパシール地区へ行くことにしました。
そこにはハナさんの兄の家族が住んでいました。
といっても、やり手だった兄は10年ほど前に突然死してしまい、残されたその家族と会ったのでした。
こちらは取り壊されていないのでしっかりした桟橋もあり楽に歩くことができ、目的の家もトトが付いてきてくれて再会を果たすことができました。
ハナさんは周囲を見渡しながら「以前は陸地は森で、そこの家に泊まってベランダから見ていると、夜ともなると大きなイノシシが出て来て怖かった」と言ってたのでした。
帰りはトトに頼んでそのまま対岸のコタキナバルの宿泊ホテル近くの岸壁に横付けしてもらいました。
トトも、もちろん他のドライバーと同じく海峡を渡るのにエンジン全開でボートは波に乗り上げるとドドーンと叩きつけられるのでした!
ヤレヤレ
マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ユラユラする橋どころかボートも真剣さが求められます!
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