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見えなくてもそこにある!マカピーな日々#0964

マカピーです。寒い日本滞在中です。
霧の深い朝で気づきました。


駐車場を照らすLED灯

昨日の雨から寒くなった今朝は久々の濃霧に見舞われた埼玉県北東部。
雨が降らなかったら歩く主義のマカピー夫妻は濃霧の夜明け前の世界に出て行ったのです。

次第に濃くなる霧の中を歩いていると、前日のアルコールが残っていたのか眠気に襲われるほどでした。

むむ? いつもの薄手の手袋からしっかりどっしりした手袋にしたので快適だったのと、パーカのフードで頭部を覆っていたので快適さが増した眠気だったのかしら?

霧の中だから「五里霧中」なんて言う言葉を思い出しながら行くと、いつものコースなのに周囲が分からなくなると、まるで別の街を歩いているような感覚なのでした。


眩惑される世界?

でも、マカピーは知っています。

この橋のたもとにある家や、路地などがあることを。

確かに今は見えないけど、そこにはある事を知っているんです。

そして、毎回富士山を眺めるポイントに来ました。

もちろん霧で見えないのですが、その方向には富士山がある事をマカピーは知っています。

つまり、見えなくてもそこにある事を知っているという事はどういう事なんでしょう?

『論より証拠』『百聞は一見に如かず』とは言いますけど、見えなくても「必ずそこにある」という確証がある時はどう説明するのかな?

何だか眠くなって来ない?

「そんなこと言ったって、ごらんのとおり何も見えないじゃない?」って言われたらどうしよう?

「日を改めて、快晴日にお話ししましょう」という手もある。

でも、「そこにあるはずなんだよ!」って説得力に欠けます。

世の中には、このような事って沢山存在すると思うんです。

ほら、見てごらん!

これほど明快なことはないのに、それを目の不自由な人に説明しようとしたらとっても困るよね。

初めて行った土地で「本来はこの方向に雄大な赤城山がみえるんですけど、今日は雨模様で視界が効かないので残念ですね」って言われても最初から知らない人は「ふーん。だから?」って思うだけですよ。

ボクらは『絶対』というような事を会話の中で普通に使っていますが、それって本当に大丈夫かなって霧の中を歩いて思ったのでした。

あれ?これっていつものコースなの?

マカピーです。
最後までお読みいただき感謝します。あれれ、酔っぱらってるのマカピー?



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