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設計図不要 マカピーの日々 #1387

マカピーです。
マカピーにネコがまとわりついています。

3ヶ月前まで手のひらに隠れるほど小さかった子猫が、目の前で立派な雌猫になりゴロゴロ喉を鳴らしています。

マカピーは別に動物近くにいるのは気になりません。

というか、マカピーは子供の頃から動物が好きでヤギの乳しぼりもすれば豚小屋の中で母豚が授乳している様子などを飽きずに眺めたりしていたんです。

犬も猫もいたのですが、寒い朝マカピーの布団の足元がムズムズするので見ると猫の「マル」が生んだ子猫を数匹持ち込んで温めていたくらいです!

今考えると随分とのどかな少年時代だったと思います。

こらこら、そこは冷凍庫の上だぞ!

さて、ネコから次の事を思い出しました。

小学生高学年の頃父が家業の中心的な養蚕業を辞めて養鶏業を本格化させる事にしたんです。

次第に規模が多くなり母屋の前の鶏舎が手狭になると、川を挟んだ隣の土地にも新しい鶏舎を手作りしたのはやはり父でした。

父は鉄骨材よりも安価にできるとカラマツの間伐材を沢山購入し、その皮むきをした後地中に埋める部分を炭化させて支柱としたのです。

つまり焚火に末端を入れて表面を焼く防腐加工作業をした後、マカピーも大きな石を入れた穴に支柱を立て周囲を突き固める作業を一緒にしたんです。

このアイデアは、昔から普通にあるんですよね!

鶏を入れるケージも材料だけ買って来てワイヤーを巻き自分たちで組み立てました。

手作りの水上家屋

そこに樋で給餌槽と飲料槽をつくるのですが、父は細い水パイプだけで水平を決めて見事に鶏舎を作って行くのでした。

屋根をふくのもトタン板(波板)に笠釘で留めて行くのですが、マカピーも次第にどう釘を打つのか、雨漏りしないやり方や端の合わせ方を覚えて行くのでした。

その隣の土地へ行くには戦時中までコンクリートの小さな橋があったのだそうです。

それがカスリーン台風の水害で押し流されてしまい、大きく迂回しないとたどり着けない畑になってしまったのですが鶏舎がそこにできた事で頻繁に通う必要が出来たのでした。

そこで父は、自分で植えた杉の木立の間に余った間伐材で橋を造ったのでした。

と言えば聞こえはいいですが、間伐材が横に三本ほど並んだだけのキャノピーウオークのようなものでした。

しかも最初は、手すりが無いので流石におっかなびっくりでした。

ところがしばらくするとそこを手ぶらで歩行するのに慣れてしまうというのは人間の能力の凄いところでした。


この地区の事住居群は1度政府によって焼かれ再建されました



やがて、マカピーも両親と同じようにそこを採卵した満載のかごを両手にぶら下げてこの丸木橋を渡って運搬していました!

さすがにいつまでも自然の木立に頼った丸木橋じゃあ危ないと父が考えたのは、電柱を使っての本格的な橋づくりでした。

父は小柄でしたがとても器用な人でした。

彼が、婿養子で母と結婚する前は、7人兄弟の末っ子ながら実家での山仕事や炭焼きもしていたそうです。

マカピーが生まれた当時は祖父が村長選でまさかの落選。土地こそ手放さなかったものの経済的にかなり困窮したそうです。

窮余の策として、農閑期の冬場となると父と祖父は「出稼ぎ」で群馬県内の有線電話の敷設工事の仕事に関わっていました。

そこで、事務方は祖父、父は木製の電柱に登っての高所作業や支線(アンカー)をやっていたので電柱に詳しかったのです。

古い電柱は防腐剤であるタールが沁み込ませてあるので、燃やすとものすごい黒煙が上がる困った存在でした。

でも考えようによっては、防腐剤入りの材料が安価で手に入るという事だったのです。

父は古い廃材となった電柱を沢山仕入れてました。

まずはその電柱で橋脚を作りました。

川の斜面に穴を掘りそこに電柱を立て、更に横木(電柱の丸太)を渡し橋げたも作ると電柱材料を製材した板で橋板をふいたのでした。

タール入りですから腐らない!

製材所では板を切り出す際の「帯鋸」が電柱内に沢山埋め込まれた釘で火花を散らし、幾本もボロボロになったと聞いています。

手作りボートをポンプエンジンで自由に操作するバジャウ系住民

更には川の中に橋脚が流されない様に保護柵までこしらえたのです。

こうしてオール電柱材の橋が出来上がったのです。

なんとこの橋は軽トラックが走ることも出来る強度を持ってたんです。

今思い出しても、「うちのとうちゃん凄い!」と感心したものです。

しかも、建設中父親が設計図らしきものを手にしているのを見たことがありませんでした。

思い出して見ると設計図が無いのは鶏舎つくりでも同じでした。

なんと手描きのスケッチさえないのです。

マカピーはマレーシアに来て海辺のバジャウ族系の人たちが手つくりのボートを作っている場面に出くわします。

彼等も当然のように、設計図なんか持っていません!

それがこちらでは普通なんですよ。

それでも立派なボートが出来ちゃうんです。

マカピーの父も生きていてその様子を見たら喜んだろうなあ!

「そりゃそうだろう。オレ達はみんなこうやって来たんだよ!」

父の声が聞こえる様でした。

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。昔ながらの手作業であってもスゴイ技術力ですよね!


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