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私的入れ墨考 マカピーな日々#0264

マカピーです。

温泉などへ行くと「入れ墨やタトゥーのある方は入浴をお断りします」と言うのがあり、マカピーにはどうでもいいかなあと思うのでした。

銭湯などでその筋の方のいわゆる「刺青(モンモン)」を見ると、見事なもんだなあと思いましたが、確かに子どものころはその独特の色彩の威圧感があり、正直に怖かったですね。

最近はファッション性の富んだタトゥーもあり、まあ好きにすればいいんじゃない?って思っていましたが、結構健康面でも負担があるとも聞きました。

それでも何もプールや銭湯で謝絶するまでしなくてもいいかと思います。だって外国のホテルのプールに行けばどこを見てもタトゥーだらけですもの。

ところでこのタトゥーや入れ墨、魔よけ的な意味合いがありタイやラオスなどでは仏教の経典の一部がある人を見かけます。子どものころ大病をして生死をさまよったので経文を刻んだというのですが、そういう人の入れ墨もお断りするんでしょうか?


入れ墨は実に奥深いものがあり、なかには呪術的な意味合いもあります。

かつてはマレイシアの少数民族の人たちも多くの男女が入れ墨をしていました。そしてそれがとてもアイヌの人の柄に似ているので驚いたことがありました。

そのパターンなどを研究すると民俗学的に面白いと思うのですが、アフリカ系の肌の黒い人の入れ墨は無いようです。手のひらと足の裏以外だと、はっきりと分からないですからね。

仕事で関わったのですが、ツベルクリン反応という結核での検査がありますが肌の黒い人には陽性反応がはっきりと分からないのでそれができないと思ったら、皮膚の盛り上がりでその大きさが分かるという看護師さんがいました。もっとも誰にでもできるという技能ではありませんでしたが。

それに似た話で、入れ墨の代わりに皮膚を傷つけて凸凹をつける技術があります。体全体にぽつぽつした瘢痕が模様をなしているのです。

妙な習慣化と思いますが、今でも能面などに残る、日本の「お歯黒」というのも不気味でしょうね。(かつては世界各地にあった習慣だそうですが)

あんなので暗闇で笑われたらマカピーはきっと背筋がゾッとしますけど、昔の人は「いいなあ」って思ったのかしら?


美しさの基準が民族によって違うのです。

マカピーがJOCV(青年海外協力隊)ですごしたマレイシア国サバ州のルングス族というカダザン系民族の村での事です。

ある日マカピーがそこの村長と話していると、彼の歯の平らな事に気づきました。

「ああ、この歯だろう?! こっち側が平らで、反対側が平らじゃないからちょっとカッコ悪いんだ」

「ええッ?平らにしたの?どうやって?」

「ウン、若いころ歯が平らな方がきれいだというのでやすりで平らにしたんだ。でもあまりの痛さに耐えられなくて半分でギブアップしたんだ」

それって歯の神経も出てきてしまい気が狂うほどの痛みに違いないと聞いてるだけで冷や汗が出る話でした。

先日お伝えしたタジク人女性の一本眉毛は眉墨でOKだと思いますが、ウズベキスタンには朝鮮系住民が沢山いるのですが、キムチなどを売っているおばちゃんの中には眉やアイラインも入れ墨やっている人が幾人もいました。

マカピーの奥さんによれば「あの入れ墨はいちいちラインを引いたりする手間が省けるから楽なはずよ!」

マカピーの弟はろっ骨を切る手術をしたので背中に大きな瘢痕が残っています。ある日その彼が銭湯に入ると刺青あるその筋の方と一緒になり内心ビビったそうです。

同じ湯船につかった後で運悪く?洗面台で隣同士になると刺青の彼が弟に尋ねました。

「にいさん、そのデカい傷跡はどうしたんだい?」

「結核になってしまい、外科手術したんです」

「そうかい、にいさんよくガマンしたね」

「は、、、、ハイ」

弟は思わぬ優しい言葉に涙が出そうだったと当時を語っています。

いろんなケースがあります。刺青ばっかりの人がグループでいたら異様な感じがしますが、現代はダイバーシティを求める世の中なのだからもっと自由でいいと思うのですがどうでしょう?

マカピーでした。

最後までお読みいただきこころより感謝します。明日もマカピー的史観をお届けします。



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