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あなたも○○○○なの? マカピーの日々 #1183

マカピーです。
マカピー妻は「JOCVってゴキブリみたい」というのです。

彼女も民間ボランティア活動でタイにいた経験があります。

ところがマカピーの様に政府系のボランティア(青年海外協力隊JOCV)の様に、国の取り決めによって派遣される形態なので、彼女は「そもそも、考え方がお役所的なのよネ」と手厳しいのでした。

朝日の丘を登るクルマ

それで、政府系の国際開発事業(たとえば国際協力機構JICA)には、JOCV経験者が多いのです。

しかも、隊員の序列が派遣年と隊次で決まっています。

ですから、例えば「ワタシは平成4年3次隊の家畜飼育でウズベキスタン共和国に行きました」と自己紹介する事になります。

すると、経験者(OB)間では「ナルホドね。という事は○○さんをご存知ですか?」「はい、私の先輩隊員でした!」なんて具合に話が続くのでした。

もちろん、JOCVの歴史は1965年まで半世紀以上にさかのぼります。

初代のラオス隊員だった星野昌子さんは、その後タイでインドシナ難民やスラムの支援をするJVC(日本国際ボランティアセンター)を立ち上げ、その代表としても活躍されました。

マカピーもそうした何千人と言われるOBの一人でもあるのですが、各国で出会う若い現役隊員の人たちと交流を持ちました。

我が家にも沢山の方に来ていただいて、楽しい時間を過ごさせてもらいました。

マカピー妻は会食を快く引き受けてくれ、10人を超える若者たちが集まりました。

彼女はそこで「協力隊ってゴキブリみたいに、一匹見つけるとその後ろに30匹ぐらい隠れているものよネ」と言って現役隊員に笑われていました。

本当にその業界は多いんですよ!(笑)

それは、かつてマカピー達も「出世払いだから」と笑われながら、先輩OBの方たちからお世話になって来たので、そのバトンを渡されてきたのだと思っています。

どうやら、メロンを作っているようです

マカピーはボルネオ島北部マレーシア国サバ州の辺鄙な場所に来ていています。かつて隊員でいたKudat地区ではルングス族の地域でしたがこちらではムスリムのバジャウやスルック系の住民が多いです。

昨日の事でした。

早朝散歩をしている「外国人」のマカピーはどうしても目立ちます。

本当は安全の観点から「ロープロファイル」で身分を明かさないようにすべきなのでしょうが、もう狭い社会でマカピーの存在はみんな知ってるんですよ。

「客寄せパンダ」的存在に加えて毎朝歩いていては隠しようもないのです。

ですから、地域住民はマカピーが歩いているだけでなく、時々キノコ狩りをしているのも知ってます。


吉野ケ里遺跡ではありません、ただの展望台です

そんな中でマカピーは幹線道路にある家の庭はナスや野菜が良く育ち、花も綺麗にしているので気になったのでした。

しかも珍しい事にそこの中年女性はヘシャブ(髪を隠す布、マレーシアではトドンといいます)を付けていないので、中華系の混血の女性のように見えました。

前日に挨拶をされたので、今日はこちらから花の手入れをしている彼女に声をかけて見たのです。

女性:「韓国人なの?港湾関係?それとも輸出の仕事?」
マカピー:「日本人です。となりの村で作物をやってます」
女性:「マレー語がしゃべれるのね。こちらに長いの?」
マカピー:「ずいぶん前にKudatにいたことがあるんです」

女性:「もしかしてJOCVなの?」
マカピー:「え、知ってるんですか?そうですボクもそうだったんです」
女性:「だって、私が農業を習ったのはJOCV隊員からだったのよ。ほら道路の向こう側の畑はその時に開いたの。隊員は4人この地区に派遣されてきたの。農業、縫製、家政それにもう一人いたわ!」

これがドリアンの木とその実です。落ちてくると危険です(笑)

マカピー:「そうなんだ、ここにも派遣されていたんですね」
女性:「あらいやだ、名前を忘れちゃった。彼女は2年の任期を4年に延長していたのよ。ただしマレー語が上手にならなくて最後まで英語だったわ」

いろんな人の人生が、こうしてこんな場所でもいろんな人生が交錯しているのでした。

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。ビックリする事があります!(笑)


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