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神のもとに帰る魂 マカピーの日々#0997

マカピーです。
またもやネパールで航空事故が発生したそうです。

場所は首都カトマンズから西へ行ったポカラで着陸を失敗し、今のところ72人のうち68人の死亡確認という事です。

何とも痛ましい事故で、事故に遭われた方々の冥福をお祈りいたします。

どうして、今回遠い国のネパールの航空事故を取り上げたかというと、マカピーはかつて5年間ネパールで働いたことがあるからです。

そして、事故現場となったポカラへはほぼ毎月出張していたので、とても他人事ではないという思いがあるからでした。

ポカラはヒマラヤの中部山岳地帯であるアンナプルナ方面へ行く基地でもあり、晴れた日には欧州にあるマッターホルンに形の似たマチャプチャレ(魚の尾の意味)が良く見えるのどかな田舎町でもありました。

そこはかつてヒッピーのメッカと呼ばれた時期もあり、大麻やハシシだけでなくマジックマッシュルームなどを楽しむ若者があふれていたと聞きます。

マカピーもバックパッカーで旅をしていた際に、インドの旅に疲れて陸路国境の町スノーリから仏陀誕生の地「ルンピニ」に入り、そこからチトワン国立公園、そしてポカラに辿り着いた際は、正直心身ともにホッとしました。

そうなんです、ポカラにはインド旅行の緊張感が溶けてゆくような心地よさがありました。

そして何よりも、ネパール人に日本人に似ている人が多く更に農村風景も日本に似ていて驚いたのです。

ああ、ここって住みやすいかも!

飛行機から見える急峻な土地に暮らす人々の家とつづら折りの道路

数奇な運命というか、その数年後に結婚してマカピー妻と三人の子供連れネパールで仕事をすることになったのです。

でカトマンズ市のパタン地区に住んだのは子供の学校が近かったからですが、マカピーの仕事場はカトマンズ市から東へいったバクタプル市だったので車で30分ほどかかりました。

そしてそのトロリーバスが走る道路はカトマンズの国際空港の滑走路の端を横切るので、時々着陸にあたると巨大な機体が覆いかぶさるような圧迫感にはいつまでたっても馴染めないものがありました。

このような空港滑走路のレイアウトになった理由は、そもそも土地が少なかったカトマンズ盆地の中央に無理やり空港建設をしたからかもしれません。

南北にのびる滑走路もギリギリの長さで南の端が道路、北は勾配のある高台から低い崖になっています。(これはマカピーの個人的観察感想です)

つまり、戦闘機が離着陸する「航空母艦の滑走路」に似ているのでした。

しかも造山活動で出来たカトマンズ盆地は、古代に湖の底だったと言われる地形で外輪山の様に周囲を取り巻く山々があるのでした。

離着陸の際には、パイロットはこの山を避けるので高度の技術を要求されるとの事でした。

そして離着陸失敗の事故が多いように思います。

カトマンズ市内のお寺にあるストゥーパ

ずいぶん前の事ですが、1990年代にバンコク発のタイ航空はカトマンズ着陸前にその盆地を囲む山に激突して日本人家族や旅行者を含む沢山の犠牲者がでました。

また急峻な谷間を縫うように飛ぶ小型機によるフライトは突然の視界不要で毎年のように事故があります。

ヘリコプターのようにホバリングが出来ない上に、ビーコンとかないので経験による有視界飛行に頼っているからでしょう。

そして、マカピーの友達の娘さんはバングラディシュのダッカの学校を卒業して戻るフライトで着陸失敗事故に遭い亡くなってしまいました!

そして今回の大事故。

あれ、ポカラの空港はもしかしたら移転したのかしら?
マカピーが利用したころは街のはずれにある小さな空港で50人も乗れる飛行機は飛べなかったと覚えています。

ときどき、水牛が敷地の柵の隙間から侵入して草を食んでいたりして「追い出すまでしばらくお待ちください!」とアナウンスがあるくらいのんびりしていたんです。

それにしても、あまりにも多すぎるネパールの航空事故ですね。

ヒマラヤは「神々の座」と言われています。

もしかすると航空事故でささげられる命って、神への犠牲って事になっていないでしょうか?

何だかそう思わずにはいられないように感じたのはマカピーだけでしょうか?

カトマンズ市内、中央円形の場所はボダナートの巨大なストゥーパ

マカピーでした。
最後までお読みいただき感謝します。魂が神々の座に帰って行くのかな




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