見出し画像

ソバにいて欲しい マカピーの日々 #1400

マカピーです。
最近ソバに興味が湧いて来ました!

マカピーの郷里は群馬で昔からソバやウドンが有名だったのです。

マカピーが想像するに、ソバの栽培があったのは灌漑用水路が未発達の時代、水田耕作が出来ないので陸稲(オカボ)やソバを栽培するしかなかったのかと思います。

そしてウドンの原料となる小麦栽培が盛んだったのは冬場でも殆ど雪の降らない土地柄だったので、水田の裏作として越冬出来る小麦を栽培するいわゆる二毛作が一般的だったからです。

マカピーの子供の頃は、春になると小麦が急成長し麦穂が実る頃には既に苗代(ナワシロは水田直播きしないで一旦苗作りをした後で、田植えをするのに用います)が準備されていてます。

麦刈りが終ると直ぐに田んぼは耕起されて水が流し込まれ田植えの準備に入る忙しい季節でした。

街道から30km程入った先にあるリゾート、その裏手に泥温泉があるという

脱穀した小麦を庭先に干すと独特の薫りがあり今でも「麦秋」の頃が懐かしいです。

ちなみに二毛作をすると小麦の実りを待つ関係でどうしても稲作時期が6月にずれ込みます。

ところがそれ程距離的に離れていないマカピーが埼玉県に移り住んだ際に驚いたのは、その地域の田植え時期が5月上旬と言う早場米地域だった事です。

マカピーの育った群馬中央部は養蚕が盛んだった地域で、田植えシーズンに春蚕(ハルゴ)飼育が重なりとんでもない忙しいのでした。

畑で真っ白な花を付けるソバはやがて収穫時期を迎え、庭先で脱穀して製粉してもらいに近所の製粉所に持って行きました。

マカピー母はウドンとソバ作りを得意としていました。

ただマカピー母はとても背が低く、彼女が粉をこねるには体重をかけての作業ができません。

そこでマカピー母はウドンやソバをねるのにそば打ち台の上に乗って作業していました。

お客さん来ないかな~?

マカピーの郷里周辺ではそうした手打ちソバやウドンを煮上げると椀に入る大きさに取ってザルに置きます。

これに布巾がかけてあるのですが、当然ながら時間とともに乾燥します。

養蚕が盛んだった頃の夕食って夜の9時頃だったんです。

育ち盛りのマカピー兄弟3人はひもじかったので、母が釜揚げする麺に汁が出来上がるのを待たずに醤油をかけて食べてました。

最近ひょんな事から富山県南砺市でソバを作っていらっしゃるnoterの茶屋ファームさんと巡り合う事が出来ました。

マカピーはネパールに滞在していた際にお世話になっていたサンセットビューホテルに本格的なお蕎麦屋が併設されたんです。

それはソバが高所でも栽培出来る貴重な作物であった事。

おそらくホテルオーナーだったタカリ族のトラチャンさんのふるさとが秘境と呼ばれたムスタン地方のツクチェ村だったと思われるからでした。

そしてツクチェ村(現在の南砺市)「ソバサミット」を契機に友好都市となった話も聞いていましたので、その事を伝えると喜んで頂けました。

ツクチェのソバの花って紅いんですよ!

更にそこのそば粉を使って料理される方Eijyoさんもおいでになり、マカピーはマレイシアにいながら蕎麦をめぐる話を楽しんでいまーす。

いつかレストランでソバを出したいな!

マカピーでした。
最後までお読み頂きありがとうございます。noteが結ぶソバ縁ですね!


もしもサポートいただければとても嬉しいです。そのサポートは感謝のバトンタッチとして使わせていただきます!