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その「ガーディアン」と違ったのね? マカピーの日々 ♯1553

割引あり

マカピーです。
バギオに行ってきて長時間のドライブに疲れました。

片道8時間以上かかるとは、まるでマニラに行くような距離感覚のイザベラ州からの一泊の旅をしたのは、ハナさんの息子のアジズの学校に関して現地の学校を訪ね情報を得るる為でした。

マカピーはアジズがかつてマレーシアののインターナショナルスクールに通っていたので、その継続かと思ったら違っていました。

ハナさんはアジズをムスリムの学校に入学させたいけれど、マレーシアの宗教ガチガチよりも多様性の中で教育させたいというのでバギオを選択肢に入れたのでした。

日曜日の朝6時にハリー叔父の家を出発するのですが、前日もイフガオでの臨時クリニックで疲れていたので、旅の準備が出来ていませんでした。

朝の5時に起きて準備を始めると「あ、5時に患者さんが来るの」と出発の準備をしながら患者さんの診察をしていたハナさんがドドンの車に乗れたのは6時半近くになっていました。

これが医者の日常生活なのでしょうかね?

イフガオの臨時クリニックでの患者さんには「バギオに言って来るから明後日(火曜日)ね」と言ってきたので1泊です。

だから何としても月曜日にはハリー叔父の家に戻ることにしていました。

ただし、道路はイザベラ州からヌエバ・ビスカヤ州を抜け裏側からベンゲット州にあるバギオを目指すのですが相当厳しい上下左右に揺れる山道でマカピーはすっかり車酔いしてしまいました。

次第に高度が上がり松林が現れ「おお、高原の雰囲気だね!」なんて最初は喜んでいたのですが、ワインディング道路にすっかり元気を失ってしまいました。

ところが、車がこの国で1956年に出来たという当時世界最大規模だったというロックフィルのアンブクラオダム(水力発電ダム)がありその近くで休むと元気になりました。

アンブクラオダム遠望

そこの展望台近くのお店を守っているオバチャンの話を聞いていると1965年完成とか言っていましたが調べると違っていました。

さらにそこでの会話にあったフェルディナンド・マルコス(現ボンボン・マルコス大統領の父で1965年から1986年の20年政権を握っていた)政権による建設とは年代的に関係なく米国の会社が請け負っていることがわかりました。

マカピーも1990年のバギオ地震を経験しましたが、それまでも度々の地震発生していて建造物に影響を及ぼしていたのでした。

フィリピン政府の要請で日本政府がJICA(現 国際協力機構)を通じて他のダムと一緒に修復したという因縁あるダムであるというのも調べて分かりました。

10457406_01.pdf (jica.go.jp)

(フィリピン共和国 アンブクラオダム修復計画事前調査報告書1986年9月国際協力事業団 資料より)

マカピーがバギオを最初に訪れたのは次男がマニラで生まれた後で前年のバギオ大地震に続くピナツボ山噴火の後でした。


アンブクラオダムだけでなく、マカピーもリアルに経験したバギオ大地震やピナツボ火山大噴火は今や昔の物語で観光地になっているというのだから、マカピーにとっては驚きです!

バギオは1898年スペインとの戦争で勝って安く譲り受けた米国がフィリピンを独立する1946年まで管理するのですが(途中第二次世界大戦中日本の占領下になる)その暑さに耐えかねて避暑地として酷暑時期に政府機関を移していた歴史ある街並みでもあります。

コーディリィエラ山脈の高地にあって涼しく現在では35万人(2015年)を超える人口とありますが、更なる増加であり道路状況、生活水の確保や環境悪化も心配されています。

なんと、Wikipediaによればバギオ市ってベンゲット州に属さない特別都市なんですね!

ビックリです!

さて月曜日になって、複雑な道路をドドンの車で迷いながら行った先のムスリム学校に行くと閉まっていて誰もいません。



モスクが学校に付属している

近くにバイクを停めていた人がやって来て教えてくれました。

「今日は卒業式をやっているんです。午後の3時45分以降に来れば午後の礼拝の後で誰かいるはずです」

「アナタは?」

「ボクはここの卒業生なんです。マニラ出身ですがここで結婚してバギオで働いています。とてもいい学校なのでおススメですよ」

すっかり気を良くしたハナさんは「じゃあ午後に来ましょう」という事になったのですが4時間以上も時間を潰す必要があります。

結局フィリピンで最大のSM(シューマート)のSM City Baguioと言うショッピングモールに行く事にしました。

その前に久々にサンボアンガのカトリンから連絡がありハナさんが「今バギオに来ているの」と伝えると「ガーディアンに行ってフォーエバー・ラスティングを買って来てね」と頼むのでした。

「あるか分からないけど見つけたら買っておくわ」とハナさんは受合ったのです。

「ガーディアンだったらサンボアンガにだってあるんじゃないの?」

「以前ここで買ったから、是非探してほしんだって!」

SM City Baguioは他店とも比べてかなりの大きさを誇り、この傾斜地によくぞこれだけの施設を作ったものだと驚くばかりでした。

大胆な吹き抜け

大きな衣料店やレストラン、土産物店が出店していてましたが日本の「くもり」というパン屋さん、ラーメン屋さん、元気寿司さん、丸亀製麵さん、ダイソーさんそしてユニクロなどがありました。

ドドンさんの一人息子はこのバギオにあるセント・ルイス大学の工学部に来ているので合流したので一緒に昼食をとる事にしました。

午後の講義があるというので息子さんが帰るとバギオは大雨に見舞われて吹き込む冷風で寒いほどになりました。

雨季の午後は毎日のように雨が降るのだそうです。

ハナさんはSMモール内のいろいろなところに行っては「フォーエバー・ラスティング」を尋ねるのですが、おそらく中央公園近くにあるだろうという事でそこに出かける事にしました。

花屋さんにもありません

すると、なんとドドンの息子も「休講になった」と父の車に乗り込んできたのでした。

さすがに植物のことは詳しくありませんでしたが、公園近くの植物を扱うお店に行ったのですがフォーエバー・ラスティングはありません。

しかたなく、時間つぶしも含めて雨の中Mines View Pointという観光地に行く事にしました。

マカピーはバギオには金鉱があるというので、その坑道を見るような日本風の観光地を想像したのですが全く異なっていました。

実に一人10ペソの入場料を払うと、そこにはフィリピン的なカオスの中にあって土産物屋さんが沿道をギッシリ埋め尽くしていました。

北部の山岳少数民族衣装を身に着けて写真を撮るのはまだ許せるのですが、何故かしら関係なさそうな白馬が数頭いてそこでアメリカの先住民族風の頭飾りをつけて記念写真を撮ったり、セントバーナード犬と写真を撮る不思議な空間が広がっていました。

さらに先に行くと展望台があったのですが「え、ここで終わり?」とついてきたドドンの息子に尋ねると「はい、そうです。ここからいくつかの鉱山が見えるんです。あそこの赤い土が出ているところも金鉱だそうです」

「ああ、ナルホド。この地点からいくつかの金鉱山の場所が見えるからこの名前がついたんだ!」

そもそもこんなのを展望台と呼ぶのだろうかしら?

それでも絶景だとばかりに周囲の人が盛んにスマホで自撮り(セルフィー)をしているのでした。

ここから金鉱山が見えるという展望台

なんだか肩透かしにあったような気がしましたが、「いやーフィリピンてやっぱり面白いなあ!」と思わず笑ってしまいました。

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