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現在と750㏄(ナナハン)ライダーに憧れた頃 マカピーな日々#0411

マカピーです。

マカピーが学生の頃1年間酪農実習で米国へ行ったのですが、その際にあわよくば米国で自動二輪の免許取ってそれを帰国してから「免許書き換え」して大型自動二輪に乗ろう!って考えたのでした。

しかし現実は「100年ぶりの寒波」が中西部のアイオワ州を襲い、帰国前の農閑期に予定していた免許取得はなりませんでした。

だって、気温がマイナス40度くらいで「戸外に出ないように」と警告が出るほどだったからです。

それまで乗っていた250㏄のHonda XL250sというトレール車よりも先輩たちが乗っている750㏄クラスのバイクが乗りたくて仕方がなかったんです。

残された選択肢は試験場での「一発試験」を繰り返す事でした。

詳しくは上の記事の中にありますが、道交法の改正で1975年から1996年まで自動車教習所で自動二輪の免許が取れず400ccエンジン以上のクラスのバイクを乗るのには「限定解除」試験(一発試験)に合格するしかなかったんです。

マカピーは帰国してから4学年の学校が残っていたので、バイトと卒論とオートバイの限定解除試験にかなりの時間を費やしました。

ところが日本の人口の1割もいる東京には府中と鮫洲の2か所しか試験場がないので受験者数が殺到するものだから、受験に失敗してすぐに次回の申し込みをしても3か月に2回の受験がやっとでした。

マカピーの府中での「限定解除」の夢は卒業後に持ち越されました。

マカピーは就職した神奈川の厚木近くの仕事場に住居を移しながら相変わらず、慣れた府中試験場に通うのでした。

結局13回目くらいで合格したのでおそらく1年半を要したのでした。

当時大型二輪の教習所は和光市にあるレインボースクールというのしかなかったのですが、受講料が高価だったのと遠方の厚木から通うことになるので躊躇していたのです。

でも、一方でこのままダラダラとやっていても「明日はない」とは自分でも気づいていたのです。

そんなある日の事です、愛読していた『ミスターバイク誌』を読んでいるともと白バイ隊長だった人が開校した「中川自動二輪教習所」の広告が目につきました。

「そうだ、府中試験場の近くだし、試験前にここで体を慣らしておいてから試験に臨もう!」とひらめいたのでした。


それで教習所へ行ったからって、直ぐに合格するほど甘くなかったです。

でも「中川スクール」へ行って良かったなあと今でも感謝します。

それはオートバイに対する中川さんの愛情を感じ、事故を起こさない技術をちゃんと習うことが出来たからです。

当時流行っていたマンガに出てくるような派手なコーナリングは一切厳禁。そもそもオートバイとの一体感のない乗り方は許されなかったので、最初はニーグリップを徹底的に教え込まれました。

内ももでタンクを挟むのを忘れないようにと、段ボール紙を落とさないように狭いコースをクルクル回るばかりでした。

それから「スラローム」のアクセルとブレーキの使い分けで「250㎏の車体とダンスを踊るように」こなすのです。つまり合計300㎏以上のカタマリを安定させる技術なんです。

「バイクの運転」とは体を保護するものがほとんどない、むき身のままで走行するからその技術は高くあるべきなんです。

バイクとの一体感が生まれる、不思議な感覚が生まれた時にマカピーは合格したんです。(ヤマハのXS650を購入しました)

確かに中川教官は竹刀を持っていてヘルメットをコンコンと叩くことはありましたが、暴力や暴言は一切ありませんでした。強面でドラ声だったので「鬼の中川」と伝説のある方だったようですが。


さて、マカピーはnoteをはじめて1年経ったのですが、フォロアー数が160くらいで毎日の「スキ」の数も5つくらい貰っていたのですが、「これっておかしくない?」って疑問に思うようになったんです。

ともかく書き始めてから目標を「1800本投稿」すると、勝手に決めたから「まあ4-5年はやるのかなあ」って漠然と考えていたのは「イケハヤさん」の話の中で「ともかく3年はやらないと分からない」とあったからです。

ところが投稿ごとの成績をダッシュボードを見ると分かったのはPV数が圧倒的に少ないのです。

つまり記事そのものを見る人が、圧倒的に少ないのです。これじゃあ「スキ」にも「フォロー」にも繋がらないのは明らかですよね。

次第に、読んでもらえない、反応が無い投稿を続ける意味を考えたんです。

それで、「noteなんてやーめた!」とはなりませんでした。

だって、沢山のnoterさんからの記事には新たな発見があり、自分の文章が投稿できるnoteがますます好きになっていたからです。

先月の退職後、マカピーと同時くらいに初めて急成長してずーっと気になっていた『ひな姫さんのnote大学』を推薦する記事があったんで、「ああ、これって中川スクールと同じだ!」ってピンと心に響いたんです。

即参加して、2週間ほど経ちましたがフォロワー数が二倍の400を超えました。そして投稿には20くらい「スキ」を貰えるようになったんです。

さらに「ひな姫学長」のヒントを一つでも実践すると面白いほど変化がありました。例えばnoteで共有する画像を「みんなのフォトギャラリー」にアップする事でした。

400本ほど投稿しているからそれなりの数の写真を使ってきたので、それにコメントをつけて投稿すると沢山の方が利用してくれるのでした。

noteの機能ではそれを通知してくれるので、利用者に「使ってくれてありがとう」の返事を書くことにしています。「ああ、こんな反応もあるんだ!」と自分のとった写真の評価を頂いたような気持ちになりました。

note大学のキャンパスはものすごく広いので、まだまだ新入生状態が続いていますが、Kindle本出版に関する部にも参加することになりハラハラドキドキがあります。

だって、マカピーの夢に「書籍出版」があったからです。

中川スクールもnote大学も「もっと早く行っておけばよかった」かというとそうではなく、その判断をしたタイミングがベストだったのだと思っています。

マカピーでした。

最後までお読みいただき感謝します。出会いを大切にしましょう!



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