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「多様性」 の意味、ほんとにわかってる?

前回書いたのを見返してみると、なんか自分の精神状態が表れているな。 ちょっと今、自宅ではないところに数か月滞在していて、普通ではない状況にいるから。 ひとことで言うとプライバシーがない状態。 かなりキツい、、、この歳になってこれは。
 
それはそうとして、肝心なことが書けていないではないか。 と思ったので追加。
 
私は、「弱いものに厳しい」 という今の日本への憤りが基本にあるのだけど、前回は弱い立場に置かれがちなもののうち、女性について書いた。
 
それで言うと、子連れの女性を迷惑がる風潮は許せないと思っている。
 
乳児が泣いてると 「うるさい」 と怒鳴られるとか、ベビーカーを 「邪魔」 だと蹴られるとか。 そんなの人間のやる事じゃない。 それをするのはほとんどが中高年の男性らしいが、彼らもストレスが溜まっているからなんてことは言い訳にならない。 自分のストレスと、目の前の子供は関係ない。 考えてもみろ、相手が子連れの 「母親」 ではなく、子連れの 「父親」 だったら怒鳴らずにいられるのなら、母親相手に同じ自制心が働かないのは甘えだ。 怒鳴るほうの問題であって、子供の問題ではない。
 
いま書いたように、親が 「父親」 の場合と比べて、「母親」 のほうが圧倒的にひどい扱いをされているという。 (これは母親のほうが多いからという数の問題ではない。 おじさんが 「母親」 に怒鳴り散らしているときに父親が現れたら、おじさんはおとなしくなるそうだ。 感覚的にとてもわかる。 自分より弱い相手に強く出ているだけだ。)
 
母親が安心して子育てできないのは、それ自体が問題であり、子供を作るのに積極的になれない理由のひとつにもなる。 少子化が進むいっぽうだ。 数(人口) の点でも社会が滅びる。
 
もうひとつ、女性も男性もそれぞれ人間という種のうちの一部分であるのだから、女性を排除するのは、人間が自然に持っている資産(あらゆる資質や能力) の半分を捨てているということだ。
 
体力、知力、精神力。 想像力、共感力。 表現力。 忍耐力。 リーダーシップ。 敏捷性、柔軟性。 あらゆる要素が人間の資産であり武器である。 これらの武器でもって私たちは社会を運営していかなければならないのだけれど、1万年も続いた縄文時代ならともかく、現代の社会は日進月歩で変化していっており、昨日までの常識が今日は通用しなくなるような世の中である。 ということは、昨日まで使っていた能力がどんどん用済みになり、今日は違う能力が必要になってくるということだ。
 
その、今日新しく必要になった能力を持っているのは、たまたま女性なのかもしれないよね? 社会の中で女性と男性が同じように存在しているのなら、必要なときに彼女の能力を取り出すことは簡単だ。 だけど、女性の能力が無視されているとしたら?
 
前回触れたジェンダーギャップ指数を構成する分野の中には 「政治」 があるが、こちらの順位は 146か国中 139位、ほかにも 「経済」 分野(労働参加率や管理職比率など) では 121位だそうだ (Global Gender Gap Report 2022)。 どちらも先進国中ぶっちぎりの最下位。 おめでとう日本! これらがつまり、女性の能力を無駄にしている証拠に他ならない。
 
こんなだから、現実の今の日本がどんよりしているのに、何の打開策も打てないのだ。
 
性別だけを理由に人間を型にはめたり、優劣をつけたりするのは意味がなく、愚かしいことだ。 自分たちで自分の首を絞めているようなもの。 さらに、そのことに気付いてもいないのでは救いようがない。 まさに終わりの始まり。
 
現状の日本には、女性が発言しているというだけで、真剣に話を聞けない男性が一定数いる。 その裏返しで、女性から話を聞きたいときは 「女性目線で」 という枕詞をつけずにはいられない。
 
そういう男性は、自分の上司が女性になったりすることには耐えられないのかもしれない。
 
女性が男性と同様に尊重されるには、日本人の心の中に、越えなければならないハードルがたくさんあるのだ。 苦しい作業だけれど、それでもこれを乗り越えなければ、日本はこのまま世界から取り残され、どんどんダメな国になっていくだろうね。
 


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