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「嵐山の宴」


「酒飲みの片思い」(1984年作品)より

 嵐山は、京の右京、嵯峨野の北西に位置します。嵐山の裾を流れる大堰川に架る渡月橋は、法輪寺の道昌僧都によって架けられたと伝えられています。
 渡月橋は嵐山と対をなすもので、その名の由来は、亀山上皇が「くまなき月の渡るに似て」と詠まれたことから名付けられたと言われています。
 いきつけの飲み屋の祝宴に出席した時のこと。
 「小学校の時以来、嵐電に乗っていない」との友人のことばにさそわれて、久しぶりに、四条大宮から嵐電にのんびり揺られていった。
 沿線の風景もあまり変わった様に感じられなかったのも、電気鉄道の初期と変わらぬ嵐電の姿に魅せられたのかも知れません。嵐山に着くと、小学校の遠足の時、大堰川の中洲で広げた弁当がなつかしく想い出されました。
 渡月橋を少し上った、川沿いにある料亨では、すでに、「いつもの飲みやのいつもの羅漢」のことばがぴったりと当てはまる連中でワイワイ、ガヤガヤ。宴の始まる前から賑やかなこと。
 その夜の宴会は、京都の文化人類学的人間達が一同に会し、その店の女将を肴に、杯、また杯。
 会場の料亨は、功成り、名を遂げた、大人(たいじん)の別邸であったとのこと。誠に立派な造りであった。総檜造りの大広間から庭園を見ると、渡月橋が見事にその景色にはまっていた。
 ところで、五月の第三日曜日には、この渡月橋上流の大堰川で、車折(くるまざき)神社の三船祭が行われます。
 平安時代、宇多上皇が大堰川に舟を浮べて、詩歌、管弦、舞楽を愉しまれたのが、祭の起こりと言われています。その日の渡月橋上流の嵐峡は、竜頭舟をはじめとして、詩歌、書画、献花、謡曲など趣向をこらした舟で埋まる賑わいになります。
 三船祭の賑わいの様に、その夜の宴は歌あり、舞あり、一同、酔船に揺れていた。庭にでて、風に吹かれていた誰かが「月が橋に掛っている」と大きな声。橋の上に青く光った満月ぽっかり。亀山上皇の詠まれた「渡月橋」がそこにあった。宴が一段と盛り上ったのは言うまでもない。

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