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「京女」


「酒飲みの片思い」(1984年作品)より

 元旦のおとそから始まり、一年中、酒から縁の切れない私にとって、あちこちの飲み屋で、いろいろな人々との出合いが持てるのも、私の大きな愉しみのひとつとなっています。
 行きつけの飲み屋で、好きな店のひとつは、鴨川にそった細い路、先斗町の中程にあります。
 玉子が縁で、その店を知ったのは、今から三十年近く前のことでした。私が中学三年生の夏、ある乾物屋のアルバイトで、自転車に乗って配達する途中のことでした。雨のしとしとと降りだした夕暮時、前の人を避けようとしたとたん、あっと言う間に、私は、積荷と一緒に、ドスンと路上に投げだされました。積荷の中の二百ケ以上の玉子は、見るも無残に、雨に濡れる路上のあちこちに散らばってしまいました。その側で、忘然と立たずんで居る私に声をかけ、散らばった玉子の残骸や、他の積荷をてきぱきと片付けてくれたのがその店の女将だったのです。
 店の中は、常連がいつも賑やかに、わいわいがやがや。カウンターの上には、京のおばんざい(おそうざい)が盛られた器が、所狭しと、愉しげに並べられています。肴の一品一品は、女将の心づくしが、京風に味付けされ、四季折々、酒の愉しみを倍加させてくれます。
 正月ともなれば、「おめでとうさんどす」と、童女のような女将の笑顔で迎えられ、若竹の猪口に菰樽(こもたる)から注がれた、杉の香りのぶ—んと匂う新酒を味わえるのも、愉しいものです。
 女将は、一見、豪放磊落に見えて、根は、心づかいが細やかで、優しい、根つからの京女(きょうおんな)です。
 煩い客や、声高に話す客が居ると、「がたがた言うな!」と客の後に回り、肉太の手で、背中を二、三ぱつぶっとばす。客は、暫、呆然。女将の人懐こい笑顔と、カラカラと響く声に、客も思わずつられて大笑い。客から注がれた酒を一気にロへ。その飲みっぷりの立派なこと、実に、爽やかです。その客さばきも、実に見事です。
 私も女将から、背中をどやしつけられながら、酒の飲み方を教わった一人です。酒道は、厳し。

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