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2024/07/25日記_うしろめたさ

台湾へ行ってきて買ってきたものを販売してみようとインスタに載せたところあまり反応がなくて拍子抜けしてしまう。うちは飲食店だから物品はたまにしか販売しない。今のお客さんが求めるものは調理する食べ物なのは当たり前で、自分たちも変化していくこととお客さんの間で馴染むまでのギャップはどうしようもないことだからそこは待つしかない。

今日は昨日からの強力な台湾の台風の影響が気になった。通過するの北の方だったけど被害は全域にわたっていた。数日違いで台風を免れた身としては運が良かったとも言えるし、後ろめたさがある。

人はなぜ被害にあった人に対して後ろめたさを感じるのだろう。これも人と比べてしまうことのなのだろうか。羨ましいとか嫉妬とか、人と比較して生じる感情とあるいみうらとおもてなのかもしれない。人はある意味平等を願い続けるということなのか。あの人に追いつきたいとかあの人が失脚したらいいのにと上にいる人を引きづり落として対等にしようとしたり。災害にあったり苦難とともにあるひとを間近に見ると後ろめたく感じてしまう。

でも人にはできることとできないことがある。助けにいける距離かどうか金銭的に応援できる限界とかはある。現状の生活の何かを壊せばすごい強力はできるかもしれない。でもそこまでする人はあまりいないだろう。人間には平等という理想をもってしまっているということなのかもしれない。そういえば松村圭一郎さんの『うしろめたさの人類学』を読み返してみるかな。そう思って、内容はだいぶ忘れてしまっていたけど線を引いたところを読んでみると「うしろめたさ」については全然わかっていない。

カフカの『城』はなかなか進まない。物語はもちろんのこと意味を求めてもそれこそ無意味な小説だと思う。こねくり回したような頭で浮かんだ葛藤を全部セリフにしてしまう。腹の中を全部話す人間なんていないのだから、これはそもそもリアルに書こうとなんてしていない。その滑稽さを楽しむというか、そこでそうきたかみたいな即興を楽しむ小説なのかもしれない

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