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2024/09/13日記_『文章心得帖』鶴見俊輔

今日は暑かった。外に干していた洗濯物ハンガーがチンチンになっていた。

荻上チキさんのsseionで自民党総裁選の候補者演説を聞いた。前向きそうに印象よく話してはいるものの、その中身は気が滅入るものばかりだった。日本は再エネ比率が高すぎるから原発動かすとか核融合を研究するとか絶望的なひともいた。政治資金の問題や選択式夫婦別姓なると触れなかったり触れたとしてもトーンダウンする。規制改革や構造改革を高らかに叫ぶ人は過去の失策をどう観ているのだろうか。世襲の人には社会の実態への解像度が低くてモザイク処理された画像のように雰囲気でしか見えないのかもしれない。

『文章心得帖』を読み続ける。形容詞は少なくして動詞をメインに据えると書いてあった。言葉を盛って文章をおもしろく見せようとするのは簡単だけれど、読み手としては文字の量を増された印象で味が薄くなってつまらない。街や画面には形容詞や副詞で飾りつけ過ぎたコピーや文章が溢れていて、それらは目障りでしかない。それはそうであっても書く立場になると話は変わる。飾りつけを少なくしてシンプルな文章に仕上げなさいということは、出来事、感じたこと、考えたことについて無垢なことを淡々と書くことになる。大した出来事なんてそうあるわけもないのだから、完成や思考が働かせること必要になる。

「〇〇だったことは△△をわからせてくれた」のような受け身の使用はなるべく避ける、というのもある。無闇に複雑な文章にしない方がよいということだった。ニュースを見聞きして考えさせられた、気づかされたと言いがちだけれど、そんな紋切り型で書いてしまうことがあってはいけない。これも動詞を主に置くこととつながっていると思う。どんな出来事や心の動きにも外的要因やきっかけがある。どんなことでもすべて自分で考えたこととはいえない。だから受け身で書くことは事実と異なるわけではないけれど、読みにくい。自分を軸にして心身を動かしていくことを記述する方がわかりやすい。

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