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友達の子どもが3か月だと言うので,娘(5歳)と息子(3歳)の生後3か月がどんなだったか振り返ってみました。

実は、この頃の記憶があんまりないんです。特に息子生後3か月は本当に覚えてない。娘のことも、息子のことも、自分のことも。

多分、いっぱいいっぱいだったんだと思います。正確に言うと、1人で勝手にいっぱいいっぱいになっていた……でしょうか。

自分が描く母像になる為に、必要ないプレッシャーを自分で自分にかけていました。
出来ることなら早く社会と関わりたくて、焦ってました。
でも目の前にいる小さくて儚い赤子と、2歳のくせにやけに聞き分けのいい長女の事が当たり前だけど放っておくことはできませんでした。
夫の帰りは遅く、週末も仕事で不在な事が多くて、ほぼワンオペの状態に不満いっぱいでした。

当時の私は、大人と喋りたい。自分のペースで生活したい。そんなことを思ってたと思います。もちろん子どもは可愛い。それに違いはないのですが。

一昨年子育てのセミナーに参加した際、講師の小柳晴生さんから配られた資料にこんなことが書いてありました。

❝戦後70年で大人の生きる速さは大きく変わった。大量にモノを生産し、生産された膨大なモノや情報を消費するために、私たち大人は生きるスピードを速め、密度を濃くすることで対処した。その結果、現代の大人は時速60㌔かそれ以上の速さで生きている。
一方で、乳幼児はというと、子守歌に代表されるように時速4㌔の世界でしか育たない。
昔は大人も子供も同じ4㌔の世界の住人だったのが、大人と子供との生きる速さのギャップが広がり、今や別の世界の住人になりつつある。❞

これでした。
私はこのギャップが埋められなくて、子どもと一緒に過ごしていても、最初は良いものの、徐々に煮詰まりを感じていました。

これを知ってからというもの、まぁ煮詰まりが全く無くなるということはありませんでしたが、自分で生きる速度のギアチェンジを心がけるようになりました。
付き合う時はとことん付き合う。付き合えない時は子どもが泣こうが喚こうが、ごめんなさいして、義母にお願いするようになりました。

少しずつ、その時間で1人を楽しむことができるようになり、その間預かってくれる義母に感謝するようになりました。ありがとうや、感謝、機嫌の良さは連鎖します。次第に気持ちの持ち方も変わってきました。
と同時に、子どもたちも成長して2人で遊べるようになり、同じ空間にいながら、1人を楽しむことが出来るようになりました。

よく言われる話ではありますが、小さいうちの子育ては自分を楽しむ。自分が楽しむ。これに尽きると思います。大人が楽しそうにしていると、なんだかよく分からなくても、子どもは引きずられて楽しそうにするものだと思います。
今日、試しに意味なく笑い転げてみました。子どもたちも一緒に笑い転げてました。無駄に始めたことでしたが、しょうもなさに笑えました。とっても楽しい時間でした。

まだ上の子が5歳なので、この先のことは分からないけれど、次のステップが来るまでは、しばらくこのスタイルで、まずは自分を満たそうと思います。

明日は運動会。子どもたちの成長を感じる1日になりそうです。


※今日はsoejiさんのイラストを選びました。ウサギが好きな娘とクマが好きな息子が選びました。ありがとうございます。

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