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路上の菩薩 (2008年39歳)

涼しさがうすら寒さへと変わり始めた、ある秋の夕刻。
私は自宅でせっせと身支度を整えていた。
そう、これから地元駅近くのお店で友と会食をするのだ。
地元だけれど、何かの星が何個かついているお店なのだ。食通の彼女が選んだちょっと素敵なお店なのだ。スーパーに行くような普段着で、のほほんと訪れる訳にはいかないのだ。

心にはそこはかとない緊張感が漂っていた。
そもそも畏まるのが苦手なのだ。
なので、とにかくTPOに合いそうな外観づくりを頑張った。
服装にメイクに、全体のバランスや後ろ姿だって、姿見の前で何度もクルクル回ってチェック&微修正。持てるセンスを全て振り絞ったところで、「いざ出陣!」とばかりにアドレナリンを大放出し、待ち合わせ場所である駅改札へ颯爽と向かったのだった。

駅までは、徒歩でなんだかんだと20分弱かかる。
その途中には待ち時間の長い信号が2カ所もあり、今回は「あとちょっとで駅に到着」という2カ所目でひっかかってしまった。
ちなみにここは小さな交差点なのだが、人通りがとても多い。
そこへ来て、赤信号がとてつもなく長いので、この時もあっという間に人だまりが出来しゅったい。私は真ん中の辺りで、おとなしく青信号を待っていたのだった。

……とそこで、ふくらはぎ辺りに軽い違和感を覚えた。
『……?』
私は、反射的に腰をねじって見下ろそうとした。その振り向きざま!斜め後方のおばさまとガッチリ目が合った。……と言うより、おばさまが敢えて合わせて来られたという感じ。
しかも、その眼差しには、何故か複雑な心境が宿っているような気がする。

『え?あの意味深な眼差しはなに……?気のせい?』
謎が矢のように脳をよぎる。……っていやいや!それよりなにより今はふくらはぎだよ、ふくらはぎ!
私は素早くおばさまとのアイコンタクトを断ち切ると、いよいよ違和感部分確認した。そしたらなんと!黒い膝丈スカートの下に穿いていた、これまた黒いペチコート(下着的裾レース付き)が、斜めに豪快にずり下がっているではないか!
……うーん、どうやら途中でゴムが切れたらしい。

『おわっ!!!(恥)』
慌てた私は、ペチコートをずり上げようと、まずは後方を確認した。
そしたら、またもやおばさまの視線と交錯!
ところが、眼差しからは明らかに意味深な気配は消えていたのである。
『あれっ?』
と、新たな謎が脳をよぎったその瞬間、肩越しから控えめトーンの声が届いた。
「あ、やっぱり下がっていたのね!気づいてくれて良かった!!」
驚いて振り向くと、声の主は、いつの間にか背後におられたおばさま。その口調と表情は、心底ホッとしたご様子である。

『うわー!そうだったんだ!!』
あらゆる謎の解明を前に、恥ずかしさがほとばしった私。
照れ笑いをうっすら浮かべ、ペコリとお辞儀したのち、いよいよ“ずり上げ作業”に取りかかったのだった。……いや~恥ずかしかった。テヘへ……。

……で、終わるのかと思いきや!な、なんと、おばさまは更に「大丈夫よ!」と力強く告げ、ペチコートを上げる姿を他の人に見られないよう、身をもって隠して下さったのだ!
私はひたすら感謝感激。素晴らしきご配慮に恐れ入ったのであった……。

その後、無事ずり上げに成功した私は、尚もヘラヘラと照れ笑いを浮かべつつ、何度も何度もお礼を告げた。
対して、おばさまは非常に晴れ晴れしい笑顔でおっしゃった。
「いえね、そういうファッションなのかもしれないからと思って、教えるかどうか迷っていたのよ~!」
……そ、そうでしたか、すみません!そんなにハラハラさせてしまっていたなんて……。お心遣い痛み入ります……。

と言う訳で、おばさまの細やかで温かなサポートのおかげで、ひとまずなんとか駅に到着。駅ビルのお手洗いにてペチコートを脱ぎ去り、無事“星つきレストラン”に入店出来たのだった。

いや~それにしても、ずり下げながら闊歩していた己を想像すると、恥ずかしさもひとしお。
あらためておばさまの絶妙なご配慮が身に沁みた。
世の中には素敵な方がいらっしゃるものである……。