ビジネスと研究でちがうのかも、と思った「思考」の話。
おはようございます。
最近、ベランダに置いてるチューリップが少しずつ開きはじめてて、ついつい応援したくなっている毎日です。
さて、今日はエンタメの現場で働かせていただきながら、大学院でも研究させてもらっている中で、気づいたこと。
「ビジネスってこうなんだ」って思ったことについて書かせていただきます。
私は、『えんとつ町のプペルVR』プロジェクトを担当させていただいていて、インターン生活のほとんどをこのプロジェクトをやらせてもらっています。
今はコンテンツのことだけじゃなくて、イベントまで含めた体験の設計について考えていて、「どんな体験を届けたいのか?」をずっと考えています。
その中で、今回は物語(メッセージ性)じゃなくて、「えんとつ町」っていう世界観自体を好きになって欲しいなと思っていて、なので、「体験した人たちに、より深くえんとつ町を好きになってほしい」と言っていました。
ただ、それだとずっと、「漠然としすぎている」というアドバイスを受けていて・・・
最初はよくわからなかったんです。
いくら考えても、結局そこにたどり着くし、世界観を好きになってもらえたら、他のプペルコンテンツを盛り上げることにもつながるので、それ以上ないよなあ・・と。
ただ、いろんな人にアドバイスをいただく中で、あることに気づきました。
それは、目に見える「アクション」まで考えてない、ということ。
「好きになってもらう」っていう感覚自体は間違っていないと思うけれど、そうなった上で、具体的にどんなアクションをして欲しいのか、がないんだと思いました。
例えば、絵本を買う、サロンに入会する・・・など。
目に見える形での「達成」の基準、とも言えるかもしれません。
もしかするとこれは、いまこのnoteを読んでくださっている社会人の方からすれば当たり前すぎることかもしれないんですが・・・
学問の分野で頭を捻らせてきた自分には、同じ「思考する」でも、「研究」とはぜんぜん違う「思考」だなと思いました。
これは私の主観ですが、私が経験してきた学問の分野では、「何を明らかにすべきか」は徹底的に考え抜くけれど、「それを読んだ人にこういうアクションを起こしてほしい」とか、「こんな風に変えたい」とかを想定するのは、むしろすごく危険で。
いかにそういった恣意的なものや、こちらの意図を排除して、表現すべきもの(明らかにしたい問い)を、中立に伝えるかに全力を注ぐ。
例えば、「森林破壊はよくない」と思っていても、直接的に「森林破壊はよくないです」と書くのはダメだし、読んだ人がみんなそちらに思考を引っ張られるような書き方にしてもいけない。
むしろ、「森林破壊は良いのか」という議論をするために、必要な情報(論点)をいかにわかりやすく、反証可能な形で書くか、に集中する。
(そもそも何をもって“良い“とするのか、っていう問題もあるけれど(笑))
なので、何かを伝えるにしても、「どう感じるかはあなたに任せます!」みたいな感覚でアウトプットしてたんです。
でも、ビジネスでは「あなたに任せます」じゃダメで、むしろ積極的にどんどんアクションを起こすように、意図を盛り込んでいかないといけないんだなって思いました。
自分では思考しているつもりでも、どうして漠然としちゃうのかがずっとわからなかったんですが、もしかすると、そもそもの「思考の仕方」がちょっと違ってたのかもしれません。
社会を動かすために、具体的に「アクション」を誘導する『ビジネス』と、一見、事実を明らかにしているだけで何も働きかけていないように見えるけれど、でも実はその「明らかにする」こと自体が、社会を動かす大きなきっかけになってるかもしれない『研究』と。
行き来しながらどっちも勉強していくと、それぞれの物事の見え方が変わるだろうなあと思いました。
最後は大きな話になってしまったけれど、そういうところを行き来できたらいいなあと思いつつ、与えられた環境に感謝して、もっとがんばります😊
できないことの中に、新しい発見があるからおもしろい。
今日も楽しみます!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?