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時間を共有する。

おはようございます。
昨日は、(株)NISHINOのインターン同期のべぇくんの
誕生日配信に参加して、
一緒にスクワットを100回したので
絶賛筋肉痛のまーちゃんです。

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さて、昨日の記事で
「ずっと家にいてどうなることかと思ったけど、意外と大丈夫かもしれない」といったようなことを書きました。

実はこれ、自分でもすごくふしぎで。
これまでの自分なら、
一日家にいるだけでもやもやしてました。

じゃあ、なんで今は、1ヶ月も家にいても大丈夫なんだろうと考えたとき、きっと「みんなも一緒」という気持ちがあるような気がしています。

「みんなもおんなじように過ごしている」

この気持ちが、どこかで自分を元気づけていて、
きっと『時間を共有している』って感覚は、
すごく大事なんだと思います。

例えば、野球の試合を家で見るとき、
なぜかメガホンを用意したり、
(#我が家の思い出)

サッカー日本代表の試合があるときは、
ユニフォームを着てみたり。

そんな風に『どこかの誰かと体験を共有する』ことが
ある種の楽しさや安心感を生み出している
ような気がします。

コロナショックになってからも、
ある時間に、医療従事者への感謝を表すために
みんなで一斉に拍手したりする文化も生まれていて、

それもこの『共有する』の感覚に近いのかなあと思います。

ただ、この『共有』は、ZOOMで話したりするように、
必ずしもつながっていなくてもいいのかなと思っています。

むしろ、繋がりっぱなしで疲れてしまうことが多くなると思うので、実際に会話は繋いでいないんだけど、たぶんおんなじことをしてるんだろうなあ、というくらいが心地よいのかも。

メディアが介在しない共有、みたいな。

こういう風に考えると、今の状況を経て、
『一体感』や『共感』の質も変わっていくのかもしれません。

そして、そんな時代にやっぱり「オンラインコミュニティ」の可能性はすごいなあと思っていて。

約5万人の『西野亮廣エンタメ研究所』のサロンの動きを見させていただく中で、この『時間の共有』がどんどん生まれていることがわかります。

わたしも、いくつかサロンのプロジェクトを担当させていただく中で、
Facebookグループを運営させてもらっているのですが、

自分が投稿する側になってから、
「どんな投稿にしたら自分ごとに捉えてもらえるんだろう」
言葉のひとつひとつをすごく考えるようになりました。

特に、はじめの言葉と終わりの言葉。

ここで、とっても印象が変わるということがわかりました。

そう思って、西野さんの日々のサロン投稿をあらためて見てみると、最後の一言がとても素敵だなということに気がつきます。

西野さん自身が取りくむ最先端のプロジェクトや
そこで考えていることをばーーっとのべた後に、

最後はみんなを置いていかないように、
「一緒にがんばろう」とか、
「僕もがんばるので、ぜひあなたも頑張ってね」
といったメッセージになっています。

個人的にめちゃくちゃ勉強になったのは、
何か新しい挑戦をするとき、
「僕」という主語じゃなく、
いつも「僕ら」という主語を使われていることです。

とってもささいな一言なんだけど、
それだけで『共有』している感覚になるというか、
知らないうちに巻き込まれてしまう。

投稿を読む側だけだった時は気がつかなかったけれど、
自分がグループを運営して、発信する側になったことで、
そんなささいな気遣いに気がつきました。

リアルに空間を共有できない今だからこそ、
時間の共有を大切にしていきたいです。

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こんな時だからこそ音楽でエールを届けたい、と
サロンの学生や音大生で立ち上げた
オンライン合奏プロジェクト『MUSICING』
公開Facebookグループができました!

ぜひプロジェクトが進んでいく時間を共有していただけたら嬉しいです!

ご参加お待ちしてます!(みるだけでもOKです)

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