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アルスエレクトロニカフェスティバルで、リンツの街はどう変わるのか。

おひさしぶりです。
気がついたらもう秋風ならぬ冬の足音。
そんな南ドイツ、オーストリアの空気の中でこの記事を書いています。

2022年9月7日〜9月11日、私はオーストリアリンツ市で毎年開催されるメディアアートの祭典・アルスエレクトロニカフェスティバル2022を訪れていました。

私は去年、文化庁メディア芸術クリエイター育成支援事業・キュレーター等海外派遣プログラムという枠組みで、アルスエレクトロニカで半年間、文化プロデューサーとしての研修に参加させていただいていました。

なので、去年はフェスティバルのマネジメントチームの一員として裏で走り回っていたのですが(笑)、今年はあらためてビジターとして。

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チケットカウンターに行くと、懐かしい顔に出会えて嬉しい

今年のフェスティバルは、2020・2021年と違い、大幅にオンサイトでの展示やイベントが復活し、まさにフェスティバル!という活気に満ちていました。

メイン会場・ケプラー大学でのトークイベント
アルスエレクトロニカセンター


日本からも多くの方が訪れておられ、リンツの街を歩けば日本人に会う、というアルスエレクトロニカフェスならではの光景も復活。

フェスティバル期間中は、本当に多くのアーティストや研究者、関係者のみなさまにお会いすることができ、育成事業に参加してからお世話になっていた方々に、あらためて対面でご挨拶させていただくことができました。

日本人アーティスト山内祥太さんの作品『舞姫』

そして、私のフェスティバルでの目的は、アルスファミリーや日本人の皆さんにお会いすることはもちろんですが、現在博士課程で進めているフィールドワークをするためです。
テーマは、リンツ市の「『文化』による都市再生」

「『文化』による都市再生」はおもしろい言葉だなあと思うのですが、20世紀の終わりごろから、産業構造の転換により衰退したさまざまな都市(主にヨーロッパやアメリカ)が、都市再生のために文化政策に力を入れるようになりました。

街のイメージをよくするため、雇用を生み出すため、グローバルな競争に勝つため。理由はさまざまですが、新しい美術館を誘致したり、アートフェスティバルを立ち上げたり、古い港エリアを文化施設にリノベしたり、都市の威信をかけて(と、私は感じています)、とにかく「文化」に力を入れるようになります。

創造都市の成功例と言われるスペインのビルバオ。
グッゲンハイム美術館を誘致し、街全体を再開発。

クリエイティブシティ(創造都市)という言葉が使われるようになったのもこの少し後からで、(これはこれでまた独自の由来があるのですが)、大きな流れで見ると、「アート」や「クリエイティブ」、「文化」という言葉に対して都市がかける期待がどんどん大きくなり、経済との結びつきも強くなっていったと言えます。

ビルバオの街角。

ただ、「文化」という言葉がなんだかとてもいいもの、何かを解決する「道具」のように使われるようになればなるほど、
「『文化』って一体誰のもの?」
「『文化』を作り出すってどういうこと?」
そんな疑問が浮かんできます。

 ここらへんの話にご興味がある方は、シャーロン・ズキンさんの「The Cultures of Cities」という本がおすすめです。

アルスエレクトロニカがあるリンツ市もまさにその流れの中にいて、アルスエレクトロニカがはじまった70年代後半から大小さまざまな文化イベントが立ち上がり、「鉄鋼産業の街・リンツ」から「カルチュラルシティ」、「イノベーティブシティ・リンツ」に生まれ変わろうと文化政策に力が入れられます。

では、まさにそうして街が「文化」により再生されようとする中で、あらためてリンツの「文化」とは一体なんだろう?それを作る過程とはどんなものだろう?そして、実際にその文化を生み出す現場に関わっている人、例えば市の文化事業部の方々、ミュージアムやオルタナティブスペースの運営者、そしてアーバンガーデニングやコミュニティアートなどのグラスルーツのプロジェクトを進める人たちは、その「文化」をどのように感じ、経験しているんだろう?

それが、わたしが持っている問い、まさに博士論文で描こうとしているものです。

なので、昨年のアルスエレクトロニカの研修の後も、引き続きリンツ市の調査を行なっており、現在までにアルス以外でも15-20ほどの団体の方々にインタビューをさせていただきました。

「タバコファブリック」と呼ばれるリンツのクリエイティブ集積地。旧タバコ工場をリノベし、スタートアップやテック企業、芸術大学のコミュニティオフィスを作っている。

前置きが長くなりましたが、そんな背景もあり、今回のアルスフェスを訪れた目的は、このフェスティバルによってリンツの街がどんな風に変化するのか(しないのか)を見ることでした。

そしてまず、結論から言うと、アルスフェスで、リンツの街は変わりません。

「え!」と思われた方も多いかもしれませんが、たった5日間のフェスティバルの中で、街全体のダイナミクスが変わるようなことは、そうそう起こりえません。

街ゆく人たちの多くは、今日も働いて、学校に行って、子供の世話をして、日々の生活に追われています。

もちろん、海外からの参加者がたくさん訪れるので、街中でオーストリア人以外の顔を見ることは多くなります。100人以上の日本人が、リンツの街をうろうろしていることなど、このアルスフェスの期間以外ないでしょう。

ただ、「都市再生」という視点から、このフェスだけで街が変わるかというと、そんなことはないと言えます。

例えば、この写真はリンツの中央広場。

たくさんの屋台が出ていて、賑わっている!と思うのですが、リンツでは実は日常茶飯事の光景。金曜と土曜は毎週、朝市とフリマが行われているし、そのほかにも夏には毎週音楽イベントやマラソン大会などが行われています。

そして、これはリンツのメインストリート。

フェスティバルの看板が立てられていますが、通り過ぎる人のほとんどはあまり気に留めておらず、周りのお店なども通常通り営業されています。

夜の光景

他にも、大学や教会、ミュージアムなど、フェスティバル会場は街の何箇所かに散らばっていますが、実際それがあからさまに外から見えるくらい賑わっているかというと、そうでもありません。

夜にパフォーマンスが行われていた教会。

ただ、私はそうしたリンツの雰囲気が、なんだかいいなと思っています。

そこで暮らす市民が日常生活を送る「文化」と、外から一年に一度やってくる人たちが期待している「文化」。それらが、どちらがどちらを食い合うわけでもなく、なんとなく共存されていて、それがある種の街の日常の光景のひとつとして40年以上続いている。

そのバランスが、リンツの独特な雰囲気にも感じています。

ベルリンやビルバオのように、「クリエイティブな街」として世界的に有名になりすぎているわけでもなく、ただそこに住んでみると、日常の中で楽しめる「文化」はたくさんあって、美術館や劇場だけでなく、オルタナティブスペースやミュージックバー、カフェ、芸大を中心としたイベントが毎週末どこかで開催されています。

アルスフェス期間中にオルタナティブスペースで行われていた関連イベント。お酒を注いでくれるロボットなど、役に立たないがおもしろいロボットたちが集まっている。

これまで数々のインタビューをして感じるのは、リンツには小さい分、濃いアートコミュニティがあるということです。大きい都市だと分野ごとに蛸壺化されてしまいがちなもの同士が、小ささゆえに横断して混ざり合っています。

そして、アルスエレクトロニカフェスティバルは、それらの大小さまざまなコミュニティが、みんな必ず知っている共通言語であるということ。

アルスフェスに、リンツ中の文化団体が参加しているかというと、そうではありません。リンツは、2009年に欧州文化首都に選ばれ、一年を通してさまざまなイベントを行いましたが、その一年の方がまさにリンツ中のネットワークが混ざり合うポイントだったと言えるでしょう。

ただ、リンツで「文化」に何かしら携わっていて、アルスエレクトロニカを知らない人はいません。私がインタビューに行かせていただいても、「アルスエレクトロニカでインターンをしていて・・」と自己紹介すると、みんな「ああ、じゃあリンツはなんとなく知ってるのね」と、急に身内のような空気感になります。

20、30年前の話をしている時も、「ほら、あの頃はまだアルスセンターがなかったから・・」と、ある種のリンツの時間軸として、アルスエレクトロニカを語ってくださる人も多いです。

インタビューの中で見せてもらった昔のアルスエレクトロニカエリアの写真。

アートフェスはあくまで「祭り」であって、街の「旗印」です。
私は、日本のいろんな地方にある「盆踊り」や「だんじり」と同じようなものなんじゃないかと思っています。

神輿を担いでも、盆踊りをしても、それだけで街は変わりません。

本当に街をつくるのは、「今年も夏に祭りがある」、「神輿の季節がやってきた」と考えながら日々を過ごす、あとの364日です。

大抵の人は、盆踊りがあるかなんて気にしていないし、好きだったとしても、年のほとんどはそのことは考えていないでしょう。

でも、街の人たちが、自分たちのコミュニティにあるものはなにか。
そう考えた時に、みんなで共有できるイメージ、共通言語があることは、目先の経済効果以上に、その地域を支えていく上でとても大事なことなのではないかと思います。

実は、リンツにはもうひとつ9月の大々的なイベントがあって、それは「Klangwolke(The Sound of Croud)」と呼ばれています。ドナウ川沿いに巨大な足場が組まれ、オーケストラを乗せた大きな船が川を流れながら花火やアクロバットパフォーマンスが行われる、とても華やかな音楽イベントです。

私は勝手に、リンツのディズニーシーと呼んでいます(笑)

これもアルスエレクトロニカのはじまりと大きな関わりがあって、それを語りはじめるとさらに数千字必要なのですが(笑)、リンツ中の人がドナウ川沿いに繰り出してくる一年に一度の風物詩です。

イベント終了後にみんながぞろぞろと駅へ向かう光景は日本の花火大会のよう。

アルスエレクトロニカフェスティバルによって、リンツの街は変わりません。
ただ、アルスエレクトロニカフェスティバルがあることによって、リンツの街は大きく変わってきたといえます。

一年に一度の「祭り」という旗印を生かして、その他の364日の暮らしをどうデザインするのか。そうやってアートフェスを見たときに、街の「文化」をつくる本当の過程が見えてくるのではないかと思います。

これはまた別のnoteで書けたらと思いますが、アルスエレクトロニカは日本から見るとフェスティバルやコンペティションというイメージが強いですが、リンツの人たちにとっては、「小中学校の時に一回は必ず行く社会科見学先」として「教育」の意味合いがとても強いです。グローバルとローカル向けに違った根付き方をさせることで、リンツ市にとってもなくてはならない存在になり、40年以上も持続的に運営を続けてこられたのだと思います。

そんな問いを今日も考えながら、自分も日本の芸術祭や文化機関と都市再生、これからのスマートシティとアートマネジメントという大きなテーマに貢献していきたいと思っています。

フェスティバル期間中にお世話になったみなさま、本当にありがとうございました!来年も楽しみにしています。

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