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思考する『環境』

おはようございます。
昨日は、次のプロジェクトの下見から東京に戻ってきて、
そのままスナックCANDYで行われていた
「スナック西野」にお邪魔させていただきました。

そこで、色々な地方から来られているサロンメンバーの方々と
お話させていただくことができたので、
その中で感じたことを今日は言葉にしてみたいと思います。

わたしは、関西地方から来られているとある社会人の方と
お話させていただきました。
話題になったのは、サロンの投稿や西野さんのブログで
印象に残ったもの、刺さったものはなにか。

上がったのは、このブログでした(2020年3月3日のもの)。

一部を引用させていただくと、

”「学ぶ人」と「学ばない人」の貧富の差はひらく一方。
「学ばない人」が他人を妬む時間は増える一方。
(中略)
たぶん、日本には、もうそれほど時間が残されていません。
キチンと現状を受け止めて、学び、手を取り合い、希望が持てる未来を次の世代に渡したいです。
僕は具体的に動きます。結果も出します。
あなたは、どうしますか?”


その方は、
この「学び」に対する西野さんの姿勢が深く自分に刺さったと仰っていて、
そこから「どうすれば思考することをやめず、考え続けることができるのだろう」という話になりました。

そこでわたしが感じたのは、
「思考できる環境」が大切なのではないかということ。

幸いなことに、わたしはいま大学院という環境にいて、
そこには「思考すること」に24時間・365日を注いでいる人たちが
集まっています。

そして、3月からは(株)NISHINOでインターンとして働かせていただいて、思考しながら動きつづける方々と一緒に活動させていただいています。

そうすると、みんなわたしの周りにいる人たちは
基本的に「未来」のことばかり話していて。

「未来」を考えるために過去から学ぶことはもちろんあるけれど、
過去の思い出話を繰り返したり、
現状に対する愚痴や不満をこぼしていることはほとんどなくて、
基本的にずっと、「未来」がどうなるのか・「未来」をどうするのか
のために「言葉」を使っています。

そして、そういう環境にいると、
わたしも自然とそんな思考になっていることに気がつきました。

いつの間にか、思考し続ける身体になっている、と。

これは、わたしの意思の強さや能力うんぬんではなくて、
いまある『環境』のおかげだと思います。

ただ、少しおこがましいかもしれませんが、
そんな『環境』に身を置くことを選択できたからだ、とも思いました。

実は、わたしは20歳のときに『環境』を変える大きな決断をしました。

それは、先日のnoteにも書きましたが、
いまの音楽の師匠に出会ったときです。

師匠に、「学ぶことは自由になることだよ」と教えてもらい、
本や新聞を読みはじめました。

そうすると、
頭の中にある「言葉」が変わって、
ものを考えるための「言葉」が変わって、
人と話すための「言葉」が変わりました。

そうすると、出会える人の種類も変わりました。

そして、大学3年生のとき。
もっと色々な人に出会いたいと思い、
大阪の大学に在籍しながらひとり東京で暮らし始めました。

リモートで卒業論文を書きながら、
東京のアーティストの先輩たちの活動を現場で勉強させていただきながら、
大学院入試のための準備をして。

東京にあまり知り合いもいなかったので、
誰とも話せない日が数日続くと、
とっても寂しくなることも多々ありましたが、
その分、面白そうなイベントや展覧会には
たくさん足を運ぶことができました。

そうやって少しずつ少しずつ『環境』が変わって、
『思考』も変わっていった
のだと思います。

もちろん、この話は「努力しました」という話ではなくて、
本当に恵まれた状況だったからこそ、できた選択だと思います。

健康な身体があって、応援してくれる家族がいて、
いますぐにどうにかしなきゃいけないようなお金の心配もなくて。

色々な条件が奇跡的に揃ったからこそ、できた選択でした。

地盤沈下していくようないまの日本では、
多くの人が「生きるために食べる」より「食べるために生きる」ことを強いられていて、
「未来」について考えることが容易ではないとも思います。

一時期は、わたしも社会の色々な現状を知るにつけ、
「自分だけこんなに好きなようにさせてもらっていいのだろうか…」と、
罪悪感のようなものを感じていました。

でも、ある時から「申し訳なさ」を感じるくらいなら、
この環境を10倍でも100倍でも生かして、
たくさんの人に還元しよう、と思うようになりました。

そのきっかけになったひとつが、
去年の東大の入学式での上野千鶴子先生の式辞。
賛否両論で話題になりました。
少し長いですが、引用させてください。

”あなたたちはがんばれば報われる、と思ってここまで来たはずです。ですが、冒頭で不正入試に触れたとおり、がんばってもそれが公正に報われない社会があなたたちを待っています。そしてがんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。あなたたちが今日「がんばったら報われる」と思えるのは、これまであなたたちの周囲の環境が、あなたたちを励まし、背を押し、手を持ってひきあげ、やりとげたことを評価してほめてくれたからこそです。世の中には、がんばっても報われないひと、がんばろうにもがんばれないひと、がんばりすぎて心と体をこわしたひと...たちがいます。がんばる前から、「しょせんおまえなんか」「どうせわたしなんて」とがんばる意欲をくじかれるひとたちもいます。

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。”


”がんばったら報われるとあなたがたが思えることそのものが、あなたがたの努力の成果ではなく、環境のおかげだったこと忘れないようにしてください。”

この一文をきいたとき、
色々悩んでいたことがすっと腑に落ちたような気がして、
ちょっぴり泣いてしまったのを覚えています。

『環境』がどれだけ大事か。
そして、『環境』を自分で選べること自体がどれだけ尊いことか。

あらためて感じました。

『思考できる環境に身をおくこと』

容易ではないけれど、
このことがもたらしてくれる「未来」は
きっと想像をこえるものだと信じています。

そして、オンラインサロン『西野亮廣エンタメ研究所』には
そんな風に、色々な場所で「思考」している人たちが
集まっているんだなと感じました。

わたしもまだまだ選択しつづけたいです。

今日はちょっと真面目チックな話になってしまいましたが、
色々な想いがあって、熱が冷めないうちに書きたかったので、
少しエモーショナルだったけど、noteに残させていただきました。

いつもより長めの文章でしたが、
最後まで読んでいただき、ありがとうございました^^





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