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ふと思い出す、五感の記憶。

おはようございます。

・・・と言いつつ、書いているのはいつも夜中。

「今日はnoteに何を書こうかなあ」と思いつつ、ピーナッツをほおばりつつ、なかなか思いつかなかったので、ふとベランダに。

向かいの一軒家の屋根から、うっすら月明かりがもれている。

昼間は強く吹いていた雨や風はあがって、音が澄んでいる。
雨上がりの湿っぽい緑の匂いと、虫の声。

「夏だなあ」なんて思っていたら、ふと子どもの頃の「キャンプの夜」を思い出した。

キャンプファイヤーが終わって、星空探検にいこう、とみんなで山に入る、あのきゅんとする感じ。

物心ついたときから野外活動グループに入って、毎月山で飯盒炊爨をしたり、海に行ったり、水族館や博物館に行ったりしていた。

夏休みと冬休みはキャンプがあって、夏は山、冬はスキーに行っていた。
山キャンプと海キャンプを選べたんだけど、わたしは根っから山が好きで、毎年山を選んでいた。

「リーダー」と呼ばれる大学生のお兄さん・お姉さんと、子ども数十人と、ちょっとの大人で3泊4日。

山に籠もって、アスレチックしたり、木工作ったり、ご飯作ったり、虫を探したり、星空探検したり。「日常」から離れて、ただ遊ぶことに没頭した。

毎年、真っ黒になって、汗だくになって、全身と五感すべて使って遊んでいた。

そういう感覚が、今でもちょっと身体に残っている。

夜になると、だいたい部屋の網戸にカブトムシやクワガタが張り付いていて、電気を消して男の子たちと探しに行った。

ご飯のあとは、リーダーと何人かの子どもたちで星空探検。懐中電灯だけを持って、静かな夜の森に入る。しばらく歩いていると、だんだん虫の音が大きな合唱になってきて、そういう世界に耳を澄ませるのがとっても好きだった。

そして、丘の上につくと、これでもかというくらい身体をそらして、星を見ていた。ずーっと見ていると吸い込まれるような感覚になって、首が取れるんじゃないかと思うほど上を見ていた。

一度、どこかの山に行ったとき、丘の上で星空観測をしているおじさんに出会ったことがある。その日は、土星か何かがとてもよく見える日で、望遠鏡をのぞかせてもらうと、ほんとに輪っかがあった。その景色はすごく印象的で、なぜか今でも覚えている。

キャンプファイヤーは、決まって最終日の夜だった。みんなでキャンプソングを歌ったり、リーダーたちが出し物をしてくれたり、ゲームをしたり。いつも「ああ、終わっちゃうんだなあ」と切ない気持ちで火を眺めていた。

ふとベランダに出て、そんな記憶がふと蘇ってくる。
雨上がりの湿っぽい緑の匂いと、虫の声。

キャンプのことなんてこれっぽっちも考えていなかったのに、どこか懐かしい匂いと感覚に、一瞬で引き戻される。

昔、何かの歌で「忘れたって消えやしない」という言葉があったけれど、本当にそういう感覚が身体にあって。ふとした夕焼けの色、匂い、質感で、いろんなことを思い出す。

本当にあの時は楽しかった。

いろんなものは置いておいて、とにかく目の前の自然と、友達と、空気に没頭して、どうやったら楽しく遊べるかだけを遊び尽くした。

何かの役に立つような習い事ではなかったけれど、でもとっても大事な時間だったんだと思う。

「空はきれいだな」とか、「思い切り遊んだあとのご飯はおいしいな」とか、「川の水は冷たいな」とか、当たり前なんだけど、でもつい見過ごしがちないろんな感覚が、あのキャンプにつまっていた。

今でも、時々思い出す。

この春は、コロナの外出自粛で、「外の世界」に触れる機会がぐんと減ってしまった。
でも、ときどき散歩に出て、そういうささいな五感に触れると、とっても心が満たされた。

何年後かに、同じような五感に出会ったとき、またコロナ期間のことを思い出すんだろうか。

きっと、そういう感覚は身体に残っている。

というより、残していきたい。

毎日、数え切れないほどSNSで言葉を刻んでいるけれど、そういうのには残せない、五感の記憶。

そんなものを大事にしたい。

・・・なんて考えていたら、そろそろいい長さになってきたので、今日はこの辺で。

とりとめのない文章だったけれど、日曜日だし、どうかお許しください。

今日もすてきな一日にしましょう〜





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