見出し画像

レジの人。

おはようございます。
昨日はリモートワークの朝会のあと、
ちょっと床に散らばった本を整理しはじめたら
止まらなくなってしまって、

気づいたら作業そっちのけで
部屋の大掃除をはじめてしまいました(笑)
(#ありません?こういうこと)

さて。

今日はちょっと、
近所で見かけたあるシーンから
人の『役割』や『意味』について
考えてみたいと思います。

最近はめずらしく自炊をはじめて
近所のスーパーによく行くんですが、
そこでちょっといいなぁと思う場面に出会いました。

お昼すぎだったのでレジに列ができていて、
わたしの前にはおばあさんが並んでいました。
結構、山盛り買い込んでた気がする。

で、そのおばあさんの番になって。

『レジの人』がピッピ、ピッピしていくんだけど、
カゴの中から小粒の納豆と、大粒の納豆が出てきました。

で、それをみた『レジの人』が、
「これどっちもいる?」ってたずねた。

そうするとおばあさんは、
「あ、まちがえた」って言ってて。

小粒納豆はレジの裏に持っていかれて、
結局、大粒納豆だけがカゴにインされた。

**
時間にすると10秒くらいの話なんだけど、
わたしはその場面に立ち会って、
「おお〜〜〜〜!!」となんだかとても興味を持ちました。**
(#ちょっと変態的)

で。

わたしはここで、
「『レジの人』が優しかったね」という
心温まるエピソードを言いたいわけではなくて。

なんであんなことが起きたんだろう。
そして、わたしはなんであの場面が心に残ってるんだろう、と
気になりました。

そうして思ったのが、
あのとき『レジの人』の『意味』がずらされていたんだ、と。

もう少し言うと、
『レジの人』の役割が『レジを打つ人』ではなく、
『お客さんに商品を渡す人』になっていたんだ、と。

わたしはあえてここまで、
その店員さんを『レジの人』と書いてきましたが、
そのレジを担当していたのは、大学生くらいの男性でした。

その男性にしてみれば、
レジの前に立つことは、
ただバーコードを読み取ることじゃなくて、

その前を通過していく人(お客さん)に、
商品を手渡すことだったのかもしれない。

だって、その『意味』が
『バーコードを読み取る』だけなら、
そのバーコードがついてる納豆が大粒だろうが、小粒だろうが
関係ないはずです。

でも、『納豆という商品を手渡す』という『意味』なら、
たしかに小粒も大粒もあると、
なんでだろうとなるかもしれないな、と。

これって『意味』がずらされる瞬間だと思うんです。
わたしが面白いなと引っかかったのは、その瞬間だと。

やっている作業や、周りから見た『役割』は同じなんだけど、
(どちらも『レジの人』)
それがどんな『意味』を持つのかは、
その人の捉え方によってちがう。

主観的な役割、みたいな。

わたしはそれが感覚のセンサーに引っ掛かったんだなぁと
思いました。

いま、世界がコロナウイルスの影響で
これまでにはないような状態になっていて。

経済や国際関係というマクロな視点でも、
はたまた、その中で生活する
ひとりひとりの衣食住というミクロな視点でも、
大きな変化が起きています。

西野さんはいつも、
コロナは一時的な異常事態ではなく、『時代』だとおっしゃるけれど、

きっとこのあと、いろんな仕事で、
『人の役割』が変わっていくだろうなぁと
漠然と思っています。

もしかすると、『仕事をする』ということ自体の
『役割』も変わるかもしれない。

そんな中で、みんなでどうやって新しい『意味』を見つけていけるのか。
そして、そこに『価値』を置いていけるのか。

それが、次の時代の『文化』を作っていくんだろうなぁと思っています。

今日は、近所のスーパーのレジのお兄さんの話から、
時代の『文化』の話にまでいってしまいました。

わたしもそんな一端として、
何か未来を見つけるような実験をしていきたいと思っています。

------------------------------------

↓いまやっている実験はこちら

【動画のないYouTube】


チャンネル立ち上げからわずか2日で、
すでに300人以上の方が集まってくれています。

『コンテンツ』に『人』を集めるのではなく、
『人』が集まって『コンテンツ』が生まれる。

そんな『広場』の実験です(↓詳しくは、ここ)

今日もこのあと、8:00〜8:30配信です!
みんなで「おはよう」を交換しましょう〜!୧(ᕯ˙ᗨ˙ᕯ)୨☀️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?