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きっと乙女座だったあの人

わたくし、生粋の乙女座好きなんですよね。星座に好きも何もないわって人の方が多いと思いますが、好きになった人はほとんど乙女座の私の話でも今日はしてみます。



名刺と彼

本当は、「始まりは乙女座から」というタイトルで書き進めていたのですが、色々な人を思い浮かべて過去のメッセージに目を通したりしていると、ある人物のことを書きたい!となってしまい、今に至ります。しかも乙女座かどうか分からない人という。でも、きっと、乙女座なのだろうと思います。(むりやり)

出会いは、小さな空間で、バンドの演奏イベントがあり、10〜20人ほど集まっていた日でした。私は、ジュースなどの販売のお手伝いでそこに参加していました。近くにアートギャラリーが幾つかあるような場所で、演奏は始まるまでの間に見に行ったりもしていました。

その演奏が終わった後の、帰る人や、残って喋る人の雑音が舞う瞬間、彼と出会いました。

私がお手伝いしていたお店の方々に名刺を渡し、そして、私にも「そこで、ギャラリーを運営しているものです」と。

この時の私はというと、この人絶対私のこと大学生くらいだと思って見下してるんだろうな今、って思ってました。(捻くれすぎ)でも、まあそういう経験すごく多かったんです。年下にハタチくらいに見られて、凄くでかい態度で話しかけられた後に、私の方が3つくらい年上で、謝られて気まずくなる経験が。

そして、彼も同様少し話した後に、「年下かと思った」と、言ってました。でも、いつものように特に気まずくなかったのは、彼も私も言葉を交わした瞬間、名刺から顔を上げた瞬間から、この人の中身をもっと知りたいと思っていたからなのかも、しれません。


博多駅までの道

その後、彼がインスタを聞いてくれて交換したのですが、その時、私のインスタを見ながら、「あ、俺もHSS型HSP!」と言って振り返ってくれたのをよく覚えています。その時、私にはないコミュニケーションの取り方を遠慮なくしてくる彼が凄く、眩しくて、もっと話したいと思ったのです。

そして、その日は一緒に博多駅まで歩いて帰ることになりました。

このイベントの場所から博多駅までは30分くらいかかったと思います。そして、歩きながら話したこの時間で、私は好きという状態に陥っていました。

彼と二人で並んで歩きながら、小さな横断歩道がある度に止まりながら、「まあやはさ、」と、左隣にいる彼に名前を呼ばれ、顔を見上げながら、自分が可愛く映っていたらいいな、なんて思っていました。


年下の彼、
芸術家の彼、
今にも走り出してしまいそうな熱い志を持つ彼、

そんな彼と出会ったのは暑い夏の夜のことで、その日見た博多駅の煌めきはいつもと違って見えたのでした。


飛脚

ここまで、ゆったりと彼との出会いを書いておいてあれなのですが、結論から言うと本当に秒でこの恋は冷めてしまったんですね。嫌いになったとかそんなことではなく。

それは何故かというと、私が生き急いでいるからです。

自覚はないですが、常に人から「生き急ぎすぎ」だと言われます。恋愛でも、次また会いたいと思ったらその週に会いたいし、その時に自分の知的好奇心が満たされるくらい、相手のことを知りたいんですよね。

そして、彼のことも直感的に凄く好きだったし、何度か会ったりもしていたけれど、二人でどこかへ行って関係性を深めるというタイミングがなかなか合わず、出会って1ヶ月くらいで、もう私の恋愛への熱は冷めていたのです。

けれど、このnoteを書こうと思った理由があって、昔のメッセージのやり取り見返していると、やっぱり私が好きになった彼の魅力的な部分がたくさん転がっていたからです。確かに芸術家としての彼の感性に虜になっていたし、常に、何もジャッジをせず、「まあやはそうなんだね」と受け止めてもらっていたんだな、と。

そして、メッセージを全て読み終わり、「え、めちゃくちゃ好きだったんだ、まあや」と、口から溢れました。短い恋だったからか、自分の中では軽く捉えていたけれど、蓋を開けてみれば、本能的にめちゃくちゃ好きになってんじゃん、って思いました。

ちなみに、タイトルの飛脚は、守護霊です。福岡でオーラを見てもらった時に言われました。守護霊が飛脚なら、こんだけ生き急いでいてもおかしくないよなあ、なんて思って納得させています。


彼の言葉

こういうこと、言える人なんですよね。今、見返しても、あー魅力的、大好き、と思えます。笑

これは私のストーリーに対するメッセージを送ってくれた時です。恋愛において利害関係を求めるときもある、そこを超えた、この人でなければいけないと思う感情に対して、冷めたり無駄だと思ってしまうことももちろんある、だけど、やっぱり出会う人によって、その時の自分によって、この考え方は変わってしまうんだよな、と言うことです。

こんな、ニュートラルに物事を捉えて、そんでもってこんな短文でその主張をできるなんて、天才ですか?

人ってやっぱり、「俺/私はこう思うよ」「だって今までこうだったから」って言ってしまいがちなんですよね。私も、そういうときあります。これに関しては主張は覆らないっていう謎の自信を持っているものもあります。

だけど、彼と出会って学んだことは、真の自由さと柔軟さです。

絵を描く彼は、きっと描きながら、変容していく自分を常に見ていたのだろうな、と思います。

こういうこと、言えちゃうんです。(2回目)

恋愛観を色々と話した後の、このぼんやりとした私の想いに対する言葉。一体全体、この世界でどれだけの人が、こんな表現ができるのだろうと思う程です。

気持ちの仕組み。合理的な話もしつつ、思考を深めて言葉を交わし、そしてわからない部分を突き離さず、自由さを付与したまま放置する。そういうことができる人でした。

これは、思考と描くことは別の作業?という私の質問に対する彼の答えです。

全く、絵を描かない私が、その行為を想像できるような言葉の羅列。そして、常に何かを伝えなければならないという想いに駆られている私にとって、とても刺激的な言葉でした。言葉以外で、具体性を含めて表現することができるんだ、と。

これまた、彼の好きなところを100個くらい語りそうになるような文面ですね。

これは、彼に感化され画材を買って絵を描いていた時のやりとりです。彼の素敵なところは、「自由でいいんだよ」という断定をしないところです。敢えてそういう寛容さのある言葉を使わないのです。

こうじゃなくてもいいよ、
ただ、まあやがしたいようにすればいい。

そして、それは自由に描くという枠組みの中にすら存在していなくて、ただ、まあやがキャンバスを目の前に置いて、筆を持って、絵を描こうとしているから、そのまま進めていけばいいんだよ、というような。

彼は常に私を緩めてくれる存在だったのかも、しれません。


何故か彼との思い出は、”恋”という表現がしっくりきます。恋愛や、愛ではなく、恋。私、すっかり恋をしてたなあ、と思います。

自分では、恋愛とかもう暫くしていないなあという感覚なのですが、というかそれも間違いではないけれど、合間にこういった純粋な恋もしていたのだと、メッセージを見返しながら思い出しました。

彼は抽象表現をする画家で、私は抽象的な書き言葉を好む人間。

だから、通じ合えた何かがあったのかもしれない、と思いたいです。

彼を熱心に好きだった頃、インスタのストーリーを見てしまうと、会いたくて仕方がなくなってしまうのでミュートにしました。どういう行動心理?という感じですが、兎にも角にも瞬間的に、けれど毎日、彼を想うことができて楽しかったな、と思います。


最後に

最初は、乙女座の人ばっかり好きになるんだよなあ自分って思いながら、過去に好きになった人を思い浮かべていて、その時に彼を思い出して、誕生日聞いてたかな?と思いメッセージを遡ったのがきっかけでした。

そして、結果的に誕生日は分からなかったので、乙女座かどうかもわかりません。笑

ですが、乙女座か獅子座っぽいなあという気がしています。真実はわからないですが。

こういう過去のことを思い出す時って、大体新しい人間関係が舞い込む時なんですよね。なんとなく昔のことを思い出したり、こんなところが素敵だったなと思っていると、突然どこからともなく新しい人が現れるのです。

今回もまた、そういう出来事があるかはわからないですが、過去にも感謝しつつ、未来にも希望を抱きながら、人との出会いを大切にしていきたいですね。

喧嘩をしたり、明確な別れがない、付き合わずに終わった恋というのは、愛よりも美しいものに思える気もします。比べるものではないですけどね。



p.s 初めての恋愛に関するnoteがとても溺愛的なものになってしまった。

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