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-大切な人への寄り添い方-優しき儚いあなたへ



優しいのですよ、みなさん。自分の人生でこんなに優しい人に会ったことはないだろうと本気で思うほど、みなさん優しさに溢れています。というか、優しいか優しくないかの議論は不毛なのです。既に優しいのですから。


大切な人への寄り添い方。これは、よく頂く相談の一つです。そして、皆さんの大切な人への想いや、今までしてきた行動などの文を読みながら、あゝなんて優しい人なのだろうといつも思っています。

ですが、みなさんある共通点があるのです。
それは、自分が消えかかっているということです。

自己犠牲しているつもりは皆さんないと思うのですが、支えたい、寄り添いたいという想いに疲弊してしまっては本末転倒なのです。

よくね、自分を満たして溢れた分で人を愛しましょうと言いますよね。今日はそこを深掘りした話をしていきますね。


心身共に健康であること

食事や睡眠、運動が健康においてとても重要ですよね。ここまでは皆さん守れていると思います。では、これはどうでしょうか?

自分ひとりで考える時間を取れていますか?
相手の為だけではなく自分の為を想って行動できていますか?
自分の心がざわついた時、まだ大丈夫だと落ち着かせる時間を後回しにしていませんか?

自分のための時間って凄く大事なんです。考えるだけの時間でもそうです。自分のための時間を確保していくことって面倒なことなんですよね、実は。ですから、大切な人がいるならば、その人のために時間を使った方が有意義であるという気持ちを味わうことを優先してしまいそうになります。そして、その有意義な時間で自分を満たせば良いのだと、少し道順を間違えてしまうのです。


自分の娯楽と相手の辛さ

自分を満たして、はいじゃあ次は有り余ったエネルギーであなたを大切にさせてくださいね、と順番に事が進んでいけばいいのですが、そんな上手くはいかないですよね。

これまた、優しい方のお悩みで多いことの一つ
「相手はいつも苦しんでいるに、私だけ…」という想いです。
私だけ、楽していいんでしょうか?
私だけ、自分を満たすことに時間を使っていいんでしょうか?
という内容です。

答えは、良い、です。
そしてその理由は、あなたが苦しむことであなた自身が成長できることはあったとしても、あなた以外の他の誰かが幸せになることはないからです。

自分だけ…という想いに駆られたときは、ぜひこう考えてみてください。


自分の満たし方

これまた超絶優しい人あるあるなのですが、自分の人生で相手の為に行動ばかりしてきたので、そもそも自分の為の時間の使い方がわかりません、と。

ちょっと余談ですけど、私は皆さんから「優しくて、穏やかで…」と言われることが多いですが、そんなことないんですよね。そして、これを書きながら改めて、自分が如何に自己中心的に生きてきたかを思い知らされています。笑

話を戻しますが、自分を満たす為に何をしたらいいか分からないという人は、まずはこれをしてみてください。

・日記を書く
→日記って本当面倒くさいですよね(おい)フォロワーさんの中でも、「もっと言語化できるようになりたい!」という声を頂いた時に、本やら日記やらを勧めるのですが、結構挫折する方が多い印象です。
なので、日記をまずやってみて、続かなかったら、ラインのメモアプリとかを上に固定して、瞬間的にメモすることから始めてみてください。SNSの投稿の下書きとかも良いと思います。このnoteアプリも良いですよね。私の自己表現の原点です。

・ジャーナリングする
→ジャーナリングって心や頭の中で思っていることを書き出すみたいなことなんですけど、おすすめは朝起きてすぐに3〜5分ほど測ってとりあえず文章になってなくても良いから書き出してみることです。コツは手を止めないことです。日記とかは思い浮かばなくて書けないという人は、最初ジャーナリングで感覚を言葉にして出していく練習が良いと思います。あと、「自分のために何をしたらいいかわからない」ということにも繋がりますが、日記を書くとどうしてもお相手とのストーリーしか思い浮かばないこともよくあると思うんです。そうすると、だんだん、落ち込んだり、これからどうしていこうみたいな不安になってしまったり。ですから、自分の日常的な感覚とか、ひとりで過ごしている時間の無意識を引き出していくという観点からも、ジャーナリングはおすすめです。
どの時間帯にするかは自分に合ったもので大丈夫ですが、夜はネガティブになりやすいので、朝スマホを開く前にやると、情報が引き出しやすくおすすめです。

・頻出単語に触れる
→上記のジャーナリング等をしているとよく出てくる言葉っていうのがあるんですよね。例えば、私だったら「風」です。何と無く書いている天気のことでも、私はよく、今日は風が気持ち良いとか、風が強かったと書いていて、風への感じ方が強く残っているんです。そんなふうに何でも良いのですが、よく出てくる単語に触れてみてください。本だったら、新しい本を買いに出かけたり、ご飯だったら外食に行ってみたり。こうして、自分の内側から出てきた言葉を見つめて、行動してみると、これが楽しいとか、リラックスできるとか、自分が好きな時間の使い方というのが見えてきます。

これら全部、他の誰でもない自分自身のことですよね。学校や会社に行っていると、自分の言葉を飲み込むシーンって多いと思います。それはもちろんモラルを守るという意味では間違ってはいないのですが、でも朝から晩までまで自分の生活を見直したとき、本当に自分の心の底から浮かび上がる想いや言葉を外に出している時間ってあるでしょうか?

私も、本当にこの内側に溜め込んでいるものを外に出していくということが苦手だったのですが、ペンを持って書くという時間を作るとやはり、ちょっとずつだけど浮かび上がってくるんですよね。これは得意不得意関係なく。

皆さんもぜひ、自分の内側と向き合う時間を作ってみてくださいね。


語りたい欲求の消化

というわけで、先ほど紹介したような自分のための時間を使っていくと、人間は自然と新しい気づきを得たり、これ良かったから他の人に伝えたい、となっていくんですよね。

学校での生活を思い返してみてほしいのですが、新しく学んだ単語を取り合えず言ってみたかったり、先生に怒られた日はその話を友達や家族に聞いて欲しかったりしますよね。つまり、そういう語りたい、喋りたい欲求というのは、自分が毎日違った日を過ごしていく上で当たり前のことなのです。

ですが、大人になればなるほど、この日常の変化というのが、少なくなっていきますよね。学生の時みたいに毎日違う授業を受けるわけじゃないし、違う先生の話を聞く訳じゃない。体育祭や文化祭みたいなイベントもあるわけじゃないし…と、話すことがなくなっていくわけです。休養中の方とかは特に、日々の変化が薄くなっていくと思います。

この話は、自分とお相手どちらに当てはめてみても良いのですが、つまり、どちらかが、自分を満たす時間を十分に取り始めると、話したいことが増えるものの、毎日同じ時間を過ごしている相手にとっては、自分には語りたいという欲求が湧いてくる日常をまだ過ごせていないからこそ、その話が疎ましく思えたり、羨ましく思えたりするのです。


ちゃんと聞くということ

先ほど、語りたいという欲求について話しましたが、誰かに寄り添うとき自分の話をするよりも聞くということに徹する方も多くいるかと思います。
けれど、辛い、苦しいという気持ちの途中にいる方というのは、先ほど言った通り、普通の状態よりも新しい日常を過ごしていなかったり、自分の感じ方に目を向けられていなかったりするので、そもそも話すことがスラスラでてこない場合があります。

なので、聞くに徹すると、「今は言いたない」「話したくない」と言われ、どうしたらいいかわからないとなることもあると思います。このときの捉え方として、自分の力不足だとか、信頼されていないからだと思うのではなく、話すことがない、もしくはまとまっていない、言語化できていない、自分の気持ちがまだわからない状態なんだなと捉えてみるといいと思います。


一体全体何を共有すれば良いのか

自分のことを語ると、相手は聞ける状態ではないかもしれないし、聞くに徹すると相手は話すことがないかもしれない、という状況になったとき、では何を話しすのかということについでです。そもそも、お相手とのコミュニケーションで、私はこうしてほしい、こういう話がしたい等の要望を聞けたり、お互いが主張できている場合はそれを実践していく形で問題ないと思います。今から述べることはあくまで困った時の参考にしてみてください。

それは、感性の共有です。つまり、何かを見てどう感じたとか、何かに触れてどう思ったとか、自分が見たもの、一緒に見たもの、それらの感じ方についてです。

例えば、「今日の空はいつもより青いね」と声をかけたとします。それは、あなたが、確かにいつもの空よりも青いと感じたから。
ですが、「…」お相手は空を見ても何とも思わないのか、何も言葉が返ってきません。

そしてあなたは、「昨日の夜、流れてきた動画を見て泣いたんだよね」と続けます。そのとき、お相手は少し気になった様子で顔を上げました。何故なら、同じように、夜に、動画を見て、泣いた夜があったから。

またある日あなたは、「昨日、手紙を書いてみたんだけど、なんか上手く言葉にできなくてめっちゃ書き直しちゃったんだよね」と笑いながら言います。するとお相手は少し微笑んで、「何枚くらい?」と尋ねました。何故なら、同じように夜な夜な手紙で想いを伝えようと書いてみたことがあり、同様に、何枚も失敗した経験があったから。

このように、全く同じ経験をしていなくても、感じ方を共有していくことができるのです。感じ方に焦点を当てずに会話をすると、「今日天気いいね」「昨日動画見てたんだよね」「昨日手紙書いてみたけど、失敗しちゃった」こんな感じになります。どうでしょう?こう言われると、すごく冷淡に聞こえる方もいるだろうし、なんだかすごく楽観的に見えて自分とは違うなあと思う人もいるかもしれません。

会って話をするとき、手紙に書くとき、電話するとき、そして寄り添いたいという思いがあるとき、ぜひ参考にしてみてください。


感じたことを引っ張り出す

感性の共有を重ねていくと、徐々に「私もそんなふうに思ってた」とか、何となくその人の感じ方が会話の中から顔を出すことがあると思います。

そういったときに、共感したり、さらに質問したり、次はどうする?などと会話を深めて、話を聞くということができるようになるのです。ですから、最初から、相手の話を絶対聞かなきゃとか、自分の話は絶対しないようにしようとしなくて良いのです。

強いていうならば、相手が感じたことに少しだけ意識を向けてみると、最近思っていることとか、どんな気持ちなのかが見えてくると思います。

悩みについて話をしてもらうとか、一緒にこういうのをやってみようとか、そういう取り組みというのはこの後で良いと個人的に思っています。自分が感じたことを共有していく中で、お相手の感じ方にも意識を向ける。寄り添うって、ただ話を聞くだけじゃなくて、こういう目に見えない感覚を丁寧に言葉にしたり、相手の何気ない言葉を受け取ってみたり、そういうことだと私は思っています。


時にはムカつくのです

この感じ方について共有していく過程で、相手から嫉妬されたり、拒絶されたり、もしくは自分のことを卑下したり、そういうことってあると思うのです。

みなさんも経験あるかもしれませんが、後から、
「私はあなたのこういうところがずっと羨ましかった」とか
「こういうところが自分にはなくて自己嫌悪に陥った」とか
そういった類の言葉をお相手から頂いたりすること。

これは例えば、
「この花の色合いすっごく綺麗だね」と感じたことを言ったとき、相手がその感じ方とは違うものを持っているもしくは無だった場合、その感じ方に対して何らかの感情が生まれる場合があります。そんなふうに感じられる余裕があって羨ましいとか、これを綺麗と思えない私はやっぱりおかしいんだとか、極端に言えば情緒不安的な時というのはこういう思考の持っていき方になるんですよね。

そして反対に、
「最近すごく寂しくて、今日も会う前に泣いてしまったんだよね」と言ったとしましょう。これを聞いたとき、相手の中で嬉しさが芽生えたとします。それは単なる共感ではなく、同じ深さの感覚を共有している安心感なのです。

でもこれ、「私も辛い気持ちになることあるよ」と言われたらどうですか?まず最初に思い浮かぶのは、「私の辛さとは違う」だと思うのです。というかその言葉単体だけでは信用できないということです。悩んでいる人はこうして言葉にして伝えないと思いますが、彼女たち/彼らが、「言ってもわからない」「私の気持ちなんてわからない」という想いから心を閉ざしてしまう理由の一つは、こんな感覚になったことないでしょ?こういう深いところで悩んだことないでしょ?ということなのです。

ですから、「話聞くから、話してみて」と言われると、喋りたくても喋れない気持ちはわからないんだろうなとか、話すことがまとまっていない悩みを持ったことないんだろうなとか、まず、「話してみて」と言えてしまうその状況が羨ましく思えたり、言ってもわからないだろうなと思うのだと思います。

そして、当たり前ですけど、この感じ方についてのお相手の感じ方、つまり、これはわかるけど、これはムカつくとか、そういうことって本人の問題であり、サポートする側が向き合う問題ではないと思っています。

大前提として、感性の共有において話したいことを話せばいいし、そこで話が盛り上がるものがあったらそれはそれでいいし、逆に後日このとき、こう思ったということを言われた時は、「そう思ったんだ」と捉えればいいのです。

自分がこれを言ってしまった所為だとか、次はあまりこういうことは言わないようにしようと過度に配慮しすぎると空回りしていくので、あくまでも日常の中での感じ方を気軽に共有してみるという姿勢で大丈夫です。


深さの共有を深めていく

寄り添うという次の段階で、本人が辛いことに目を向けて向き合ったり、癒されていくのが先ほど少し出た深さの共有です。

感性の共有をあれこれしていると、お相手も同じよう深さを感じていることがあれば嬉しく思ったり、話をもっとしてみたいと思っていくようになると思います。時に、感情的になることもあるかもしれませんが。

そして、この深さを経験したという信頼が土台になり、自分の心の内を出していけるようになります。

ただ、このとき、相手の悩みがトラウマレベルのものや、長年抱えているものとか、精神疾患など自分が経験したことのない事象についてのものだと、なかなか深さを共有していくことって難しいんですよね。

個人の感性の共有という日常的な寄り添いは、コミュニケーションを深めていけたり、相手の感じ方から徐々に喜怒哀楽のような感情や具体的な心の状態を知っていくことができるきっかけになると思っています。

そして、この過程と同じように次は悩みの内容を聞いて、できることならば自分が解決してあげたいと思う方もいるかと思います。ですが、そのときにもし、このような自分にはわからないかもしれないという深さの内容に出会ったときは、お相手本人が他者と関わっていくという選択肢を持ってみてください。

カウンセリングに行ったり、同じ状況の友達に連絡してみたり、SNSで誰かの動画を紹介したりとか、そういう自分以外の誰かとの関わりもとても大切で、本人の助けになると思っています。

この段階にくるまで、寄り添って丁寧なコミュニケーションが必要だったと思いますが、その後は、安全な場所での他者との関わりを目指していくと良いと思います。


あなたがあなたでいること

最後に、あなたがあなたでいる重要性について話したいと思います。あれこれ、悩んでいるときの心理や寄り添い方を書きましたが、これらができるかどうかが大切なのではありません。

一番大切なことは、あなたがあなたでいることです。

大切な人が苦しい想いをしていると、もっと自分にできることはないのかと考えることもあると思いますが、当事者の苦しみとは、願いを叶えることにより無くなるものではないんですよね。そして、あなた自身も、自分が辛い時にどうしてほしいのかと考えたとき、何か特別なことをしてほしいわけではないと思います。

あなたがあなたでいて、
あなたが好きな誰かがいて、
話したいから話すし、
そばにいたいからそばにいる。

そういう単純なことが、いっときの感情で崩れそうになることもあるけれど、
そんな時こそもっとあなたの普段の日常を大切にしてみてください。

あなたが、あなたの日常を大切にし始めると、自分の感情や感性の揺れにまずは気がつくと思います。何かを見て、感じること。そして、その瞬間に大切な人が思い浮かび、こんなことがあったという物語を話たいと思ったり。そんなふうに、あなたが自分を大切にするからこそ、あなたが大切な人への気持ちにも気づけるのだと、私は思っています。


自分の経験として、誰かにつきっきりで寄り添ったりサポートしたことというのはありません。どちらかというと、迷惑をかけたり、傷つけてしまった思い出ばかりです。そして、今、いろんなことを俯瞰的に見られるようになったからこそ、言葉の裏の背景や、心の奥底の心情というものをこうして丁寧に表現できるようになりました。

小さなことですが、この文章で寄り添いたいと思う気持ちに悩む人に届いたら良いなと思います。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。感想等お待ちしております。



p.s 個人的に好きな項目は”一体全体何を共有すれば良いのか”です。

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