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友達よりも「仲間」が欲しかったんだ


「 気心しれた友達って、5人で十分だと思うんですよね〜。」

stand.fm(スタエフ)というラジオアプリで、ある配信者さんがこんな話をしていた。

・・・5人って、すくな!

不覚にも動揺して、激しく突っ込んでしまった。いくらなんでも友達5人は少なくない?「友達100人できるかな〜♪」なんて歌いながら育ったせいなんだろうか。やっぱり友達は多いに越したことはない。(と思っている。)

「みなさんは気心しれた友達、何人いますか?」

このラジオの終盤、配信者さんはこんな質問を投げかけた。いやいや、さすがに5人は少なすぎるでしょ〜なんて思いながら、わたしも友人の数を数えてみることに。

いち、に、さん・・・。

あ、あれ?、さ、さん?もしや、5人もいない?

わたし、3人の顔しか浮かばなかった。



わたしには「友達」が少ない。これには薄々勘づいていた。

ベトナムに来てもう一年経ったけど「仲良い友達は?」なんて聞かれると「う〜・・・ん」と唸る。そう、いつも答えに困るんだ。

もちろん、友達がまったくいないわけではない。ベトナムでは同い年の人が集まるコミュニティがあるし、もちろんそれ以外の繋がりだってある。

でも「気心しれた友達」・・・となると、ちょっと違うんだ。

人って無意識のうちに、自分を「着飾る」クセがある。

「わたしはこういう人間です」って話していたつもりが、いつの間にか「わたしはこう見せたい」に変わってしまうんだ。なりたい自分になりきるって感じ。とくにわたしは、プライドが高いタイプなんだと思う。

そのせいか、自分の弱い部分を無鉄砲にさらけ出すことはしないし、日記に書くようなパーソナルな話なんて、リアルな「友達」にはほとんどしない。

でも、したくない・・・ってわけでもない。
いやむしろ、本当は話したいんだ!

今、頑張っている話。
ちょっと、悩んでいる話。
未来の、ワクワクする話。

こんなことを気兼ねなく話せる「仲間」がほしい。そんな風に思っていた。



ひょんなことからスタエフをはじめて早3ヶ月。
そして思いのほか、ここはわたしの「素」がさらけ出せる場所に変化した。

もちろんくだらない話もたくさんするんだけど、それと同じくらい自分のパーソナルな話だってする。

それに対して、うんうんと聞いてくださる人がいたり、「わたしはこう思うよ〜!」なんてお返事くださる方も増えてきた。

でもこれって、ちょっと不思議だよね。

住まいだって、年齢だって、顔だって知らない。
知っているのは、お互いの「声」だけ。

それなのになぜか、交流の輪が広がっていくんだもん。


きっとラジオには「自分を素直にさせる力」「同じ価値観を持つ人を引き寄せる力」があるんだと思う。

年齢・職業といった社会的属性なんて、関係ない。

大切なのは、共通の価値観を持つ仲間。

声だけで繋がったスタエフ仲間たちが、わたしの日々を彩かなものにしてくれている。




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