どうしたって通る道だったのかもしれない
私が悪いから。
私があのときあんなことを言ってしまったから。
あんな叱り方をしたから。
寄り添ってあげられなかったから。
私のせいで息子は苦しんでいる。
私が息子をこんなふうにしてしまった。
では無くて。
もうそれは思わなくて良くて。
ただ息子は自分自身と戦っているのかも?
という視点。
自分の内から込み上げてくる不安、不快感。
そんな感情と戦っているんだ。
それはASD故のものであって。
それを1番安心安全な"母"という存在にぶつけているだけ。
それは辛いことではなく、自然なこと。
「どうしたって通る道だったのかもしれない」
遅かれ早かれ。どうしたって。
向き合うときが来ただけなのかもしれない。
そうだ。ただ一緒に、乗り越えるんだ。
一緒に心地良い場所を探すんだ。
これは"この子にとって"
そして"私にとって"
必要な成長過程だ。通過点だ。
私は私をこれ以上責めない。
もう勝手に傷付かない。
私は"今の、息子と私の姿"を
ありのままに"受け入れられた"のだと思う。
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