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夏の決心

夏休みは、やっぱり短い。

夏休みの終わりは憂鬱だ。

「学校、めんどいな…」
学生の頃の、この憂鬱な感情は誰しもが経験しているのだろうか。
「めんどい」の言葉の内には、様々な不安の気持ちが含まれていたと思う。

勉強、授業、友達付き合い、早起き、あとは何だろう…?
私の場合は、「あー、やだなー」と思う対象は友達付き合いがほとんどだったと思う。
特に何が嫌って訳では無く、はっきりと捉えることはできないが、なんとなく心が不安定に揺れ動くような感覚。



…いや、「夏休み、長すぎねえか?」

自分が母親になってからは、夏休み「前」が憂鬱になった。
子どもたちの夏休み中はイライラ、ガミガミ。
食事を3食用意するだけでも一苦労。
自分のペースで家事が捗る訳ではない。
トイレすら自分のペースで行けないのだから。
子どもたちに遊びを提供し、なんとか食事を用意したところで喜んで食べるわけも無く、平気で残される。
怒る。
それなのに菓子だけは旨そうにむしゃむしゃ食べる。
怒る。
栄養面が気になり出す。
母としての自信をすり減らす。
遊びの相手をする。疲れる。
宿題をやらせる。やらない。怒る。疲れる。
自分の時間なんて無い。
何ひとつ思い通りにいかない。
気が狂いそうになる。

だから、夏休みの終わりは解放感で満ち溢れる。

早く終われ、夏休み。

早く解放されたい。
早く保育園なり学校なり行ってくれ。
そう思って過ごしていた。


長期休みはトラウマだった。
本当はイライラしたく無いんだ。
本当は、子どもたちと一緒に居られる時間を楽しめる母になりたかった。
だけど。
私の中には自分の本心を見えなくする「こうあるべき」の思考が強くあり、その思考に支配されていた。


私、イライラしてるね。

自分の心に寄り添ってみる。

疲れてるね。そりゃー疲れるよね、お疲れ様。
ちょっと休もうか。


何でイライラしてる?
こうあるべきって思ってる?
それって、本当にそう?
ありのままでいたら、何か大変なことが起こる?
本当に?

こんなふうに、自分の中の「こうあるべき」を手放すことを教わった。


自分自身と対話する。
自分の心に話しかけ、自分の脳で考える。
心のちょっとした違和感を逃さない。
少しでも違和感を覚えたら、それは違うということ。
違うことだと心臓の辺りがチクっとするし、合っていることだとふわぁーっと心が緩む感覚がある。
そんな感覚に精神を集中する。


今年の夏は、穏やかに過ごせた。
イライラすることも当たり前にある。
それでも、イライラする回数は格段に少なくなったし、またすぐに平穏な自分に戻って来られるようになった。
自分の時間を大切なものとして、持てるようになった。

その代わり、外食は少し増えた。
部屋は散らかっている。
宿題は、ひとつもやっていない。

でもそんなのは必要経費だし、栄養もまぁ大丈夫。
子どものいる家庭なら散らかっていて当然だ。
宿題は、本人がやりたくないと言っているのだから仕方ない。
全部、夏の思い出だ。


学校、憂鬱だなぁ…

私の心は、不登校の子どもの心とシンクロしてきた。

学校、不安だよね。
夏休みは安心して過ごせたね。
学校のことを考えると、気持ちがざわざわするね…

気持ちを切り替えなくちゃと一瞬思ったが、いや、このままこの気持ちを味わっていようと思い直した。
だって、子どもの気持ちに心から寄り添い共感できているってことだから。

今あるこの気持ちが、これからどんな変化をしていくのかを楽しもう。
子どもたちと一緒に。

それが、私の夏の決心。

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