【写真評】 小野規 《周縁からのフィールドワーク》 周縁からの視線・スタディーズ、パリ

行きつけの珈琲店のマスターから、パートナーが6月にパリに行くのでオススメのスポットを教えてくれないかと尋ねられた。パリについてとりわけ詳しいというわけではないけれど、都合、半年余り滞在したことがあるから、ガイドブックにはない『パリ観光雑記』を書き、渡すことにした。

鉄道のターミナル駅、魅力的な通り、パッサージュ、地下鉄の特別な区間、ガレットの美味しい店、etc。そして、はめてのパリ観光にオススメしていいのかは判断に苦しむけれど、現代の世界を象徴するパリ周縁、つまり、空港からパリ市内へと向かう途中の光景についても、簡単に案内することにした。

空港からパリ市街への移動がバスでしたら、その途中の光景はいかがでしょうか。そこには「これがパリ?こんな光景を見るために来たのではない」と誰しもが感じるに違いない光景があります。パリの街から弾き出された人々が住まうパリ周縁地区。多くは移民のような低所得者層の住む街区で、病んだパリの光景が広がっています。そこには、いまだに植民地政策を引きずったネガとしてのフランスが露出しています。これが現代フランスのファクトと思える光景かもしれません。

『パリ観光雑記』から

これはマスターに渡した『パリ観光雑記』の一部である。はじめてのパリ訪問者にはいくぶん刺激が強い案内かもしれないけれど、バスでの移動中、否が応にも見えてしまうパリ周縁の光景である。目を閉じ、拒絶の意思を表すのでなければ見えてしまう光景。見えてしまうという露出もパリであると思い、一抹の後ろめたさを感じつつも、あえて案内することにしたのだ。

『パリ観光雑記』に、このようなネガ・スポットを紛れ込ませようと思ったのは、ちょうどその頃、フランスだけでなく、他のヨーロッパ諸国でも新聞を賑わす事件が起きていた。パリ、ブリュッセル、イスタンブール、キプロスでの爆破テロ……「テロ」は政治的強者が少数弱者を非難するための政治用語なので、できれば封印したいのだが、ここではわかりやすい伝達用語として使用する……の惨事が連日報道されていた。それは欧米によるシリア等への空爆と、その結果として引き起こされた爆破テロである。爆破テロと空爆。どちらも多数の市民が死傷する惨事でありながら、マスメディアの報道姿勢の違いが際立っていた。

前者の爆破テロは地上から撮られた映像であり、後者の空爆は上空からの映像である。ここには血にまみれた人や横たわる死体を “撮る/撮らない” という選択の違いがある。前者は地上から撮ることで血と死体を目の前の映像として撮り、後者は上空にとどまることで遠い目の映像として、テレビ映像を見るわたしたちの眼には血も死体も映らない、撮らないという選択である。この視点よる視聴者の反応の違いは大きいだろう。血や死体の映像を眼にすることで惨事への憎悪は増すだろうし、空撮という遠い目は、血と死体の映像を遮断されるがゆえにテレビゲームに等質化されるだろう。これは、1991年の湾岸戦争時におけるアメリカによる空爆の世界配信映像(そこには死者や逃げ惑う人は映っていない)と同質なものである。地上爆破の惨事は憎悪であり、空爆はテレビゲームと化す。
連日の、マスメディアから流されるこのような情報のあり方に、わたしは居心地の悪さを覚えた。この居心地の悪さは、ある問いを投げかてくる。その問いの答えが、2013年に京都造形芸術大学(現在は京都芸術大学と改名)で催された小野規個展《周縁からのフィールドワーク》にあるように思えた。

この問いとは何か。
それは、わたしたちは「何を見て、何を見ていないのか。」「何を見ようとし、何を見よとしないのか。」という問いである。その問いの一つの答えとして、小野規《周縁からのフィールドワーク》展を再考することは無駄なことではないと思ったのだ。

小野規の映像と展示情景を思い出しながら、展覧会でのわたしの心象を記したい。


わたしはなぜこんなところに来てしまったのだろう。なぜかいたたまれないような、場違いな所にいるような気がする。わたしはここにいてはいけないのだといったざわつくような疎外感。わたしがそう感じるというだけではなく、他者(=小野規が映した光景)からもそう感じられているという、訪れた場所での “拒む/拒まれる” という感覚。

こんな感じをかつて経験したことがある。それはシャルル・ドゴール空港からパリの街区へと向かうリムジンバスから車窓を眺めているときのことである。空港からエールフランスのリムジンバスに乗りしばらくすると、わたしたちがイメージするパリには似つかわしくない近代的な建築物が目に入る。近代的といっても、どこか寂れた、廃墟と見紛うような殺風景な建築物。スーパーのビニール袋が風に舞い、至る所に散乱するゴミ。行き交う人も疎らなパリの外れの光景である。見てはいけないのだとわたしの視線を拒絶し、わたしも見なければ良かったと視線を外す。それでいて、異質なものを見る好奇に満ちたわたしの視線。こんな光景を目にするためにパリに来たのではない、目の前にあるものを拒みたくなるような気持になる。

わたしはこの光景などまるで見なかったかのように、パリへと視線を向かわせる。目的の場所への途上であるパリの外れの光景を忘却し、パリ郊外の歴史との切断を行おうと意識は先へとすすむ。

小野規の作品を目にした最初の印象は、これと同質な居心地の悪さである。
会場で最初に目にするのは『ある庭のためのスタディ』。雑草や、野の草花の繁茂する写真のシリーズである。わたしは雑草の写真の意味することが分からなかった。雑草という匿名性、なにゆえこのようなものを撮るのか。わたしは見てはいけないものを見てしまったような、居心地の悪さを感じたのである。だがこの感覚が、パリの外れでわたしが目にした光景と繋がるということを、それに続く『ストリート』、『樹木のスタディ』、『塔を眺める』へと進むうちに、わたしの中で了解されることになる。

小野規:ある庭のためのスタディ

『ある庭のためのスタディ』は、作者の庭に繁茂する雑草の類を撮ったシリーズである。雑草といっても、自然に繁茂した草花ではない。作者である小野規が種を購入し、庭に植えて制作した庭園である。それはイングリッシュ・ガーデンのような、自然美と自然風景美とを一体とした、管理された疑似風景庭園ではない。小野が指向する庭園とは、いうなれば植物学庭園。管理が行きとどかなくなり、植生が崩れた庭園である。植える種も国外から輸入した種を多く含む。それをランダムに撒く。彼の写真に植物が多いのは、19世紀にアーカイブとして撮られた膨大な植物学的写真へのオマージュを見ることもできるのだが、作者の小野規が大学で植物学を専攻したことにもよるという。

雑草にはそれぞれに名がある。それぞれの種に固有名があるにもかかわらず、わたしはまるで同じ種であるかのように、そしてそのことが当然であるかのように、〝雑草〟と単一の名で呼ぼうとする。そうすることで、窓辺に飾られた色とりどりの花々から、雑草を名づけえぬものとして遠ざけようとする。

小野規が興味を覚えるのは雑草ばかりではない。パリ郊外には多くの街路樹が植栽されている。その多くが、その土地に自生していた樹木ではなく、外から移植された樹木であるという。『樹木のスタディ』とは、それら樹木を撮ったシリーズである。これら二つのシリーズ『ある庭のためのスタディ』『樹木のスタディ』はどちらも用語「スタディ」がつく。彼は言う、「スタディが大切である」と。スタディにより、わたしたちは対象に接近でき、理解が深まるのだと。外部から飛来した雑多な草花である雑草と、外から移植された樹木。ここで共通するのが “内/外” であり、スタディとはその考察である。

展覧会は『ある庭のためのスタディ』で始まり、最後に『塔を眺める』に辿り着く。
塔とはエッフェル塔のことである。エッフェル塔の見える郊外の風景。ここではじめて、これら4つのシリーズが、パリ郊外、つまりパリ周縁で撮影されたものであると判明する。

小野規はパリ郊外に住み、その場をフィールドとする写真家である。郊外といえば、わたしたち日本人は、大都市の喧騒を逃れ、住むことのユートピア的世界、庭のある、幸せな一戸建に住む家族を想像するかもしれない。だが、パリ郊外はそうではない。社会的、経済的にパリから阻害された、あるいは弾き出された人たちの居住区である。貧困層、移民、異邦人…。これらパリの歴史への参入を歓迎されない人たち。そんな人たちのために、フランス政府が建造した低家賃のアパルトマンが並ぶ地域、それがパリ郊外の風景である。

そこでは犯罪、暴力、家庭崩壊が絶えず、観光客の接近を拒む地区でもある。小野規はその場に居住し、そこをフィールドとした光景を撮っている。リムジンバスによる空港からパリへの途上、わたしが切断しようとした郊外の光景である。

郊外は、パリの歴史と切断された、パリの人たちにとっても存在しない地区としてある。フランス語で郊外を「banlieue(バンリュー)」という。「ban(バン)」は「追放」、「lieu(リュー)」は「場所」。つまり、郊外とは、予め、追放された場所を意味する。フランスで郊外という語が立ち上がったとき、それはすでに歴史との切断でもあるのだ。

小野規は郊外風景を見せた写真、つまり郊外写真を撮っているのではない。郊外を撮るとは、パリの歴史と切断された郊外をどのように表象するか、つまり、パリの歴史との “接続” を試みるということである。

わたしは空港からリムジンバスでのパリへの途上、パリの外れ(=郊外)に、異質なものを見るような好奇に満ちた視線を投げかけた。その異質性とは、わたしがパリの外れに住む者より先を行く者としての優越者の視線である。
パリ郊外は中央から曝されるもとしてある。小野規はこのことを、オリエンタリズムの再現と言う。エドワード・サイードが『オリエンタリズム』(1978)で人種主義的、帝国主義的として批判的に検討したように、かつて欧米人が、非欧米諸国を奇異なもの、劣ったものとしてみた、あの忌まわしい視線のことである。

『塔を眺める』では、フレーム内に、よく見なければ気づかないほどに配置されたエフェル塔を見る。中央から郊外を眺めるのではなく、郊外から中央の象徴でもあるエッフェル塔を眺める。ここには、小野規の、中央への、密やかで、悪戯のような視線が感じられる。

小野規:塔を眺める「コーランを読む男」、パリ

悪戯のような視線は、郊外であるこの地の通りに、画家の名がつけられた『ストリート』にも見られる。ウジェーヌ・ドラクロワ袋小路、パブロ・ピカソ通り、ギュスタヴ・クールベ通り、フェルナンド・レジェ通り、エドワール・マネ通り等々。『ストリート』はそれら通りを撮ったシリーズである。通りの名としてつけられた画家は、パリの文化を表象する者たちである。これら画家の名を通りに冠することで、パリの歴史と切断された郊外を、パリへと接続させているともいえる。植物学を学んだ小野規は、このことを〝接ぎ木〟と呼ぶ。そして、パリ郊外の住人(移民や異邦人)が、これら画家の名を知らないかもしれないと。

小野規:ストリート「パブロ・ピカソ通り」、パリ

小野規を理解するには、四シリーズをセットで見る必要がある。四シリーズ全体を「俯瞰」として見るということ、そして、それぞれのシリーズに宿る「細部」を見るということ。それがスタディである。評論家であり写真家でもある港千尋は、そのことを、「遠近(おちこち)」と呼ぶ。

ヨーロッパ・バロックにおいて開花した「遠近法」 。これは中心へと収斂する視線、世界は見られるものとしてある “主/従” という視線である。だが港千尋は、これを “おちこち” と名づけることで、多数者の関係性としての視線を恢復することの必要性を説いた。小野規の作品にはそれがある。小野規の「接ぎ木」、港千尋の「おちこと」。これが「スタディーズ」である。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

小野規『COASTAL MOTIFS』(KYOTOGRAPHIE 2018 より)


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