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【美術評】 マヤ・ワタナベ 《Suspended States 滞留》 Part.2 『停滞』

本稿は
マヤ・ワタナベ『Suspended States 滞留』Part.1『崩壊』の続編です。

マヤ・ワタナベ『停滞』9分ループ(2018)

Covid19による都市閉鎖、自主隔離、自由な往来の制限といった行動抑制は、二項対立〈生存/非生存〉における二者択一という選択である。その状況においてわたしたちは、行動抑制による〈生存〉を選択したのだ。生存という生の持続のためのある種の選択の要請。戦後、とりわけ日本において、このような生の選択を迫られることがあっただろうか。

このようなことを考えたのは、マヤ・ワタナベの映像インスタレーション『停滞』を見たからのほかならない。
『停滞』はヨーロッパブナの代謝プログラムを撮った映像インスタレーションである。
ヨーロッパブナは水槽で飼われることが稀にあるそうなのだが、色彩豊かな魚ではないため人気がなく、一般に流通する鑑賞魚ではない。そういうわたしも、映像インスタレーション『停滞』でヨーロッパブナの名を知った。

映像インスタレーション『停滞』ではスクリーンにヨーロッパブナの側面の顔が大きく映し出される。その映像を何気なく眺めていると、ヨーロッパブナの〈解凍⇄凍結〉の円環的反復が9分のループ映像で映し出される。ここで注意すべきは、〈解凍=生存〉〈凍結=非生存〉といった等式でも、対立〈生存/非生存〉でもないということだ。

フナの一種であるヨーロッパブナは、バイオスタシス(Biostasis)…クリプトビオシス(Cryptobiosis)ともいう…の状態になることで、水温が氷点下まで下がる厳冬期を生き延びることができる。

バイオスタシスとは、環境変化に適応するのではなく、環境変化に耐える能力を獲得することで、生き延びることをいう。生き延びるために休止・仮死状態を人工的に作り出す必要がある。たとえばバイオスタシス・プログラムのひとつに救命医療への適応がある。交通事故による外傷や急性感染症による救命医療において、医療専門家や救命救急センターへのアクセスが制限された場合、生存率を高めることを目的に生物学的システムを減速させ、医療介入が可能になるまでその機能的能力を安定させる方法である。つまり、代謝プログラムの減速化、もしくは停止である。

マヤ・ワタナベ『停滞』京都芸術センター

ヨーロッパブナも厳冬期を生き延びるため、代謝プログラムを停止させ、細胞エネルギーは組織を生かしておくために最小値にまで低下させるという。このプログラムは、生存を非生存へと移行させることではないし、二項対立〈生存/非生存〉も意味をなさない。外的環境(水温が氷点下まで下がる厳冬期)を生き延びるために、自己調整システムを発動させ、仮死状態、つまり「生きても死んでもいない」という究極の状態を選択するのである。酸素が欠乏する厳冬期における細胞エネルギーの最適化である。それは、生でも死でもない、〈生存/非生存〉のどちらでもない時間である。生と死の曖昧な状態。これを「夢見ることのない眠り」と呼びたい衝動に駆られる。

ヨーロッパブナは日本には分布しないのだが、わたしたちが目にするマブナもバイオスタシスになるのだろうか。

さて
映像インスタレーション『停滞』

マヤ・ワタナベ監督によれば、科学者の指導により人工的な条件下で、人為的に生じさせたバイオスタシスを映像として捉えたとある。ここには、一匹のヨーロッパブナが自己調整システムを発動させ、自らを冷凍保存する。そこに現れるのは、〈生存/非生存〉の間にある、つまり、生でも死でもない生物の状態とは何かを問いかける映像である。

「生きても死んでもいない」状態の選択は、ヨーロッパブナだけの特殊な生存形態ではない。
たとえばリドリー・スコット『エイリアン』(1979)の冒頭を思い出してもいい。宇宙貨物船ノストロモ号の地球への帰還途上、乗組員たちが「ハイパースリープ」から目覚めシーンで始まる。乗組員たちが未来への生存のための細胞エネルギーの最適化から、通常の状態に目覚めるシーンだ。
単なるSF映画というなかれ。わたしたち人間も、将来の出産に備え、精子や卵子の凍結という選択を行うことがある。出産を望みながらも、社会環境や健康問題等で現時点での出産が不可能と判断したとき、将来の出産に向け、〈生殖存在〉の凍結という緊急避難的な究極の選択をせざるを得ない場合がある。『停滞』とは、未来時制へのひとつの時系列ファクターであるといえるだろう。人間に細胞エネルギーの最適化が確立されたとすれば、たとえば100年後の未来時世の存在に向け、わたしたちは、バイオスタシスを選択するだろうか。

そんなことを考えながら、唐突にもトーベ・ヤンソン〈ムーミン谷の仲間たち〉を思い出した。それは、「ちょっぴり生きていて、ちょっぴり死んでいる」ような世界への希求である。バイオスタシスとは文脈は違うが、トーベ・ヤンソンが好んで描いた世界である。

監督:マヤ・ワタナベ、撮影:Sebastián Díaz Morales、第1撮影助手:Niels Zonnenberg、音響:OMFO(German Popov)、アシスタント:Daniel Jacoby、Nina Stottrup

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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