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【エッセイ】 ノンシャラン〜円卓袱台と漆とかぶれ

地に足がつかず、不意にどこかに行ってしまいそうになったり、どこかに吹き飛ばされてしまいそうになったり、それでいてここではないどこかに行くわけでもない、そんな状態をどのように表現すればいいのだろう。
たとえば、フランス語のノンシャラン(nonchalant)というのはどうだろう。不意にそんなふうに思った。

「nonchalant」の例文を辞書(「新スタンダード仏和辞典」大修館書店)から拾ってみると、
tempérament nonchalant    のんびりした性格
élève nonchalant                   投げやりな生徒

ノンシャランとは、「無頓着な」とか、「のんびりした」という意味と同時に、「投げやりな」という意味もある。
「のんびりした」といえばどこかおっとりとして、頼りにはならないけれど憎めないイメージがあり、「投げやりな」は負のイメージが大きい。

「わたしはノンシャラン」
と言ったとすると、いったいどのようなイメージを人は抱くのだろうか。

ノンシャランという語の音には、どこか重力をなくした軽やかな響きをわたしは感じる。他人ひとはどうなのだろう。もし、わたしと同じように、重力のない軽やかさを感じるのなら、「わたしはノンシャラン」と言ったとき、負のイメージでの否定的な人間と思われても、どこか愛おしい存在と捉えられても、そのどちらに受けとられてもいいや、という気もする。そんな軽やかさの中にわたしはいたいと思う。ノンシャランには、意味を無効化し、その響きの中で完結しているような、特有の眼差しを有しているような気がするからだ。もちろん、フランス人がそのように考えるかは知らないけれど……。

パトリック・モディアノ『Chien de printemps』(1993)を読んでいて、ノンシャランという語が目がとまった。語り手である19歳のわたしが女友だちとカフェにいると、見知らぬ男に目がとまった。彼はバッグからローライフレックッス(ドイツ製の二眼レフカメラ)を出しいじくっている。男は語り手であるわたしたち二人を盗み撮りしていたのだったが、そのとき、わたしはそのことに気づかなかった。それは、彼の一連の動作(gestes)に手際良さ(rapides)はあったものの、そこにはノンシャラン(nonchalant)も伴っていたからだ。

モディアノは次のように表現している。

Je me suis à peine rendu compte qu'il avait fixé sur nous son objectif, tant ses gestes étaient à la fois rapides et nonchalants.
私たちにレンズを向けていることにほとんど気づかなかった。彼の動作が素早さに軽やかさを併せ持つからだ。(拙訳)

nonchalantを、ここでは「軽やか」と訳した。わたしのフランス語は趣味のフランス語にすぎないから、この訳が適切なのかは分からない。

Patrick Modiano『Chien de printemps』(Édition du seuil)

この一文のノンシャラン(nonchalants)に興味をひかれたのだ。ノンシャランは、「ぎこちなさ」とともに「何をしているのか不明なところがある」を含意している。盗撮を気づかせない、カメラを触っているだけのぎこちなく曖昧な振る舞い。この文脈のノンシャランに、男の操作の意味を無化する作用があると、わたしは思った。ノンシャランに、軽やかな響きを感じたのは、この小説を読んだからだ。

さて、冒頭に、地に足がつかずと書いたけれど、地に足をつけてみようと考えた。それは精神的なということではなく、日常生活の即物的な意味においてである。
どうすれば地に足がつくのだろうか。てっとりばやく、椅子の生活を捨て、床の生活へと移行することにした。椅子とテーブルを処分し、丸卓袱台の生活へ移行するということである。丸卓袱台ひとつで、地に足をつけることができる。これは魔法の装置だ。単純すぎる思考だろうか。発想そのものがノンシャランで、思考と行為の二重ノンシャラン。
これには、町家で活動する機会があり、木と土と紙の家への憧れが強くなったことも影響している。しかし、経済的な理由で町家には住めない。ならば、マンションでの、疑似町家生活の志向、そんな結論からである。

京都御所南の夷川通りの和物家具屋を覗くと中古の丸卓袱台があった。製造年代を尋ねる、材質と作り方から、1950年前後の製品ということである。実は、わたしは丸卓袱台を囲んだ経験がない。祖父と一緒に住んでいた幼少の頃は、旧家であったこともあり、食事の時は板敷きの床に箱膳。箱膳の中には御碗や箸といった食事道具一式が入っていた。祖父を上座に、他は向かい合って二列に並ぶという封建的な食卓形式であった。同世代の友人にそのことを話すと、あなたはいつの時代の人間なの?と不思議がられる。その当時でもあまり見かけない、特異な家族だったのかもしれない。

わが家に卓袱台が入ってきたのは、祖父が亡くなってからのことである。そのときの卓袱台は丸ではなく矩形。だから丸卓袱台の経験はない。けれど、丸卓袱台にはどこか懐かしい風情を感じる。成瀬巳喜男監督『めし』(1951)で、上原謙と原節子が丸卓袱台を囲むシーンがあったことを思い出す。

夷川通りで見つけた丸卓袱台。材質は栓の木の3枚はぎ板で直径90センチ。経年ではぎに隙間ができている丸卓袱台が多いけれど、隙間がまったくないだけでなく、表面にキズやそりの少ない状態の良いものである。汚れを落とし、表面の仕上げはラッカーではなく漆を塗ってもらうことにした。

漆を塗り、数日後に連絡があったので見に行くことにした。漆にはラッカーのようなきらびやかさはないけれど、しっとりと落ちついた艶がある。漆が完全に乾くのにひと月ほどかかるそうだ。オーナーは卓袱台の表面を手でなでながら、「一見乾いているようですが、まだ完全には乾いていません。どうしましょうか」、とわたしに尋ねた。漆のかぶれが少し心配だったけれど、すぐに運んでもらうことにした。

わが家に到着した丸卓袱台。オーナーは、「完全には乾いていないので」と再度確認の言葉。「人によってはかぶれることがあるので注意してください」、と言い残して帰った。で、わたしはどうしたのかいうと、オーナーが触っているのだからわたしも大丈夫だろうと高を括った。

ところが、その2日後、両手首がかゆいと思ったら、案の定かぶれていた。さらにその翌日だっただろうか、左足の脛がイタガユイ。横2列に赤い帯。ブツブツとした黄色い斑点もできていた。イタガユくて気持ち良いのならいいのだけれど、どちらかいえば痛い方が勝っている。手首がかぶれるのは分かるけれど、脛は丸卓袱台には触ってはいない。漆の付着した手で、脛を触ったのだろうか。
翌日皮膚科で診てもらうと、漆による典型的なかぶれと診断された。ああ、なんてこった。漆がいったん体内に入ると、リンパ管を通り、体全体にまわるのだという。だから、漆に触れない部位もかぶれの症状が現れることがあるのだ。漆が体外に排出されるまでの期間、どこにかぶれの症状が現れても不思議はない。漆が体内から抜けるのに2週間ほどかかるから、しばらくは丸卓袱台に触れないほうがよいと忠告された。
軟膏とアレルギー症状を抑える3日分の飲み薬とをもらった。そのおかげか、1週間余りでかぶれはほぼ治癒した。

ところで漆が乾く条件だが、和家具屋のオーナーの話しによるとある程度の温度と湿気が必要だという。空気が乾燥していると漆は乾かず、湿気があると乾きも早い。漆職人は仕事を始める前に水を撒き、大気に水分を含ませ、漆の乾燥を促進させるという。等式「乾く=乾燥」は間違いなのである。
日本で古代から漆が重用されるのは、日本特有の気候条件からである。化学的には、空気中の水蒸気が持つ酸素を用い、生漆に含まれる酵素の触媒作用による酵素酸化により漆は硬化する。空気中の水分と温度がないと酵素の酸化は進行せずまったく硬化しない。これを漆が乾くということである。化学的に説明してしまうとなんて無味乾燥なのだろう。漆は水分との親和性が高いからなのだと説明した方が、日本の風土にはずっと相応しいと思う。

さて、丸卓袱台が家に届いてから2週間。漆は完全には乾いていないような気がするけれど、使用することにした。またかぶれるのだろうか、それとも何ごともなく過ぎるのだろうか。わたしは掌からこぼれ落ち、掴みきれない水のような形も存在感もない人間だから、大気中の水分のように漆と親和性があるに違いない。だとすれば、漆が体内に浸入し、再びかぶれるのかもしれない。それとも漆と水分との親和性とは、物質としての要素を省き、知覚としてのみの、互いの存在すらも気づかないでいるというそれぞれの在り方のことなのだろうか。そんなことを考えながら、丸卓袱台の食卓を、早春の食材で飾ってみた。

春の味覚は、わたしの意識の中をどうしようもなく緩慢に流れる時間を超え、かつてはこの丸卓袱台を囲んだであろう不在たちを不意に浮かび上がらせるように思えた。

その後、漆のかぶれはどうだったのか。やはりかぶれてしまった。前回ほどではないが、手首あたりに漆によるかぶれらしきブツブツ。よく見なければ分からないほどに、ほんの少しだけ。ちょっと痒い。よく見なければ分からないのだからもしかするとかぶれというのは思い過ごしなのかもしれないのだが、やはりかぶれだろう。そうでなければブツブツと痒さの説明がつかない。丸卓袱台の漆は完全には乾いていない。というのも、寒さの峠はこえていくぶん温かくなったとはいえ、乾燥注意報が出ている。漆が乾く条件である高温多湿、そのどちらからも遠い気候条件である。さてどうしようかと考えた。加湿器の湿度レベルを高にして、部屋の空気に水分を補給することにした。さらに部屋を閉め切れば加湿器の作動により、室温は2℃ほど上昇する。漆が乾く条件としてこれで十分なのかどうかは知らないが、放っておくよりはましだろう。昼間は家にいないから、ちょうど塩梅が良い。不在時間を利用しての漆の乾燥。

それにしても、乾いてから丸卓袱台を受けとればよかった。わたしは、ほんとうにノンシャランな人間。つくづくそう思う。喜んでいいのかそうでないのか、わたしにはそれすらも判断がつかない。そんなところもノンシャランなのだろうか。

丸卓袱台とかぶれのこと、そしてノンシャランについて女ともだちでもある俳優にメール(春の味覚でかざる丸卓袱台の写真添付)したら返信があった。

こんにちは。
その後かぶれはいかがですか。
すてきな写真で、どこかの町家ごはん処かと一瞬思いました。
よーく見ると、卓袱台の端っこにワインボトル。
おいしそうな春の食卓。
まるい卓袱台は何かやはりひとつの象徴のように思われます。
実際には経験していないのですが。
ノンシャラン、という言葉はときどき母が使っていましたが、フランス語だったのは寡聞にして知りませんでした。
あまりに響きがかろやかで、昔の流行語か何かかと……。
思い出すと、いいかげん=よい加減、飄々とした人を語る言葉として使っていたように思います。
自分はどうもノンシャランには重いような気がしますが、そのような在り方には憧れます。
なんとなく、自分の知っている辺りの話が出てくると、にやりとしますね。
気まぐれに、福永武彦訳の「矢の家」という古い探偵小説を読み返していました。
ディジョンの辺りの話です。
野外で食事をとる場面などが(筋としては脇なんですが)澄んだ光を思わせます。
ちょっと違うのですが、福永自身の小説で、主人公が「恋しい女とフランスの片田舎で暮らせたら」と夢みる一節がありまして、それを読んで以来、「フランスの片田舎」=夢の生活、という刷り込みがあります。
その「恋」は道ならぬ恋なので逃避行といっていいものなのですが、「フランスの片田舎」なら、そんな乱暴な夢まであかるくうつくしく昇華されそうな妄想をしています。
まあ実際そうもいかないのでしょうが……。

会うことも少なくなった女優だけれど、料理を囲みながらワインやお酒を飲んだことを懐かしく思う。

(日曜映画批評:衣川正和 🌱kinugawa)

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