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パフォーマンス・音楽・アートの扉_culture

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身体という物質性、知覚の直接性に興味があります。 目と耳、そして皮膚感覚。 それら刺激に満ちた世界。
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#パフォーマンス

【パフォーマンス】 梅田哲也「COMPOSITE: VARIATIONS(の元)/外/4人」@京都のライブハウス「外」

足を動かす、歩く、その異形のような運動がすでにあった。屋外での身体運動をライブハウス「外」の内部に凝縮。始まりもなく終わりもなく。それが日常であり、その凝縮が「外」に還元される。 フラスコ内の水の落下運動。万有引力は全てが落下するというシステム。水に音はないが、落下することで音を発生させる。そして水の振動。振動は電気信号に変換され、空気振動という振動の反復を生む。さらに電気信号は磁場を作り、そこにも振動が発生する。 すべては物理学による日常の解析と解体。

【ダンス評】 ケンジルビエン(KEN汁ビエン)Kenjiru Bien〜異能の身体〜

(写真=山形ビエンナーレ2020より。ケンジルビエン×東野祥子) 京都市左京区鹿ケ谷法然院西町にあるライブハウス「外 soto」 スリーピースバンド『空間現代』(野口順哉(guiter/vocal)、古谷野慶輔(bass)、山田英晶(drums))の運営するライブハウス&スタジオなのだが、数年前からわたしの気になるライブハウスのひとつとなっている。「外 soto」が発する文化は京都や日本というローカルの止まらず、世界へと向けた複数性・多様性として、これからも発信を止めること

【演劇評】 《あいちトリエンナーレ2019》ドラ・ガルシア〈レクチャーパフォーマンス『ロミオ』〉、ミロ・ラウ(IIPM)+CAMPO『5つのやさしい小品』について

《あいちトリエンナーレ2019》(以下《あいトリ》と略す) 《あいトリ》は2019年で幕を閉じ、2022年から名称を《国際芸術祭『あいち2022』》に変更され、新監督に片岡真美が就任。新生の芸術祭としてスタートを切ることになった。 《あいトリ》最後の開催となった2019年《パフォーミングアーツ『情の時代』》。 演劇祭として不幸な幕となった2019年であった。政治的圧力、右翼からの襲撃と脅迫、それに同調するかのような右派政治家の発言、世論の不穏な動き等々、記憶に留めておくべ

【演劇評】 ドイツのパフォーマンス集団 She She Pop『春の祭典 She She Popとその母親たちによる』 〈儀式〉により母と子の相克は救済されるのか

まずはパフォーマンス集団〈She She Pop〉を外観しておこう。 1990年代にギーセン大学応用演劇科専攻の卒業生によって結成されたドイツのパフォーマンス集団。 演出家、脚本家、俳優といった役割をあえておかず、創作は常にメンバー共同で行うスタイルをとる。メンバーのほとんどが女性で、メンバー相互のキャッチボールによる「動」としての集団創作というコレクティブワークを主体としている。 そこにあるのは、一人称で語ることの限界・不可能性から脱却した、複数で語ることのセクシーさと

【パフォーマンス評】 マルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』

演ずるとは、ある種のペルソナを自身が纏うということだ。 ペルソナを纏うことにより、それを見る者に、何らかの誘引作用を引き起こす作業のことである。 ところが、演ずる者がペルソナを欠く(あるいは封印した)としたら、事態はどのようになるのか。それは、「見るとは何か」、という問いを、わたしたちに投げかけることでもある。 京都芸術センターで開催されたマルセロ・エヴェリオン/デモリッションInc『突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる』KYOTO EXPERIMENT 2013(原題: